函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

辺野古「県敗訴」で大間原発は「函館市勝訴」か?

2019年10月30日 19時52分24秒 | えいこう語る

▼昨年10月、沖縄県知事が国に辺野古基地阻止の訴訟を起こしたが、福岡高裁は県の請求を却下した。沖縄県民がダメといっているものを、国が無理やり工事を行い、それを裁判所までが容認するというのは、もはや我が国の民主国家は、終末期に来ているようだ。

▼「権力分立」という言葉がある。権力が単一の機関に集中することによる権力の乱用を抑止し、国民の権利・自由を保障するシステムだというが、これでは司法・立法・行政の「権力混同」ではないか。

▼沖縄では、すでに最高裁判所のことを「最低裁判所」と呼んでいる。司法はもはや【死法】と呼ばれているに違いない。沖縄県の県歌は、鶴田浩二が歌う「傷だらけの人生」と全く変わりがない。

▼♪何から何まで真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり右を向いても左を見ても ばか(アベ)と阿呆(トランプ)のからみあい どこに男(沖縄)の夢がある♪

▼一度県が承認したのを、新たに玉城知事が却下したとして、訴えたのは沖縄防衛局だ。行政不服審査法に基づく訴えだというから、あきれてしまう。行政不服審査法は国民が訴える権利だ。いくら何でも、行政機関が「私人」であるというのは無理というものだ。

▼福岡高裁は、移設をめぐる埋め立ては始め県が承認し、民間業者も担う事業であるとし、防衛局にも民間人と同じ権利があると判断したらしい。反対する県民には、防衛局の職員が機関銃で、撃ち殺しそうな勢いだ。

▼そこで私が注目するのは、函館市が国に提訴している「大間原発建設中止」の裁判だ。初回は「自治体には人格権がない」、【原告不適格】という門前払いのような対応だった。

▼函館市は約26万人と市民が住んでいる。世界初のフルモックス燃料(ウラニウム+プルトニウム)を使用する大間原発は、事故が起きれば素人が考えても、福島第一原発事故の比ではない。

▼市民の生命・身体・財産の保全が自治体の使命だ。それを門前払いする裁判所は、犯罪を起こすものを擁護するという場所ではないかと、函館市民は多いに憤慨した。

▼もし福岡高裁の判決が認められるなら、函館市の裁判も27万市民が後ろについているので「行政不服審査法」で訴えれば、当然函館市が勝訴ということになりそうだ。

▼というわけで、福岡高裁での辺野古基地移設反対訴訟の裁判は、大間原発訴訟に大きな希望を与えてくれた。だが、アベ総理が任命した最高裁裁判長は「沖縄県は元琉球王国だし、北海道はアイヌ民族の土地だから、憲法解釈は違って当たり前!?」などと、意味不明の判決を出すかもしれない。

▼来年の教科書からは【三権分立】は、姿を消すかもしれない。大きな災害が発生する昨今だが、裁判所までも床上浸水しているような日本だ。いや「ジャポン」だ。

▼正義の味方「月光仮面のおじさん」は、函館市生まれだ。
必ず出没してくれるに違いない。私は、今は東京地裁だが、最後の最高裁に出てくると思う。必ず「後半・公判」に出る。なぜなら作者は川内康範(こうはん)だからだ。

▼このジョークを分かるのは、昭和20年代生まれだと思うけど。11月9日。函館市は市民向けに、初の大間原発裁判の経緯説明会を設ける。そこで、沖縄の判決と絡めた質問をしたいと思う。

▼担当は、海渡雄一弁護士だ。弁護士でもあり参議員でもある、福島瑞穂さんのご主人で、とてもやさしいく優秀な人だからだ。

おじさんたちは混乱しているのだ

2019年10月29日 09時02分12秒 | えいこう語る

▼北海道新聞に「おじさん図鑑」というコラムを連載している、飛鳥圭介さん。世の中の進歩に、なかなかついていけないおじさんたちの哀愁を、軽妙洒脱な文面で「納得だ」と、私たちおじさんを大いに励ましている。

