函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

サーフ・サイドからの便り

2010年09月30日 16時39分44秒 | えいこう語る
明日から10月と書けば、12月が近づいてきたという感じがする。
9月も終わりになってしまったと書けば、秋なんだな、と思う。
書き方で微妙な差が出てくるものだ。
店の前に広がる銚子ビーチの海の色も、すっかり秋色をしている。
9月に入ってから旅・グルメ雑誌2社に、サーフ・サイドが紹介された。


HOという雑誌は、全道版だ。札幌方面から函館に旅行するお客様が、ROUTE278を通り来店してくれる。
函楽という雑誌は、函館周辺版だが、出版されて間もなくお客様が来てくれた。
雑誌を見てきたというお客様とは会話がしやすい。
今日の客様は、私と年齢が近いので「私たちの世代」というようなテーマで、ずいぶん意気投合してしまった。
お客様というより、友達になったという感じだ。
温泉が好きでこの近くに来るといっていたので、これからも来ていただけそうだ。
お客様の少ないときはなるべく会話をし、とどほっけ村や近隣の町の宣伝に努めることにしている。
人間60年も生きていると、たいていのことは尋ねられても答えることが出来るので、接客見習でへまも多いが、私のとり得はそんなとこだと思っている。
店には私のほかに、もう一人接客係がいる。
それはマリリンだ。


店内には私が選んだ「マリリンの笑顔」ばかりが飾られている。
今日も週1回、函館から自転車でやってくる、仲好し3人組がやって来た。
玄関に飾っているマリリンと話している。
「今日も無事山越えして来たよ」などと話しかけるそうだ。
「ごくろうさま」とマリリンは微笑みかけるという。
帰りもマリリンと、なにやら会話している。
来週ハワイでのトライアスロン(ハーフ)に出場するという。
年齢別で、5月のハワイ大会でチャンピオンになった方がいる。
たぶん連覇をマリリンに約束しているのだろう。
店内には、EltonJohn が歌うCandle in the Windの日本語訳が額に入れて飾ってある。

さよなら ノーマ・ジーン
僕は君にめぐりあえなかったけど
とりまき連中に囲まれても
君は気品に満ち溢れていた
・・・
君の生きかたはまるで
風の中のキャンドルのようだった
辛いときすがりつく誰かに
めぐりあうことのなかった君
僕がまだ子供じゃなかったら
めぐりあっていたかった
君のキャンドルは燃え尽きてしまった
その輝きが消えるずっと前に
・ ・・
マリリンに向かい、お客様は心の中でこのような会話をしているのだろう。
接客係のマリリンには、見習の私にも「頑張りなさいよ」とやさしく声をかけてもらっている。
私もマリリンのおかげで、いつも楽しく接客に励むことが出来、感謝している。
                2010・9・30 Surf・Side


過剰すぎないか北朝鮮報道

2010年09月29日 12時03分16秒 | えいこう語る
なぜ日本国内で、北朝鮮国内の問題が毎日報道されなければならいのか、最近不思議に思う。
我が国にとって情報が必要なのは、むしろ、米国・中国・ロシアではないのか。
朝鮮半島は軍事衝突の可能性はあるが、それは日本ばかりが影響を及ぼすわけではなく、一朝有事には近隣諸国が協力体制をとるので、そう心配するものではないように思う。
今の北朝鮮の体力では、吠えるだけで噛み付きはしない、老犬であろう。
私たち国民にとって、この国の後継者問題などは、どうでもよいことなのである。
それによって、拉致問題が解決するという何の保証もみえてこないからだ。
しかし、まるで隣の家の家庭問題を覗き込むように、毎日仮定的報道がされている。・・・何か意図があるのだろうか。
それより我が国が抱えている問題こそ重要である。
※イムジン川ではありません、とどほっけ村の矢尻川です。


