goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

人間関係

2012年11月30日 13時35分56秒 | えいこう語る
ここ数日、天候が安定していない。
私の村の天候は、室蘭方面の天候とほぼ同じだ。天気予報は室蘭を基準として生活している。
先日、私の村も大いに荒れたが、室蘭では突風で送電線の鉄塔が倒れ、停電が数日続き人々の生活は、困窮を極めているようだ。
私の子供の頃、停電はよくあった。風が強く吹くと裸電球の光量が薄くなったり濃くなったりして、間もなく停電があることを知らせた。ロウソクやランプはすぐ灯すことができる位置にあった。
今の停電は、サドンデスだ。世の中の終わりが突然やってくる恐怖感がある。
しかし、どんな夜中でも電力会社の作業員の復旧活躍で、我慢できる範囲内で点灯する。
陰で支える人々の労苦に対しありがたいと思うのだが、原発事故での電力会社の不誠実さが脳裏の前面に出る昨今は、電気料金を支払っているので当たり前のような感じを抱く。
しかし、室蘭市の長時間にわたる停電で、人々の生活の復旧のために寒波と吹雪の中で、懸命に復旧作業を展開する方々に、思いを馳せないわけにはいかない。
そう思いながらも、電力会社内部では、これで電気の有り難味を実感し、原発再稼動に利するような展開になるなどと、内心喜んでいやしないかと、つい邪推を働かせてしまう。
原発再稼動を主張する政治家同様、私も悪魔の心を持ってしまったようだ。
※村には今日も雪がちらついている。


寒風吹き荒れる中、一人の見知らぬ老夫人が「コーヒー飲みたいんだけど、いいべが」と店に入って来た。
完全な津軽弁だ。青森の三厩(みんまや)から、私の村の、ある家に滞在しているという。その家では老夫婦が二人で暮らしていたが、今月初めにご主人が亡くなり、私も葬儀に参列している。
奥さんが一人ぼっちになったので、49日まで滞在しているという。
自分が住む三厩のアパートの隣の部屋に、老婦人の長女夫婦が引越ししてきた。自衛隊員のご主人の転勤だったそうだ。生まれたばかりの子供がいたので、そのおばさんは親代わりのお世話をしたのであろう。それから長い年月が経っても親戚づきあいをしてるという。長女のご主人は退職されたが、現在函館に住んでいる。冬になると両親を函館に呼び、あたたかな春になると両親は村に戻るという生活を繰り返していたそうだ。青森のおばさんも一人暮らしなのであろう。毎年暮れには函館の家に招待され、みんなで正月を迎えるという。
葬儀の時の様子を思い出した。50代後半の長女は終始泣き崩れ、今にも倒れそうな気配で、参列者も心配していたに違いない。
「ここの家の父さんは、とっても気持ちのやさしい人だったから、娘さんが悲しむのもわがるな」と、参列者の声を私も聞いていた。
「おめが泣ぐのをやめねば、父さんが心配して、いづまでたっても成仏でぎないんだよ」と、おばさんはいったそうだ。
「あの父さんは本当に心のやさしい,ほどげ様のようないい人だった」とおばさんはしみじみ語った。
私は亡くなったおじさんのことはあまり知らないが、その奥さんはよく知っている。水産加工場で男性従業員の炊事を担当しているが「わがい者はみんな腹減らしているので、自分の金でおかずを買って食わせでいるんだ」といっていたのを、本人から聞いたことがある。
このご主人がいてこの奥さんがいる。
昔このような人たちが、この村にはたくさんいたのだ。
家族が一つ屋根の下で、裸電球の下で集っていた頃を思い出した、心あたたまる津軽のおばさんの話である。