▼1948年生まれだというから、私と同い年だ。私も文章を書きだすと鼻息が荒くなるタイプだ。だが圭介おじさんは、世の中を笑い飛ばす余裕があり、さすがコラムニストだと納得させられる。

▼コラムニストとは「新聞、雑誌などのメディアに掲載される短い文章を主観的な見解を交えて執筆する人のことを言う。コラムとは「円柱形、円筒形または柱状のもの一般をさす。

▼コラムニストというのは、今では一般的に認知されている言葉だが、ではどういう人のことを言うのだと問われれば、説明に困る。私たちの周囲には、多くの外来語が氾濫している。それに対し圭介おじさんは28日の道新に【重大な事故】というコラムを書いている。

▼何か事故があると政府関係者は「これは重大なインシデント・・・」という。なぜ【重大な事故】ではいけないかと息巻く。私の記憶では、この言葉を使用したのは、確か「福島第一原発事故」の時からのように思う。

▼コンプライアンス・レガシー・ガバナビリティー等、巷に外国語が氾濫している。「なぜ日本語で言わないのか(言えないか)。英語が自慢なのか。日本語の語らいが貧しいのか。または、英語で『事』をぼやかしているのか、ウソをついているからだろう。ワシら「日本語標準」の民を、英語で幻惑しようとしてもそうはいかないぞ。なめんな!と、今日は非常に手厳しいコラムだ。

▼続いてエイコウおじさん(私)も息巻く。IR法なんて【賭博推進法】と言え。アイヌモシリ「人間の・静かな大地=北海道」の未来を、賭博場にしていいのか。

▼28日、苫小牧市議会はIR誘致推進を「賛成19VS反対8」で可決した。苫小牧市議会の決議は「全会一致」が原則だ。にも関わらずだ。市民をなめんな!。

▼アイヌ民族は、明治に入ってから自分たちの住む快適な土地を和人に奪われた。鮭がどっさりもどってくる川。周囲の山には鹿もたくさんいる。気候温暖で人間が住むにはこのうえない土地だ。和人の有力者は「日本天皇家の御料牧場用地」に決め、アイヌを住みにくい土地に追いやった。元参議院議員の故茅野茂著【アイヌの碑】に記載されている。

▼IR法とは、和人による第二波の【アイヌモシリ収奪法】という国策ではないか。賭博の寺銭で、道民の経済を潤していいのか。インドのガンジーだって言っているぞ。人間大罪は【理念なき政治・労働なき富・良心なき快楽・人格なき学識・道徳なき商業】だと。

▼おじさんたちは、上流で産卵を終えた鮭のように【横文字川】に流され、やがて絶命することを自覚しながらも、あえて逆らってみるのだ。・・・なめんなよ!シンゾウ。

今がどんな世の中か

2019年10月28日 10時39分41秒 | えいこう語る

▼憲法改正が、国会でも声高に叫ばれる世の中になってきた。メディアも危機感を持ち、憲法学者や政治学者、ジャーナリストたちの解説も多くなってきている。でも専門的過ぎて、他の人に伝えられないというのが多い。

▼文章を生業とする、小説家の意見を聞きたいものだと思う。以前、或る文学学校の校長先生に、小説について聞いたことがある。「小説家とは、世の中の先に起こることを想定して、読者に警鐘を与えるのも仕事だ」というようなことを言っていたのが印象にあるからだ。

▼その時の私の質問内容は、子供が母親を殺しバラバラにして、植木鉢にそれを飾っていたという奇怪な事件があった。自分には理解に苦しむので、作家でもある校長先生は、どう分析するかということに対しての回答だった。