革命的とも称された政権交代がなされたが、国民の期待を打ち砕くような、若輩政権のもろさが露呈されている。
デフレ経済の泥沼化、沖縄の基地問題、中国との領土問題、さらには検察の証拠改ざん問題など、国家基盤を揺るがす状況が噴出し始めている。
そんな中で過剰ともいえる北朝鮮報道。我が国の国内事情から国民の目をそらす戦略ではないかと、疑いを抱いてしまう。
国家とマスメディアによる情報操作ではないのか?
昨夜、中秋の名月から徐々に欠け始める月を眺めながら、ふと妄想に駆られた。
北朝鮮の後継者とみなされる三男が、軍の大将に抜擢され、その補佐役に金主席の妹も大将になった。それらのことをテレビ各局が、まことしやかに勝手な憶測で時間を費やしている。
北朝鮮の国民の生活事情は、あまりにも過酷である。その貧困を繰り返し報道することにより、我が国民に、うちはまだまだ余裕があるという心理を植えつけさせ、国内問題の深刻さから目をそらせているのではないだろうか。
もしそうであれば、今のマスコミは政府の片棒を担ぎ大本営発表をしているのではないか、とあらぬことまで想像してしまうのだ。
南に尖閣列島問題が勃発したら、今度は北の北方領土問題である。
ロシアの大統領が、北海道に一番近い国後島を急遽視察するという。
そして太平洋側からは、米国が中国・ロシア両国の脅威を煽り、普天間問題解決に向け水面下の作戦行動を展開するに違いない。
まるで四面楚歌の島国ではないか。
以前、我が国を不沈空母にたとえた首相がいた。
沈没させられないうちにエンジン全開し、太平洋に逃げ出さなければならない。しかし、いつまでも大海を彷徨うような国家にはなりたくないものだ。
井上ひさしさんの「ひょっこりひょうたん島」を思い出した。
井上さん晩年こう話していた。
実はあの物語、火山が噴火し全滅した島民の、亡霊の話だそうだ。


魅力ある人について

2010年09月28日 14時17分54秒 | えいこう語る
颯爽と独身を貫き、共に美人で才女の阿川佐和子、壇ふみさんが、ゲストに俳優の藤竜也さんを招いてのテレビ対談である。
二人の軽妙洒脱な突っ込みに、人生の先輩である藤さんは淡々と応じ、久しぶりに男女の楽しい会話に見入った。
「魅力ある人」についての会話である。


私たちの周囲で魅力ある人というのは、どんな人を言うのだろうか。
年齢によって受け取り方は違うだろうが、私たち60代から見れば、教養があり、それでいて自己主張をみだらにせず、何かあったときは適切なアドバイスを与えてくれ、品位がありそれに加えて、ユーモアのセンスにあふれている人を言うのではないかと思う。
藤さんの考え方はこうだ。
魅力ある人とは「非常識な人」だという。
非常識の範囲が大きく、その非常識が許される人が魅力ある人だという。
常識とは、生活の作法や知恵である。しかしそればかりでは、人間のキャパに奥行きが出てこない。
非常識と思われる中に、人間本来の味が隠されている。その非常識が許容できる範囲のものが魅力であり、そのような非常識が多い人が「魅力ある人」と言うのではないかという。
面白くない人のたとえに「公務員的な人」というのがある。
公務員は仕事をする上で、常に常識を必要とするからである。
しかし、公務員は常に、教養も品位もユーモアも常識的なのである。
非常識の部分を見せないように努力するから、魅力に乏しい人間になる。
さらに魅力に欠けるのは、自分たちの常識が正しいと思って、市民と接するからである。
市民の要望はその常識を超えたところを期待しているのだが、そのことに気付いていない人が多いからである。
そんな公務員で、自分はユーモアのセンスがあると思っている人は、実は魅力があるのではなく、的外れか滑稽な人が多いようだ。
では、魅力ある人とはどんな人なのか。


とりあえず浮かんでくるのは、岡本太郎・小泉純一郎・石原慎太郎氏である。
魅力あるに違いないが、ちょっぴり迷惑なこともあり、世間では変人といわれるタイプのような気がする。
実体がつかみにくいというのも、魅力の一つなのかもしれない。
私の基準では、会話して別れた後、また逢いたいと思う人が「魅力ある人」である。