公開討論会

2012年11月29日 13時29分30秒 | えいこう語る
小雨降る中、函館市内で開催された、衆議選北海道8区の公開論会を聞いてきた。
歳末も近づき、経済の混迷が続く中での、展望なき解散選挙だ。不況の函館駅前に吹く風も、身震いするほどの寒さだ。
開始までの時間、ちょいと立ち飲み酒屋へ。噂はもっぱら今日の公開討論会のことだ。生活者の視点は、テレビの評論家より的を得ている。各候補の経歴などは、親戚や交友関係、なぜか小さな頃のエピソードまで含まれ、面識のない候補者の人物像に、血が通ってくるようだ。
街中でのインタビューがあるが、取材はこのような場所が、キラリとした情報が得れることを、マスコミ関係者にも知らせてあげたいものだ。
話に引き込まれている間に、ビール大瓶2本、セロリの漬物、湯豆腐で、1,050円の会計になった。
ほのぼのとした巷の政治談議。三波晴夫の「♪チャンチキおけさ」の世界は、永遠に不滅なのだ。
普段の私なら、その話題に入り込んでしまうのだが、このような場所は縄張りや仁義というものがある。よそ者が縄張りに入り込ませてもらっているのだ。私は客が増えるごとに隅に移動し、居場所の確保を許してもらった。
300名限定の会場は、半分ほどしか集まらない。
寒さと小雨のせいではない、今のようなわけのわからぬ政党の乱立に、国民はあきれ返っているからだ。
※函館市消防音楽隊が村にやってきた。心を一つにした良い演奏会だった。声高に火の用心を叫ぶより、音楽が何よりも火の用心を語る。


民主、自民、共産、生活第一の4人の候補、それぞれ発言内容は高得点だ。
この中で、私が成績をつけたら、共産がトップだ。
共産は“ぶれない政治が我が党の特許”と強調する。
戦前戦後を通して、ぶれないというのは果たして有権者の心をつかむだろうか。
時代の変化に応じた政策というのもあるのではないか。イノベーションが足りず古さが目立つと思われてはいないか。
選挙広報は“電通”に頼み、党名を変更し流行語対象の候補にノミネートされるぐらいのキャッチフレーズであれば、大躍進は間違いないと思う。
討論開始前に隣に座った男性に話しかけたら、やけに政治に詳しい方で、4人の候補の特徴をひじょうにわかりやすく、かつ簡明に解説してくれた。
壇上でこの男性が話してくれても、充分なくらいだった。
ということで、討論会直前に貴重な情報が収集でき、討論会の内容から票を入れる候補者も決定した。
会場の近くには、中学の同級生がママをしているスナックがある。
雨宿りにちょいと立ち寄った。
実は昨日、中学の同級生の告別式が私の村であり、私が友人代表で弔辞を読んできたのだ。
ママはそのことを知らなかったので、弔辞の内容を話したら涙を浮かべていた。
彼女は子供の頃から笑顔が素敵だった。漁師の子として生まれ、明るさと気風のよさは天性だ。客は年配者が多いが、誰にも平等に接する。横で眺めていても、彼女が老人施設の理事長になってほしいと思うぐらいなのだ。
私とママの幼馴染が、今日浄土へ旅立った。
「ママ、今夜はK君のために、二人で“北空港”をデュエットしよう」というと「飛行機であの世に旅立つのもいいね、二人の歌で送ってやろうね」・・・。
歌い終えてママと握手をし、外に出た。氷雨が降っていたが、心は妙にあったかかった。
その真夜中、火災報知器が作動し飛び起きた。家中を確認したが異状はない。
きっとK君が、弔辞とママとの歌声のお礼に来たのだろうと思った。
朝刊には、昨夜の討論会が掲載されていた。
でも私は、どの候補に決めたのか判明がつかなくなっていた。
一瞬先は闇というのが、今の我が国の政治なのだろう。