▼ここで思い出したのは、日中戦争開戦前の昭和12年の年頭の新聞に書いた、作家・野上弥生子さんの文章だ。【たった一つお願いごとをしたい。今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。いいえどちらでもよりょしゅうございます。洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、・・・コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。どうか戦争だけはございませんように】。半藤一利著「昭和史」より。

▼その前年の昭和11年。小説家・永井荷風の日記。【日本現在の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なきことの三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行も、これを要するに一般国民の自覚なき事に起因するなり。個人の覚醒せざるがために起こることなり。然(しか)り而(しこう)して個人の覚醒は将来に於いてもこれは到底望むべからざる事なるべし】。半藤一利著「日本史」より。

▼粋でこなれた弥生子おばさま。遊郭をこよなく愛した遊び人の荷風おじさま。共に明治生まれの気骨あふれる、凛とした文章だ。アベ総理にもぜひ読んでいただきたいものだ。

▼ここでアベ総理に一句お願いしたい。
   
    令和とは明治を忘れる人ばかり
              シンゾウ

▼さらに、ここで私が大好きな車寅次郎さんに登場していただきたい。皆さんもご存じのフーテンの寅さんだ。【憲法第9条改正だって。シンゾウ、それを言っちゃおしまいよ】。

▼「もしあの人が健在だったら」という話を書きたいとき「あの人が今も健在であったならばと思う」と、それはそれでいいのだが【その人が世にありせばの思いを深くする】と書けば、雰囲気が違ってくる。文章の手触りがちょっとだけ贅沢になる。もちろんそれが「いらない工夫」にもなる場合もある。逆効果になると思えば、そのときには普通に書けばいい。読売新聞元論説委員の竹内政明著「書く力」より。

▼「今はどんな世の中か」というテーマで、ブログを書いてみたが,私の場合「いらない工夫」が多いように感じる。それでは最後に、自衛隊の中東派兵について、自分の心を素直に句にしてみたい。

   令和元年「海ゆかば」のひそむ国
                三頭下

菅官房長官をちょっぴり解剖する

2019年10月26日 11時29分05秒 | えいこう語る

▼今の日本で冷静沈着な人物と言えば、菅官房長官を思い出す人が多いのではないか。目立たない感じだが、アベ政権を支えているのは菅ではないかと、思わせるほどの安定感のある人物に見える。「影の総理」と言っていいほどの存在だ。

▼2014年の産経新聞の世論調査では、第二次アベ内閣で最も評価する閣僚に菅が選ばれている。ちなみに第2位がアベシンゾウだ。納得のいく評価だ。

▼菅官房長官と言えば、北海道にとっては、7空港の一括民営化を図り、IR法の推進役を担っている作戦本部大隊長という感じだ。大学の後輩で、38歳の鈴木北海道知事を使い【北海道IR大改造計画】なるものを指揮しているというのが、私の印象だ。

▼両生類に近いイメージの菅だが、今の混沌する世に中で、人陰に隠れるようにして、混迷する日本の政治の中で、生きながらえている菅官房長官に、興味をそそわれる。そこで、ちょっぴり解剖を試みてみることにした。

▼1948年生まれとは、私と同年代だ。秋田県秋ノ村出身だという。私も北海道椴法華村出身だ。法政大の二部卒業というが、私も以前「法政平和大学」の通信講座の受講生だったので、なんだか親近感がわいてくる。

▼菅は秋田県出身なのに、酒は飲まないで甘党だという。秋田は酒処なので、これは信用できない。たぶん政治家になってから失敗をしないために、酒を止めたに違いない。相当しぶとい性格のようだ。

▼米国の俳優で歌手で大の酒好きで、シナトラ一家から追い出されたディーン・マーチンは【何の才能もない人に必要なもの、それは勤勉・忍耐・自制心】だと言ったという。

▼言い得て妙だが、マーチンのように、才能が有りすぎるならいいが、菅は「勤勉・忍耐・自制心が長続きの秘訣」というかもしれない。米国と日本の格言の違いを、見せつけられている感じがする。

