環境決定論というのがあるが、人は住んでいる環境で、考えが左右されるようだ。
その環境に合わなければ住みにくい。だから気がつかないうちに、環境に適応してしまうのである。
でもその環境が、自分にとって快適でなければどうしたらいいか。
その環境から逃避するか、その環境を住みやすいように作り変えなければならない。しかし、作り変えるのは至難の業だ。
結婚に例えてみるとよくわかるが、我慢して環境に慣れさせられるのが、女性だ。
我慢できなければ、離婚という解決法しかない。その時子供の心に、大きな傷を負わせることが多い。自分のお腹を痛めた子供である、母性本能が働き、好むと好まざるに係わらず、環境に適応せざるを得なくなるのだ。
女性はつらい。しかし、男性もつらいのである。妻子を養うため、決して適した環境でない職場でも、我慢をしなければならないからだ。
長い人生、お互いつらいのだ。そのつらさも繰り返すことで麻痺してしまい、慣れて暮らすのが夫婦なのかもしれない。
「似たもの夫婦」とはよく言ったものである。似なければ暮らしていけないのだ。
しかし、お互い元は他人同士である。それぞれ別な環境で育ってきたので、価値観は多様であることの理解は必要である。
※トドホッケ村で、一番湘南ぽい場所。

前置きは長くなったが、私は家の前は海で、後ろは山という田舎で育った。
妻は、函館市の駅前生まれで、港函館が活気に満ち溢れ「百万ドルの夜景」が一番美しかった時代に育った。私の子供時代、確かに函館は大都会だった。
自分はマチ育ちであなたは田舎育ち、そんな思いは三つ子の魂のようだ。
私は田舎育ちを自慢しているので、それは問題にならない。
しかし、夫婦としての付き合いも長いが、妻がいまだに理解を示さないものがある。
私は方向を訪ねられると、海側を走ってとか、山側の方にあるとか、海と山でその目標を表現する。それを妻が田舎くさい表現だと、いまだに注意する。
東京に出かけた時も、私は目的の場所が、海側の方とか山側のほうだというが、妻は「馬鹿じゃないの」という。私の感覚では、それでいいのだが。
先日、神戸市内の大丸デパートがテレビに出ていた。
そこで発見したのだ。
店内の方向表示板が、海側・山側となっているのだ。
神戸では北側が六甲山で「山側」、南側が海だから「海側」なのだ。
妻にそのことを伝えると、返事はなかった。
「やったね」と思った。神戸から比べると、函館なんて田舎マチだよな、という私の勝ち誇った気持ちである。
とはいえ、私も平成16年の市町村合併により「函館市民」になったのだ。
田舎者から田舎市民になったような気がして、なんだか苦い思いがしてきた。
その環境に合わなければ住みにくい。だから気がつかないうちに、環境に適応してしまうのである。
でもその環境が、自分にとって快適でなければどうしたらいいか。
その環境から逃避するか、その環境を住みやすいように作り変えなければならない。しかし、作り変えるのは至難の業だ。
結婚に例えてみるとよくわかるが、我慢して環境に慣れさせられるのが、女性だ。
我慢できなければ、離婚という解決法しかない。その時子供の心に、大きな傷を負わせることが多い。自分のお腹を痛めた子供である、母性本能が働き、好むと好まざるに係わらず、環境に適応せざるを得なくなるのだ。
女性はつらい。しかし、男性もつらいのである。妻子を養うため、決して適した環境でない職場でも、我慢をしなければならないからだ。
長い人生、お互いつらいのだ。そのつらさも繰り返すことで麻痺してしまい、慣れて暮らすのが夫婦なのかもしれない。
「似たもの夫婦」とはよく言ったものである。似なければ暮らしていけないのだ。
しかし、お互い元は他人同士である。それぞれ別な環境で育ってきたので、価値観は多様であることの理解は必要である。
※トドホッケ村で、一番湘南ぽい場所。

前置きは長くなったが、私は家の前は海で、後ろは山という田舎で育った。
妻は、函館市の駅前生まれで、港函館が活気に満ち溢れ「百万ドルの夜景」が一番美しかった時代に育った。私の子供時代、確かに函館は大都会だった。
自分はマチ育ちであなたは田舎育ち、そんな思いは三つ子の魂のようだ。
私は田舎育ちを自慢しているので、それは問題にならない。
しかし、夫婦としての付き合いも長いが、妻がいまだに理解を示さないものがある。
私は方向を訪ねられると、海側を走ってとか、山側の方にあるとか、海と山でその目標を表現する。それを妻が田舎くさい表現だと、いまだに注意する。
東京に出かけた時も、私は目的の場所が、海側の方とか山側のほうだというが、妻は「馬鹿じゃないの」という。私の感覚では、それでいいのだが。
先日、神戸市内の大丸デパートがテレビに出ていた。
そこで発見したのだ。
店内の方向表示板が、海側・山側となっているのだ。
神戸では北側が六甲山で「山側」、南側が海だから「海側」なのだ。
妻にそのことを伝えると、返事はなかった。
「やったね」と思った。神戸から比べると、函館なんて田舎マチだよな、という私の勝ち誇った気持ちである。
とはいえ、私も平成16年の市町村合併により「函館市民」になったのだ。
田舎者から田舎市民になったような気がして、なんだか苦い思いがしてきた。