▼後の世、令和2年という年はどんな年だっかと聞かれれば、誰もが「コロナ禍」と「蒸し暑さ」が、印象に残ったというだろう。
▼だが「シンゾウの長期政権崩壊」というのが、トップなのかもしれない。「コロナ禍」も「蒸し暑さも」すべて、シンゾウのせいではなかったかと、総括される可能性があるからだ。
▼8月に入り外に出れば、頭が割れそうな暑さだ。砂浜に降りて日光浴などとシャレ込めば、熱中症で救急車ものだった。ここが北海道だなんて信じられないくらいだった。
▼8月の終わりの午後のことだ。早朝の庭の紫陽花の鮮やかさの中で、ブログを書くのが一日の始まりだ。
▼今年は蒸し暑かったせいか紫陽花の大輪の存在が、心を鎮めてくれた。ピンク、白、青などの中で、青色が鎮静効果があるように見えた。
▼庭に面した白い窓枠が、額縁に思える。イチイ、石楠花、もみじ、山椒、ツツジなどの緑が、キャンバスを埋め尽くしている。
▼その額縁の左側の隅に、青の紫陽花が見事に咲いている。日本画を鑑賞しているような気分にさせられる。
▼ずいぶん前だが、夏に福井県に行き、帰りに京都に立ち寄ったことがある。嵯峨野の民宿に泊り、美術館に入り日本画を鑑賞した時のことだ。
▼その美術館は石造りで、玄関前に内水がしていて、清涼感があったのが記憶にある。そこで日本画を観たのだが、夏の美術館は日本画に限るというような、強い印象を覚えたことがある。
▼我が家の庭の青の紫陽花は、40年程前のかすかな記憶を、鮮明に思い浮かばせてくれた。だが、その中に茶色の物体が動いた。・・・鹿だ。
▼近年、海外で木材が高騰しているらしく、函館港からも輸出が多い。そこで森林の伐採が続いている。
▼個人の財産なので、規制は掛けれないと役所は言うが「行政指導」をしなければ、水害などにつながるのではないかというような、広範囲に及ぶ伐採だ。
▼戦後の山林は、燃料としての需要で「禿山」という言葉が言われたのを、子供心に覚えている。そこで国が補助をし、植林に力を入れたというのは、先人たちから聞いていた。
▼現在も伐採したら、植林をしなければならないという規則があるようだが、若い人が地域から出ていき、老人だけの世帯では植林を諦める人も多い。
▼山が荒廃するするせいか、今年は海の傍に住んでいる私の家の1キロ管内にまで、熊が数回目撃されている。さらに私の庭には、頻繁に鹿が出入りしている。
▼やはり鹿だった。紫陽花の葉を食べていた。大きな目と私の小さな目が合ったのは、ガラスを通し、わずか3メートルほどの距離だ。
▼目を見つめると、飛び跳ねるように逃げるに違いない。そこで私は目をそらした。鹿は敵とみなさなかったのか、また葉を食べ始めた。
▼紫陽花は盛りを越えていたので、十分鑑賞させてもらった。生命力がある紫陽花なので、葉が食べられても来年も鮮やかに咲き誇るだろうと期待する。
▼それにしても、夏の終わりに【紫陽花と鹿】という、誰もがみたことの無い、見事な日本画を鑑賞させていただいた。
▼その数日後、シンゾウが退陣した。令和2年は「シンゾウの退陣」と「紫陽花と鹿」という日本画も記憶に留めておきたい。
▼紫陽花の葉を食べる鹿の大きなやさしい目が、ちょっぴりシンゾウと重なって見えたような気がしたからだ。