▼菅は失言が少ないようだ。その理由をアベ親派の政治評論家、田崎史郎は、自分が書いた「安倍官邸の正体」で、こう表現している。菅は元米国国防長官パウエルが書いた「リ-ダーを目指す人の心得」を参考にしていると。

※彼らは質問を選べる。君は答えを選べる。
※答えたくない質問には答えたくなくていい。
※もちろんウソやごまかしはいけない。だが同時にあまり に率直なものあけすけなのもよくない。
※未来に関する仮定の質問には答えないこと。
※上司に内々に提出した自分の意見を語らないこと。etc。

▼菅官房長官は、なかなかの人物のようだ。前衆議員のMに私が次の総理の予想を聞いた。「次の総理は菅官房長官だ。しかし、ワンポイント・リリーフ」だと。

▼田崎の本にはこうも書いている。後藤田・梶山・野中・福田らから、自分が支えている首相を「尊敬している」と聞いたことはない。彼らは、首相を自分と同格か、それ以下とみていた。自分が支えているからうまくやっていけるという、自意識が常に見え隠れしていた。

▼しかし菅は全く違う。「私が気が付かないことが総理には見えている」と、心酔している。菅はもしかして、秀吉タイプなのかも知れない。草履を懐であっためて、自分の出番を着実に、演出しているのかもしれない。

▼だが、菅官房長官は「沖縄基地負担軽減担当大臣」も兼務している。自分のいうことを聞かない沖縄を見限って、基地も経済振興も北海道に持って来ようとしているのではないかと、私の「妄想」のアンテナは感度を増す。

▼北海道苫小牧市に誘致をめざすIR法とは「特定複合観光施設区域整備法」という。菅はそれに【観光の次に軍事】を入れようとしているのではないかという懸念だ。

▼道内での日米軍事訓練が実弾使用になってきた。今年は豪州軍も参加するという。25日には豪海軍掃海艇2隻が、函館港に入港する。

▼大型クルーザー船の入港のためというが、函館駅近くの埠頭を水深12メートルの深さにする工事が行われている。米空母は水深10メートルで着岸できるできるそうだ。北海道の未来は「観光と軍港」が一体化してくるような気がする。

▼1997年8月29日の朝日新聞だ。日米両政府は、日米防衛協定のための指針の見直しをしている。周辺有事の際の空港・港湾の米軍使用も盛り込まれている。

▼北海道は空港は新千歳、港湾は函館と苫小牧だ。菅官房長官が指揮する「北海道IR法」なるものは、やはり「観光と軍事」が一体化する「区域整備法」のようだ。

▼菅官房長官が描く「新北海道振興計画」。酒を飲まないで真剣に北海道の未来を考える、諸葛亮公明のような菅の姿が、クラーク博士の銅像にダブって見えた。

▼最後に酒飲み過ぎの私のコメントなどは控えたい。フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの言葉を引用したい。

    湖に浮かべたボートをこぐように
    人は後ろ向きに未来へ入っていく

※菅官房長官の政治家としての師匠は、自民党衆議院議員故梶山静六。その息子が菅原に代わって、経産大臣に就任した梶山弘志だ。菅の影響力が大きいようだ。ちょっぴり函館市に心配なのが大間原発だ。梶山は元動力炉核燃料開発事業団に勤務していたからだ。

五輪マラソン札幌開催の裏

2019年10月25日 14時22分14秒 | えいこう語る

▼東京五輪の開催は、秋に世界のビック・スポーツ(アメフト等)が開催されるので、五輪放映権料の減少などを考えて、8月開催になったと聞いている。しかし、今になって猛暑対策で、マラソンを札幌に移すことにした。