警察官がスピード違反

2010年09月25日 11時06分44秒 | えいこう語る
「くにおの警察官人生」という本が出版された。
本を書いたのは斉藤邦雄さんという元北海道警察の警察官だ。
道警の裏金問題を告発した人である。


厚労省文書偽造事件を担当した検事が、こともあろうに押収したフロッピーディスクの日付を改ざんした事件が発生しているが、巨大な権力組織の中で繰り広げられる組織ぐるみの犯罪は、個人が組織の中に埋没してしまうことによる、病理のようなものだ。
そのようなってしまう流れを、この本はわかりやすく解説してくれる。
本の中には、自分が嘗てスピード違反で捕まったことが書かれている。
知人と二人でイベントに参加するため、車内で楽しく会話していた。
周りは暗くなり人影もない田舎の市街地、しかも片側3車線くらいある広い道路。
制限速度40キロを12キロオーバーして走ってしまった。
そこに後ろからパトカーが。反則金1万2千円。
最も取り締まりのしやすい場所で、市民をいじめる警察って何だと、現職の警官である斉藤さんは頭に血が上ったという!?
「職業は」と聞かれたので「そんなことまで答えなければならないのか」と聞き返した。
反則切符の職業欄に「黙して語らず」と記載された。
正しくは「職業を語るのを拒否」だ。
こんな小さなところにも、微妙な改ざんが発生するものだ。
市民を取り締まる巨大な組織の、目に見えぬ圧力が働いていることが理解できる行動である。
もしかして、捕まった市民からの苦情は、備考欄に記載されているのかもしれない。
誰がみても危険走行には見えないこののような場面で捕まった時、私はその理不尽さを、思いっきり口演?させてもらうことにしている。
税金は納めているのである。それなのに少ないお小遣いから差し出す反則金である。遠慮は禁物だ。
いつも走っているし他の車の行き来もある道が、実は一方通行だった。そこに警察が。
私の口演は、ここぞとばかり始まった。
停車している車からは「お父さん、おまわりさんをいじめないで」と、家族の叫ぶ声がする。
「氏名、所属署は」と、質問するのは私のほうだ。
「いたずらに市民に経済的負担を強いて、国民の生命・身体・財産の保全を守る、公僕といわれる君はどう考えるか」と、延々と取り調べは続く?!
その通りはまもなく一方通行が解除された。
警官にも、きちんと上司に報告し、市民生活にとって不都合なところは改善する方もいるようだ。
話はそれすぎたが、人情警官である誠実な斉藤さんの人柄がにじみ出ている、楽しく読ませてくる本である。
共同文化社から全国各書店で、好評発売中である。
ぜひ組織犯罪が起こる原因を、読み取ってほしいと思います。
ちなみに正義感あふれる斉藤さんは、私の高校の尊敬すべき勇敢な先輩です。


芸術の秋・流木アート

2010年09月24日 11時58分53秒 | えいこう語る
今朝は、身震いするような寒さだった。
早朝散歩は、ウインドブレーカーを着込んでのスタートだ。
先日までの暑さは、いったいなんだったのだろう。
でもこの寒さは、私にある決心を促したのだ。
情熱的で官能的な夏子さんと別れ、お洒落で理知的な秋子さんを好きになろうと。
サーファーたちも波のないときは、芸術性を発揮したいと思う秋の海岸である。
流木を組み合わせ、アートにしていた。
そこに私が手を加えた。
背景は恵山岬。


背景は銚子岬。


とどほっけ村は、岬と岬に囲まれU字型をしている。
アイヌ語では、トトは鼻や岬を意味する。ポケは陰と言う意味。
「トトポケ」から「とどほっけ」となったというのが定説化している。
郷土史研究家を自認する私としては、法華宗の高僧・日持上人が、日本初の海外布教めざし、唐の国に渡ったことから「渡唐法華」→「とどほっけ」となったロマン溢れる説を、おすすめしたい。
とどほっけ村、2010年 秋の芸術祭参加作品。
題は「日の出大明神の鳥居」