今夜は、ちょいと寄席へ

2012年11月28日 14時31分20秒 | えいこう語る
宇宙人といわれた元鳩山首相、あっさり政界を去ってしまった。
権謀術数のうごめく泥沼の政界には、ハト派の丹頂鶴は住みづらかったようだ。
民主党結成時は、その白い羽を何枚か抜き、犠牲を払って築城費用を捻出した。その功績を称えられ城主に上りつめたが、ハト派の丹頂鶴では日米の空を自由に飛来することはできなかったのだろう。
羽を折られた感じだだったが、自分の田んぼには餌のドジョウがいる。
だがこのドジョウ、次々約束を違えしぶとく逃げ回っては、上品な丹頂鶴はなかなかドジョウを捕らえれない。
諦めて住みなれた田んぼを離れ、理想の土地へと飛び立たなければならなかったのであろう。
私は、政界の泥沼で2羽の丹頂鶴を見たことがある。
一羽は熊本城主時代の、細川元首相だ。
先祖代々の美田には、餌のドジョウがたくさんいた。慌てて食べなくてもいいという、そんな余裕を感じた。鶴というよりは、掛け軸の中に描かれている白鷺の風情だった。
掛け軸から抜け出永田沼に住んだが、この沼のドジョウは殿の口には合わぬ、不味いものだったのだろう。
もう一羽は、東京生まれで田んぼが北海道の、鳩山さんだ。
長靴を履いて田んぼに立っても、やはりアルマーニーを着た丹頂鶴の風情だった。
民主党城主の時代、一度酒を飲んだことがある。
「国旗・国歌の制定で、やがて教育現場での強制が始まるのではないか」というと「政権交代で数が増えれば、様々なものを決定すことができる。今ある法律も変えることは可能だ」そう気軽に答えたのが、唯一心に残っている。
※カルガモ一家を写そうと思ったら、、回転寿司チェーンのトラックが橋の上を通った。


昨日、滋賀県の嘉田知事が「日本未来の党」を立ち上げたようだ。
政党乱立で離合集散を日毎繰り返し、脱原発を一体のどの党が真剣に考えているのか見えなくなってきそうな、五里霧中の我が国だ。
数合わせの政治マジックに惑わされていれば、私たち国民は、選挙後霧が晴れた途端、崖っぷちに立たされかねない。
3:11後の政界は、永田町の原子炉の燃料棒も異常をきたし、制御棒が入らない状態らしい。戦後67年の永田町原子炉も、どうやら耐用年数が切れたようだ。
廃炉にするのはいいが、廃炉の技術が確立されていない状況では、国家存亡の危機だ。
今の政局は、足し算引き算のレベルで、掛け算割り算のレベルに達していない気もする。
♪こんな日本に誰がした・・・などと口ずさみながら、ハト派の丹頂鶴さんではないが、どこか理想の土地に向かって、飛び立ちたい気がする。
今日は我が選挙区の、民主・自民・共産の候補者による公開討論会がある。
ちょいと一杯引っかけて、寄席で政治漫談でも聞く気分で、出かけようと思っている。


函館市長室

2012年11月27日 10時08分35秒 | えいこう語る
昨日、市長室を訪ねてきた。
8年前函館市と合併した、旧戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町の4地区の町会連合会長が、市長に大間原発建設反対の要望書の提出をしてきたのだ。
合併前であれば、各自治体の首長や議会議長が行ったのだろうが、今はその役割が町会連合会長になったのだ。
間接民主主義に慣れ親しんだ私たちにとって、直接民主主義のぬくもりを実感できた一齣である。
とかく市町村合併のマイナス面しか見えなかった今までだったが、旧4町村が広域で手をつなぎ行動したというのは、今までになかったことである。
これを機会に、市民自治という観点にたった行動が展開できる、そんな可能性を感じた市長室訪問だ。
※市長室で。