▼この変更に、北海道にIR(カジノ)を誘致させるため、菅官房長官の指示ではないかと、数日前のブログで「妄想」を働かせた私だ。

▼菅官房長官は北海道鈴木知事の後見人的存在だからだ。道経済連の要望や、苫小牧市議会の誘致要望などが相次いでいる。さらに先日、IR候補地苫小牧市の町会連合会幹部に話を聞いた。

▼「今後ますますの少子高齢化や人口減少に備え、経済の疲弊も考えれば、IRには大賛成だ」という。すでに外堀は完全に埋められている。後は年内の知事の決断待ちだ。

▼五輪マラソンの開催で札幌を、さらに北海道全体を世界に宣伝することで【統合型リゾート(IR)北海道】を目指すという、決意宣言のお膳立ては、着々と構築されているのだ。

▼今日(24日)の新聞の週刊誌の見出し欄だ。週刊新潮が【マラソン札幌移転の裏にカジノ】という見出しがあった。私の「妄想」もまんざらではなくなってきたようだ。

▼ということで、今日のブログを続けようと思ったが、五輪マラソンと同様、ここで勝手に変更したい。どうしても書きたいものを思い付いたからだ。

▼ブログも自由に書けなくなるのではないかという【憲法第21条(表現の自由)】の危機について、すこし書いておきたい。愛知県の国際芸術展「表現の不自由展」については、先日ブログに書いたので省くことにする。

▼「日本芸術文化振興会」が、映画「宮本君から君へ」の助成金決定を取り消しにしたというニュースが入ってきた。出演者のピエール瀧が、麻薬取締法違反で逮捕されたからだという。

▼ここまで拡大し、表現の自由を制限してくれば、憲法など改正されたら、ブログなども間違いなく検閲の対象になるだろう。私のブログを見ていただいている学校の先生は「戦前なら逮捕ですね」と、言ってたことがあるからだ。9条など改正されて軍事国家になれば「想像」することや「妄想」することも禁止されかねない。

▼記憶が定かではないが、歴史学者羽仁五郎の「都市の論理」に書いてあったことだと思う。羽仁は、昭和31年に制定された「売春防止法」に反対し「国が女性の0000まで規制するのはおかしい」と言っていたように覚えている。羽仁が存命なら、出演者の不祥事だけで、助成金の取り消しなどということ自体、憲法違反だと主張したに違いない。

▼「宮本君から君へ」を観てはいないが、この制作会社の代表の河村光庸は、私も観た映画【新聞記者】の企画・制作者だ。問題は「宮本君から君へ」ではない。【新聞記者】への嫌がらせだ。

▼この映画は、東京新聞の記者望月衣塑子さんの、同名のノンフィクションを原案に制作されたものだ。「内閣官房調査室」の陰湿な体質を暴露したものだ。

▼この作品は完全にアベ政権批判だ。政府としては上映禁止にしたかったはずだが、問題が起こりすぎることを懸念し、黙認したに違いない。この映画に対する逆襲が「宮本から君へ」の助成金取り消しに向かったのではないかと、これもまた、私の「妄想」が働く。

▼会議での助成金取りやめになった時の、議事録の公開を求めているという。「モリカケ問題」もそうだったが、議事録をとっていないとか廃棄してしまったとか、最近のアベ政権は、権力の乱用が過ぎる。

▼【新聞記者】の政権批判は見事だったが、映画【記憶にございません】も、アベ政権批判をユーモアで徹底的に笑い飛ばした。このような作品ができる国が続くよう「自民党改憲草案」には反対だ。

▼次の三谷幸喜作品は【記録にございません】ではないかと勝手に推測する私だ。

▼最後にもう一つ「表現の不自由展」開催を阻止しようと、自ら座り込み抗議をした、河村たかし名古屋市長の銅像を、慰安婦像の制作者にお願いして作ってもらいたい。

▼口にはガムテープを張って、題は【表現の不自由展・その後】だ。

   表現の自由に言葉かぎりなく少なく
              三等下(自戒も込めて)