半藤利一さんの幕末史を再読している。読むのは蒲団に入ってからだ。
昨年熟読したはずなのに、読み落しはあるものだ。
P-365に、勝海舟の母と妹の墓は、静岡県の蓮永寺にあると書いていた。
目が爛々と輝き眠れなくなったのだ。
昨年函館市は開港150年を向かえた。それを機に昨年末から開港前後の日本の歴史に関する本を読み始めた。勝海舟も読みその人柄に興味を抱いた。
荒海のサクラマス釣りに出る時の、私の釣り道具箱には「勝海舟」と書いてある。
咸臨丸でアメリカまで行き無事戻ってきたので、我が船も港に戻れるようにとの願いからである。それに釣り大会では、常に勝という願いもあってのことだ。
驚いたのはお寺の名前である。蓮永寺とは日蓮大聖人の六高弟の一人、日持上人が開祖の寺である。
日持は北方布教を目指し蝦夷が島に渡り、なんと我が村に入ってくるのだ。

この写真の右側、恵山岬の陰にある水無で、海岸にある露天風呂を発見し、日本初の海外布教のため、永仁7年(1299年)6月1日に、この地から唐(中国)の国目指し船出をする。
その際村人にお世話になったというので、姿の美しくとても美味しい魚を大漁させたのだ。
村人は感謝し、法華の上人にちなみ「ホッケ」と名付けたのだ。
唐の国に渡った法華の上人。渡唐法華から椴法華村(椴松が村の木)になったという、伝説があるのだ。
魚のホッケは、我が村から生まれたものなのである。
日時上人もこの写真の朝日を拝み、情熱をたぎらせて大陸を目指したのだ。

これは船出した水無し露天風呂側にある、書の名手でもある日時が書いた「ホッケ大漁の岩」である。
日時上人と椴法華村の地名の由来は、日時上人大伝説研究家の、かわぐちえいこう氏が、追ってブログにて発表することにいたします。
お楽しみに。
昨年熟読したはずなのに、読み落しはあるものだ。
P-365に、勝海舟の母と妹の墓は、静岡県の蓮永寺にあると書いていた。
目が爛々と輝き眠れなくなったのだ。
昨年函館市は開港150年を向かえた。それを機に昨年末から開港前後の日本の歴史に関する本を読み始めた。勝海舟も読みその人柄に興味を抱いた。
荒海のサクラマス釣りに出る時の、私の釣り道具箱には「勝海舟」と書いてある。
咸臨丸でアメリカまで行き無事戻ってきたので、我が船も港に戻れるようにとの願いからである。それに釣り大会では、常に勝という願いもあってのことだ。
驚いたのはお寺の名前である。蓮永寺とは日蓮大聖人の六高弟の一人、日持上人が開祖の寺である。
日持は北方布教を目指し蝦夷が島に渡り、なんと我が村に入ってくるのだ。

この写真の右側、恵山岬の陰にある水無で、海岸にある露天風呂を発見し、日本初の海外布教のため、永仁7年(1299年)6月1日に、この地から唐(中国)の国目指し船出をする。
その際村人にお世話になったというので、姿の美しくとても美味しい魚を大漁させたのだ。
村人は感謝し、法華の上人にちなみ「ホッケ」と名付けたのだ。
唐の国に渡った法華の上人。渡唐法華から椴法華村(椴松が村の木)になったという、伝説があるのだ。
魚のホッケは、我が村から生まれたものなのである。
日時上人もこの写真の朝日を拝み、情熱をたぎらせて大陸を目指したのだ。

これは船出した水無し露天風呂側にある、書の名手でもある日時が書いた「ホッケ大漁の岩」である。
日時上人と椴法華村の地名の由来は、日時上人大伝説研究家の、かわぐちえいこう氏が、追ってブログにて発表することにいたします。
お楽しみに。