函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

沖縄と原発

2012年02月28日 13時05分41秒 | えいこう語る
野田首相と仲井真沖縄県知事の対談を、昨日のテレビで観た。
首相が、沖縄県から出されていた新年度振興予算に対し、満額を了承しさらに600億円ほどお手盛りをした旨を、知事に伝えていた。
東京からのお土産は「東京バナナ」や「雷おこし」ではなく「山吹色の交付金」とは、越後屋もなかなかの者である。また顔色も変えず受け取る殿(元通産官僚)も、その上を行く智謀者に見えた。
この対談を見て、佐藤栄作首相の沖縄返還時に、国民に内緒で米国に多額のお金を支払ったとする「沖縄密約」を思い出した。
当時政権が磐石だった自民党と違い、米国とも関係が薄い軟弱な今の民主党では、そのような腹芸(密約)は通用しないだろう。
そこで弁舌さわやかで説得力のある首相自ら、テレビで知事に訴えるという大芝居を打ったのだろう。
「沖縄からの予算は大盛りにした。米軍は1,500人沖縄から撤退し、米軍5施設も返還される。その土地を利用し沖縄の振興に生かしてはどうか。これほどまで政府が沖縄のことを考えているのだ,辺野古を許可してくれ,そうでなければ普天間が固定化されるぞ」これが首相の本音だ。
それに対し知事は「辺野古への移転は時間がかかる、我々は県外移設望んでいる」としている。時間がかかるというのは、辺野古容認の選択肢を、完全に閉ざしていないと読み取れる。
政府からは絞るにいいだけ絞って、最後は容認するというは、あまりにもしたたかな知事ではないだろうか。今年函館市内で出会った沖縄の若者が「あの知事は次の選挙は落ちるだろう」と、吐き出すようにいった言葉を思い出した。
※NHKテレビドラマ『坂の上の雲』の203高地の撮影現場になったのは、函館市戸井地区の右から二つ目の山。目の前は津軽海峡。


さて大間原発である。大間町の町長、新年度予算の財源が足りないと、お金の無心に、原発会社の本社を訪れた。今回ばかりではない以前もだ。この原発会社は電源開発というが、大間町改め「電源開発町」といってもいい。
町長は、もはや町と原発会社との間の、現金輸送係長とい感じだ。
大間原発は今までの原発から出た、ウランとプルトニウムを燃やさなければ捨て場がない。政府は必ず大間原発をつくらなければならないのだ。1基作るとしばらくは補助金で潤うが、それが切れると次の原発をつくらなければならない。
今、大間町に野田首相が現れ「下北半島振興資金はこんなに用意しました。みんなで原発を誘致してください」とお願いすると、万歳の声が下北半島から上がるに違いない。
沖縄の基地問題と原発問題、鼻の先に補助金をぶら下げられ、それに飛びつくという同じ縮図ではないか。
鼻の先には、平和や命の保障があるだろうか。
お先は、真っ暗に違いないのだが。


頼られる人

2012年02月27日 15時48分25秒 | えいこう語る
函館ゆかりの俳人に、石川啄木がいる。
その像が、市内の海岸に建っているが、片手を頬にあて思索をしている、そんなポーズをとっている。
それを見た私の村の小学生が、ロダン作の「考える人」といったのを聞いたことがある。小学校では啄木より先にロダンを教えるのだろうが、いわれてみれば生活苦に悩む啄木は、つねに「考える人」だった。
それ以来、私も「考える人」といえば、ロダンより函館市内で身近に接することが出来る、啄木が先に浮かぶようになった。
※庭のとど松の木の枝の下がり具合。これほどの降雪であれば、昭和30年代は小学校は休みになった。


