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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

小説・日本一の有頂天男

2012年10月31日 10時58分56秒 | えいこう語る
「老いを迎え打ち、人生の成熟の時代をさらに成熟させて、人生という劇場の決して短くはない最後の幕をたっぷり味わっていくためには、人生の経験を積み重ねてきた人間としての意識を構えて、老いをしっかり見つめて味わうことだと思います。世にいろいろ味わい深いものもありますが、自分自身の老いていく人生ほど実は味わい深く、前後左右を眺めれば眺めるほど面白く、味わい深いものはないのです」        石原慎太郎著 「老いてこそ人生」より
先日、東京都知事を突然辞任した石原氏が70歳の時に書いたものだ。
それから10年後の今、彼は作家人生、最後の本を出す準備を始めたのだろう。主人公はもちろん石原氏自身だ。
最後の本のタイトルは「日本一の有頂天男」だ。
すでに大方のストーリーは出来上がっているに違いない。
小説は書き出しの数行が勝負だという。本屋で購入の判断は、その数行でいかに読者の心を鷲摑みにするかだという。
それに本の表紙の石原氏の顔写真が実にいい。無邪気な子供のような笑顔だからだ。さらにタイトルだ「日本一の有頂天男」思わず手に取るだろう。
書き出しはこんな感じだ。
千の風が吹いていそうな空。


「私は間もなく死んでいく。だから東京都知事を辞任したのだ。4期目は出馬しないと公言したが、実はぎりぎりで勝負を掛けた方が勝てるという判断をしたからだ。私は政治家でもあるが作家でもある。言葉を巧みに操ることが仕事だからだ。都民は出馬断念を公言したと思っただろうが、私は巧言したのだ。
・・・。」
今回は登場人物が多いので、書き進めていくうちにストーリーが若干ないし大幅に変わることもあると思うが、そこは直木賞作家だ、登場人物を意のままに書き連ねていく筆力は充分だろう。
この本、タイトルに違わず、抱腹絶倒の内容になるだろう。
憲法改正を憲法廃棄にする件だ。このあたりで有頂天男の真骨頂を遺憾なく発揮するからだ。
支離滅裂で滑稽なこの小説の最後は、こんな文章だ。
「ある朝電話が鳴った。叙勲が決まったという。あの一番大きな勲章だ。モーニングを新調し、皇居へ。陛下から渡された勲章に、私は思わずキスをした。オリンピックの金メダリストがするように。陛下もオメデトウと言ってくれた。
その後記者団に囲まれた私は、こう言った。・・・なんだ昨日生まれたと思っていたらもう死ぬのか」・・・。
昨夜「老いてこそ人生」を布団の中で読んだら、こんな夢を見てしまったのだ。


反原発の戦い方

2012年10月30日 13時07分55秒 | えいこう語る
函館市が「原発問題担当専任職員」を配置する事が、今朝の新聞に出ていた。
大間原発の「無期限凍結」を公言する函館市長、建設差し止め訴訟に向けての体制強化だという。市民としては実に頼もしい限りだ。
出来れば役所だけではなく、原発に反対する各団体の代表も交えての、オール函館体制を築いてほしいものだ。
役所だけが先走って、市民の考えと遊離するというのは、ままあるからだ。
函館西部地区にカニ卸業者が宣伝用に建てた「自由の女神」。周囲の景観にマッチしないとの市民の声で、市側も撤去を求めたが私有財産云々で、いまだに建ったままだ。
その「自由の女神」にタスキが掛けられた。
「大間原発無期限凍結」という、市長の「お題目」が書かれているタスキだ。
世間に対し反抗的なカニ社長「自由の女神撤去無期限凍結」という意味も含めたメッセージなのかもしれない。
迷惑なのは女神だろう。函館に連れてこられたため、いつの間にか「不自由の女神」になったからだ。
カニ社長に言いたい。大間原発の現場付近には私有地がある。そこを購入し「タスキをかけた「自由の女神」を設置してほしい。
原発再開の後ろには、米国の影響が大きいと聞く。松明を片手に反対を貫く女神、そここそが「自由の女神」の立ち居地ではないだろうか。
その女神「プロメテウスよ、盗んだ火を返せ」と叫んでいるように、私には聞こえるが。
※「とどほっけ村日の出美術館」。題「1945年8月のような夜空」