そこで私が感じた函館市役所像である。
市長は人任せにせず、自分で決定するという、責任感は旺盛のようだ。その強さ、時として過信につながらなければと、ちょっぴり心配する。戦略会議を持ち、発言を自由にさせじっくり作戦を練ることが必要な気がする。
城の中でも大将が鎧兜を身につけ、いつでも戦いの準備をしているが、城内ではそれほどでもないというような、リラックス感が漂っていた。函館で最大の建築物である市庁舎。津波にも地震にも安心・安全な城に閉じこもって、市民目線で考えられるのかという感じが、ちょっぴりする。
市役所の玄関を入ると、吹き抜けの巨大なロビーがあるが、私は訪れた市民を大口を開け、飲み込んでしまうような怪獣のような感じがする。
鯨に飲み込まれる大量のプランクトン、そんな感じも受ける。
さらにいえば、虎の威を借りる狐が住んでいそうな気もするのだ。
市民が相談に来る建物としては、謙虚さにかけているとも感じる。
この建物の設計者は、市民の立場より役所の立場で設計した、そんな感じがしてならない。
などと勝手な思いをめぐらせていたが、私の地元の中学生が「海の町に住んでいて、前浜がすべて遊泳禁止になっているというのは、会長さんが学校に来て話してくれる、ふるさと学習にはなりませんよね」という、苦言を思い出した。
教育委員会に向かい、部長にお会いし、すべてを禁止しないで遊泳場所の確保をしてほしいとお願いしてきた。
部長は若い頃、まちおこしの会議などでよく一緒になった仲間だ。
大岡裁判をしてくれるに違いない。
それにつけても、公園のようにくつろげる役所を設計できないものかと感じてきた、連合町内会長としての、初めての函館市長室へのお使いである。


嘘ついた

2012年11月25日 10時49分37秒 | えいこう語る
考えてみたら、この頃嘘をつかなくなってきたようだ。
それは行動範囲が大きな理由のようだ。
若い頃は、あちこちと外に出る機会が多かった。今は家にいて、妻といる時間が多くなったので、嘘をつくことがなくなったような気がする。
嘘には罪悪感が付きまとうが「美しい嘘」などというのもある。
相手の気持ちをおもんばかっての嘘だ。ついたこともあるような気もするが、思い出せないから、たぶんそんな粋な嘘など、数が少なかったのだろう。
※捌いた魚の残りは、カモメの朝の食卓へ。小林幸子に「嘘つきカモメ」というのがあったのを思い出した。


昨日、ちょっとした嘘をついてしまった。
前日鰯がとれたので、下ごしらえをしておいた。夕食にニンニクとパセリとオリーブ油をたっぷりふりかけ、白ワインでいただこうとコンビニへ入った。
その時のレジ嬢との会話だ。
私たちの年代になると、若いレジ嬢のロボットのような定番の会話が、どうもしっくりこない。こんな経験は今に始まったわけではないが、大きな事でいえば、美しい日本語が崩壊しそうで嫌なのだ。
客の私たちが、ベルトコンベアーにでも乗せられたようで、その業界用語にそって、処理されてしまう感じがするからだ。
そんな気持ちがあるので、コンビニやファミレスのレジに向かうと、軽い緊張が走る。そういう私も、コンビニやファミレスなどという、言葉を使っているので、すでに相手の手の内に入ってしまっているのだろう。
ワイン一本を持ちレジへ。
「いらっしゃいませ、ようこそ00へ」「千円からでよろしかったですか」
千円から、何で“から”なんだと、いつもの怒りにも似た感情が湧く。
「千円お預かりします」だろうと、つい心に棘が立つ。
でも、そこは訓練されていて、若いレジ嬢は笑顔だ。ここでオジサンは諦めてしまうのだ。
ところが、最近気になる、酒類を購入した時のタッチパネルがない。
「あれ、タッチパネルはないの」と聞いた。「当店にはそのパネルは置いていませんが」という。
「いや、私はいつもワインは、00コンビニの品揃えが気に入って、買う事にしている。00町の店ではタッチパネルを置いているぞ」という。
「いや当店では、置いていませんが」と切り返す。
「いや、いつも購入する私がそうだといっているのだ。ここだけが置いているのではないか」と語気を荒げる。
「申し訳ございません。気づきませんでした」と相手は頭を下げた。
私は会話の途中で、このコンビニチェーン店では、タッチパネルがないのに気づいていたのだが、普段の不満を晴らすため、軽い嘘をついてしまったのだ。
私が店を出た後の、レジ嬢たちの会話は想像がつく。
でも、普段負けっぱなしの私だが、一本取った気がし、昨夜の白ワインはちょっぴり辛目で、鰯料理にはぴったりだった。
言い忘れたが、昨日は今季最高の寒気だったので、隣町の縄文露天風呂からの帰りの出来事だ。
身も心もあったまっていれば、軽い嘘の1つも出やすくなるというものである。