昨日の雪には驚いた。私の家の前は30センチだったが、もっと積もった箇所もある。村中が一日中雪かき状態だった。
隣のお年寄り夫婦には、とても対応できる雪ではない。「私たち夫婦が雪かきをするから家にいなさい」といっても、二人で出てきて、ものの5分をしないうちに、腰を抑えて息切れしている。
そこで思い出したことがある。
昨年暮れ、私はウニ漁で腰を痛め、さらにお正月からは風邪をこじらせ、2週間ほど家から出なかった。隣の家では私の姿が見えないので、随分心配していたようだ。
「腰痛と風邪で動けないけど、起きて元気でいる」と妻は答えていたが、それにしても普段丈夫な私が2週間も顔を見せないことに、老夫婦の心配は日増しに増してきたようだ。
私が回復し外に出た時、おばさんが近寄ってきて、私の身体をさすって「腰は大丈夫かい、もう風邪は治ったのかい」と、とても不安そうな顔をした。
私は自分の母でも、身体をさすってまで心配されたことはない。普段無口なおじさんも出て来て「本当に大丈夫か」と心配する。他人からこんなに心配され、随分ありがたいなと思った。
おばさんは私の妻にこういったそうだ。
「あんたのお父さんに倒れられると、私たちは何があっても困ってしまう。元気でいて欲しい」と。
「隣の夫婦はあなたが頼りなんだから、身体に気を付けなさいよ」と、妻も笑っていう。
二人暮しの老夫婦。私がほとんど毎日顔を出し、なにやら世間話をする。そん
なことでも、何らかの支えになっていたのだろう。つまり私が病気にでもなれば、自分たちは頼るすべを失ってしまうと考えたのであろう。
その心配が、私の身体をさすってまでの表現になったのだ。
「頼られる人か、俺は」と、妻と顔を見合わせ笑ってしまった。
普通の生活ではありえない、過疎の村でのちょっぴり物悲しくも、笑いのあった一こまである。


季題「雪」

2012年02月26日 15時41分47秒 | えいこう語る
日曜朝のテレビ「NHK俳句」を見た後、雪かきに外に出た。
猛吹雪、しかも今年最高の大雪。ただ黙々と雪をかき続けるしかない。
そこで発句に挑戦した。

あれ あれ あれ 一面の雪景色

雪かき時ぐらい降るなよ雪

雪押して 三歩進まず 引き返し
(雪が多く、スノーダンプにすぐ一杯になる)
加工場の バス戻り どこも雪
(水産加工場の送迎バスが、走っていったがすぐ戻ってきた)
悠然と 吹雪の海に かもめ飛ぶ

震災の 地には大雪 よしとくれ

軽四輪 雪だるまになって 遊んでる


雪一面 ナスカの絵でも 描きたいな

心臓の 手術した人 雪をかく
(雪かく人の中に、心臓の手術したおじさんが二人)
今日の雪 数百年後は 黄桜に
(この雪が地下水になり、やがて美味しいお酒になる。春にはその水を吸い上げ桜が咲く)
 
以上、句が浮かんではメモして、雪かきに励んだ。
                            雪だ三等下


村の中での立ち話

2012年02月25日 14時50分29秒 | えいこう語る
村の中にあるガソリンスタンドに立ち寄った。
給油を終えた後、車を片隅に止めスタンド内に立ち寄る。
村のスタンドは村内外の色んな人が集まる。昔で言えば銭湯や床屋といった、情報収集所でもある。
このスタンドの社長の奥さんが、気さくで親切で、おまけに笑顔がとても素敵だ。
我が村が経営している宿泊施設があるが、そこを訪れるために、このスタンドに立ち寄った人は、奥さんの人柄に引かれてしまう。次に訪れる時は他で給油せず、奥さんの笑顔を見たいために、立ち寄る人もいる。
私の少し先輩ではあるが、ちょっぴりローレライの伝説を連想させる「トドホッケ川に住む歌姫!?」というところか。
でも、長い間村の交通安全の指導員をしている。給油のお客様には「安全運転」を、その美声でしっかりささやきかけるのだ。
私は「おせっかいクラブ会長」と称しているが、彼女は「そのとおりだよ」と、むしろ喜んでいるので、うれしい。
今我が国に必要な心は「絆」だろうが、私はその大元になるのは「おせっかい心」だと思う。
※雪に閉ざされた村。梅と菜の花で、ちょっぴり春を思ってみた。