大間町の隣、佐井村で原発再開についての説明会が開かれた。
村長は安全が確認されれば容認するというが、村民からは不安の声が出たという。
反対運動の団体が、先日も大間マグロ祭りに出かけ、デモ行進をしたようだ。
敵陣に乗り込むのもいいが、周囲から攻めるのも得策ではないかと思う。
函館市庁舎内に、原発に反対する市民各団体の代表者も参加させる「大本営」を設置してほしいものだ。
役所関係者だけを参集させると「大本営発表」という、不正確な報道をされる可能性があるから、市民も一緒の本部作りだ。
市民の憲法といわれる、昨年の4月に施行された「函館市自治基本条例」。
この要はなんといっても「情報公開」と「住民参加」だ。
それを実践する手立てを、ぜひ「原発反対運動」で、推進してほしいものである。
函館市会議員で私のブログを見ている方がいたら「大本営設置」を、議会に提案してほしいものである。


函館市民からの手紙

2012年10月29日 08時00分12秒 | えいこう語る
前略 親愛なる大間町民へ。
広島と長崎に落とされた原子爆弾による被害は、人類史上最も残酷で悲惨な出来事でした。
日本国民はその後新憲法の下で、恒久の平和を目指しました。
ところが大間に、その原子爆弾の材料であるウランとプルトニウムを混合した燃料を使用する、原子力発電所の建設が再開されたという。
それだけはぜひ、思いとどまっていただきたい。
あなた方が、国や電力会社からたくさんの補助金をもらい幸せになることを、私たち函館市民はうらやむものではありません。
しかし、あなたたちばかりよくて、私たちが絶えず死の恐怖に晒されるのだけは我慢がならないのです。それに、いったん事故が発生した場合、子供たちの将来を奪うことだけはやめていただきたい。
今からでも遅くはありません、勇気と人類愛を奮い起こし、この地球から人類破滅の原発を廃止する、メッセージを発することを望みます。
その時には、私たち函館市民と多くの国民は、内閣総理大臣にお願いいたします。
大間町民の勇気を称え、未来永劫に至るまでこの素晴らしい故郷で、暮らせることのご協力を約束していただけることを。
                       海峡の隣人 函館市民より


昨夜、強風と雨で久しぶりの停電を味合い、ロウソク一本の灯りの下で、戦後からの生活を思い浮かべてみた。
上記の大間市民への手紙は、フィリップ・メンディオラさんという、北マリアナ連邦テニアン市長が、日本の放射性廃棄物の海洋投棄に反対し、日本政府に送った手紙を参照にしたものです。
声高な反対ばかりではなく、このような函館市民と大間町民との手紙の交流も、一つの運動ではないかと思う。
昨日まで山頂で足踏みにしていた秋も、昨夜の雨と風で、一気に麓まで駆け下りてきたようだ。


「新・原子力防災計画」の作成

2012年10月28日 13時40分26秒 | えいこう語る
先日行われた泊原発防災訓練は、自衛隊の艦船やヘリコプターまで出動する、極めて原発事故の危険性を肌身に感じさせる、訓練だった。
この訓練は【原発は安心・安全でない】ということを、国民に徹底周知させたということだ。
函館市は大間原発事故を想定し、防災計画を立てる必要があるが、工藤函館市長は作る必要がないという。
そのことに敏感に敵意を抱いたのか、原子力規制委員会は、防災計画は必要としながらも、防災計画は再稼動とはなんら関係もないとまでいう。
計画を立てようが立てまいが、国の方針は最優先だから、生きるも死ぬもあんたらの勝手だということらしい。
そんな無責任体質だから、原発の再稼動の許可についても、国と規制委員会がお互い責任をなすりつけ、どちらが判断するのか決まっていないようだ。
※今朝のとどほっけ村。カモメが無数に騒いでいる。海で生きるカモメも脱原発だ。


もし私が函館市長なら、次の一手はこうだ。
『大間原発事故想定内防災計画』の作成に着手する。
前文は「世界初のフルMOX燃料を使用する大間原発は、原発が始めての電源開発が行うので危険極まりない。さらに事故後の処理も責任も、無能に近い現在の政府では、函館市民は未来にわたり死の恐怖に晒される。このようなことは断じてあってはならないので、事故が起きた場合の想定できる最悪の状況を、函館市民に知らしめることにしたい」。
あとはこんな内容だ。
※フルMOX燃料が人体にいかに危険か。
※海が汚れ農地が汚染される被害の大きさ。
※観光都市函館は死の街になる。
※チェルノブイリのように、故郷には戻れなくなる。・・・など。
最後にはこんな内容を。
私たち函館市民は、イタリア方式の採用を宣言する。
それは2009年のイタリア中部で起きた地震で、309人が死亡し6万人以上が被災した。予知で安全宣言をした「イタリア防災庁委員会」の学者7人に、地裁は禁錮7年を言い渡したというものだ。
その方式を採用し、いったん事故が発生した場合、原子力規制委員会のメンバーと政府関係者を、国民裁判にかけることをこの計画に盛り込む。
よって私たち函館市民は恒久の平和と安全を念願し、大間原発建設によるありとあらゆる恐怖と欠乏から逃れ、平和のうちに生存する権利を有することをここに確認する。
こんな防災計画はいかがなものかと、早朝の布団の中で考えてみたけど。