そのスタンド内で、奥さんと私と北斗市(函館の近くで新幹線の駅になる所)から給油に立ち寄った、土建業界の方との会話だ。
新幹線開業は2015年だ。北斗市では新駅の建設や、マチ並みの整備で傍目にみたら好景気だと思うだろう。しかしその男性は、大手が仕事を受注し、自分たちのような小さな会社の仕事は少ない。人口減少が予測される中、札幌までの延伸は必要ないのではないか。地元でも、新幹線でマチが活性化すると思っている人は少ないなどと、会話が弾む。借金王国日本、年金も税金も足りない中、新幹線は後回しでもいいのではないかとの、3人の共通した意見だ。
その一方、マスコミは、新幹線後の活性化を期待する、各自治体や商業界の様々な取り組みを報道する。でも考えてみれば「夢の北海道新幹線」と声高に叫んだのは、政治家、首長、観光業とマスコミだけではないか。もう夢など見る余裕が、我が国にはないのは、国民が知っているのだ。
札幌への開業は、後25年程かるという。「その時我々3人は、天国駅へ向かっているよね」といい、大笑いした。
その男性が車に乗ろうとした時、奥さんが「次ぎ来たら、美味しい干し魚を用意しているから」という。「楽しみにしている」と男性は笑顔を見せた。
とどほっけ村、人口1,000人。コンビニもない、これからもないだろう。
でも「ホットステーション」の、ガソリンスタンドがある。


漁師魂

2012年02月24日 12時11分11秒 | えいこう語る
22日午前10時頃、消防のサイレンが厳冬の漁村に鳴り響く。
寒さが続く、老人家庭のストーブからの出火だろうかと思ったら、防災無線は港湾内での海難事故を知らせる。
港に係留している自分の船に乗り移る時、足を滑らし海中転落をしたという。
48歳、あまりにも早い死に、村中が悲しみにくれる。
私は彼の亡くなった父親を思い出した。
随分前だが私が引率して、札幌に研修旅行に出かけた時のことである。
その父親は漁師のおじさんに似合わずやさしい物腰で、真面目が顔に現れているような人物だった。
田舎の人ばかりである。夕食は和食がいいと思ったが、せっかくの札幌である。たまには、外国料理でもと提案し、同じアジアだから口に合うと思い、タイ料理店に案内した。
緊張しながらも、意外と美味しいと好評のようだ。
ところがそのお父さん、私にこう耳打ちした。
「鯛の刺身はまだなのか」と。
お父さんは、日本酒が大好きである。タイ料理といったら、活き作りの“鯛の刺身”が、大皿に乗って運ばれてくるのを、待っていたようだ。
事情を説明してから、みんなで大笑いになった。
お父さんは、よっぽどその宴会が楽しかったらしい。会費は足りていたが、テーブルの下で、そっと私に1万円を差しだし「何かの足しにしてくれ」といった。
※なんだか寂しい感じのする雪の朝だ。


そのお父さん、息子さんの早すぎる死に、あの世で怒っているに違いないと思うが、私はそうは思わない。
その息子さんは、船から垂れ下がっていたロープを身体に巻きつけ、浮いていたという。ロープで船に這い上がろうと思ったが、着込んでいての真冬の海だ、力尽きながらも、せめて自分の身体を船に確保し、不明になってみんなに迷惑をかけないことを思ったに違いない。
やさしいお父さんの顔が浮かぶ。
「お前も若すぎるが、最後に漁師魂を発揮し、船から離れなかったのは立派だな」とほめる、そんな声が私には天から聞こえてくるのだ。
人口減少が続く小さな漁村。
冬の冴え渡る夜空にまた一つ、小さくとも光り輝く星が、村を照らし続けてくれるのだろう。