2012年秋そして音楽

2012年10月27日 14時28分04秒 | えいこう語る
店を終えてから、函館市内に買い物に出かけた。
湯の川郊外の大型スーパー。周囲は大きな建物が少なく民家が多いので、屋外駐車場は、大空の下に駐車場という感じで、とても開放的だ。
ここからは、函館山の夕陽が美しく見ることができる。
私は地下駐車場が嫌いだ、閉塞感を感じるからだ。亡くなった私の母は「あなたは他の妹弟と違い、外の駐車場ばかりだね」といったことがある。
あまりその意味を考えもしなかったが、母が亡くなってから駐車場に車を止める時、きまって母のその言葉を思い出すのだ。
このスーパーの近くに「香雪園」という京風の庭園がある。ここの紅葉は感動的だ。期間中の夜はライトアップされ、毎日イベントが行われている。
10月末にもなると、夜風にも冬が近いことを意識させられる。
観光バスも入り込み、忙しそうにしている駐車場の警備員に尋ねると「紅葉はちょっぴり早いですね」という情報だ。


庭園内の管理ハウスでは、小学生がサックス、中学生がドラム、高校生がエレクトーンという、フュージョンJAZZのトリオ演奏だ。
秋の夜に、偶然出くわしたJAZZにすっかり酔いしれてしまう。
観客の中に、私の店にも来ていただいている、長崎出身の女性がいた。
ご夫婦ともにJAZZフアンだ。サックスの小学生は、ヤマハ教室では先生がもう教えることはないというテクニシャンだと、その方が教えてくれた。
それは間もなく証明された。やはり小学生、初めは緊張していたが、演奏が進むにつれ大人顔負けのパフォーマンスだ。
私は大人の演奏会と同じく、口笛を吹き鳴らし声援を送った。演奏が終り私の前を通った時「素晴らしいぞ、頑張れよ」と声をかけると、小学生らしいはにかんだ笑顔を見せた。
やがて、中学・高校に入り函館の歴史を学ぶことで、港街函館がいかにJAZZが似合うということを、身体と魂で学んでほしいものだと願う。


夜風も冷たくなって来た。駐車場の警備員に「寒い中ご苦労様」と声をかけると「お疲れ様です」と、微笑んだ。
先日のお寺参りでの説教で「あたりまえ」の中に「感謝」という言葉を忘れないようにと言われた。それを思い出したのだ。
ちょっとした会話で、お互いの心があったかくなるのを実感した。
先日、新聞にこんな記事があった。
東日本大震災で、家で津波にのまれ亡くなった女性が愛用していた“チェロ”が見つかり、友人がそれを復元したところ、元札幌交響楽団の主席チェリストの土田さんが、そのチェロを使い演奏会を開くという。
そのチェロの持ち主の長男が、私の店にも来るサーファーだった。
彼は初めて来店した時から、親しげに話を交わした。
函館に転勤してきたばかりで、サーフィンが趣味だと言う。出身は三陸の大船渡だといい名刺を渡されると、函館市内の大きな病院の医師だった。
津波の後、彼が店を訪れた時「ご両親は」と尋ねると「母が亡くなった」という。
それでも海に入るのは、ハードな医師という仕事の疲れを癒すために、大きな海の懐に抱かれ波を待つのだろう。
津波の後、結婚し子供も生まれた。男の子だ。母親の名前の一字を取り、命名したという。子煩悩な父親の顔で、私の妻に「この子を抱いてやってください」といった。
私の妻も、胸に迫るものがあったという。
周囲の山の頂が紅くなり始め、麓まで秋が下りてくるのは間もなくだ。
耳を澄ませば、遥か海の彼方から、チェロの演奏が聞こえてきそうな、そんな気配が感じられる、今朝のとどほっけ銚子ビーチだ。