函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

雪が無いけど寒さの厳しいクリスマス

2007年12月25日 16時32分15秒 | えいこう語る
昨日はクリスマスイブ。サンタが町にやって来て、屋外の灯油タンクを満タンにしてくれたら、どんなに世の中が明るくなるだろうと思わず考えてしまった。
朝起きると室内の空気が冷っとし、居間のカーテンを開けると、庭の石楠花の葉が傘をすぼめた様に細っそりなっていた。
冬場になると石楠花の葉の萎れ具合を見て、シバレ度を感じる習慣が我家にはある。温度計を見るより、自然の状態を見て判定できるのが楽しみだ。
石楠花は花より葉を見て楽しむ木だと思っている。花になる前の蕾は摘んだほうが葉が大きく、艶もいいように思うだ。
外に出てみたら、周囲の山の頂上付近には雪が降り積もっていた。
活火山の岩だらけの山は、シュークリームに白いシュガーをまぶしたようで美味しそうだ。
隣の丸い山は、白髪混じりの親父のゴマ塩頭のように見える。
海岸に突き出ている屏風のような山は、山水画のような美しい雪景色になっていた。
冬景色三部作を見ているようで、田舎の自然美術館も時々素晴らしい作品を展示してくれる。
お昼から函館市に買い物に出かけた妻が夜7時に帰って来た。街はクリスマスソングが流れ、買い物客で賑わっていたと話していた。
白ワインとローストビーフ、それにマグロの刺身を買ってきてくれた。今朝の雪景色を見て、たまに白ワインが飲みたいと思っていたのが顔に出ていたのだろうか?
蒲団に入る時窓から海を見たら、烏賊釣り船が6隻、灯りを燈していた。すでに船を陸に上げてしまった漁師もいる。船内で烏賊を箱詰にする作業を想像したら、思わず身震いしてしまった。
今日はクリスマスの朝。
庭の石楠花の葉は、昨日の朝より寒さが緩んでいるのを知らせてくれた。
冬の空は、心が弾みそうなスカットした青さだった。海岸に出てみると断続的であるが、形のいい波がきれいに押し寄せている。サーファーが4人歓声を上げ波乗りを楽しんでいた。
「今年最後の良い波に乗れてラッキーだね」と若者達に向かって、心の中でつぶやいた。
家に戻ってきたら、隣のおばさんが鱈を1匹届けてくれた。
茨木県で働いている息子さんが今夜帰って来ると言う。その息子さんに活きの良い鱈の刺身と三平汁をこしらえてやるに違いない。
「母さんの料理は日本一美味い」と、隣の息子さんは若い時から言っていた。
寒気も入るクリスマスの今夜、隣の家では本州と北海道の話もご馳走になって、老夫婦の久しぶりに元気な笑い声も聞こえてくるだろう。


温か味の感じられない首相だ

2007年12月23日 09時48分11秒 | えいこう語る
薬害C型肝炎をめぐる訴訟の和解案が舛添厚生大臣から発表された。原告の患者側が要望する「一律救済」とかけ離れた内容で、原告側はそれを拒否した。
国側は投与の時期により線引きを示したからだ。
83年に投与を受けた大阪の原告は、自分は適用外で切り捨てられる事を知り、驚愕したと話している。
C型肝炎は肝硬変から肝臓ガンにかかる可能性が強い。出産や手術で止血剤として使われたため、何の罪もない人たちが知らずにかかってしまっている。
しかも日本で使用が認められた時には、すでに米国では危険性を指摘していたと言う。製薬会社と、厚生省がどんな基準で許可しているのか、患者を実験台として扱ってやしないか疑いたくなる。
私も大きな手術を3度受けた。その都度医者の説明を受けたが、ほとんど内容は理解できなかったし、万が一危険な状態に陥った時は「ナントカと言う新薬」を使ってもいいかと言われ「使ってもいいですよ」と簡単サインしてしまった事もある。
明日は戦場に出向く身、じたばたしても無駄だと思うし、とにかく「先生様お願い申し上げますだ」と言う、あなた任せの気分になってしまう。
もし自分がC型肝炎にかかったら、肝臓ガンになり死ぬかもしれない恐怖に耐えられないと思う。
舛添厚生大臣も線引きの和解案を発表した後、隣の部屋に待機している原告たちに会わず、ドロボウ猫のように別のドアから逃げた。
和解案の他に30億円を増やし、その配分は原告側に任せ責任を転嫁するなんて、それで済むと思っているのかと無性に腹が立った。
それにも増して腹が立つのは、福田首相である。原告側との話し合いすら拒否していると言う。「こんなもんでいんじゃないの」と言うような、一件落着と決め込んでいるように見える。
北朝鮮の拉致被害者の家族との会談でも「私をそんなに嫌わないで下さい」と、ふざけたことを言っている。拉致問題などにはかまって居られないというような素振りだ。
拉致家族の誰かが「首相、北朝鮮を訪問してください」と言っても「私はあの書記長は嫌いですから行きたくありません」とでも言いそうな雰囲気だ。
内閣の支持率も30%を切りそうになった。その責任について聞かれても「私はやりたくて首相をやっているのでは無く、誰もいないから皆がやってくれと言ったのでやっているんですよ。何時辞めてもいいと思っているんですから」と、軽くいなされそうである。
何を言っても、味も塩っけも無い首相である。狙撃されても弾が通り抜けて、死なないタイプの様だ。
2008年は徐々に大連立が政治の本流になり、政治家が責任感と節度を忘れ、曖昧な日本をとり越して、無責任な日本になりそうな気がしてならない。
小泉・安倍・福田氏を風刺する「ザ・ニュースペーパー」と言うコミック集団のコントをテレビで見て、そんなことを思ってしまった。
このコント集団にも政府の圧力がかかっているそうだ。的を得ているから圧力をかけるのだろう。


人を殺した夢を見た

2007年12月21日 08時23分35秒 | えいこう語る
色んな夢を見てきた。自分が殺されそうになったのは何度も見ている。
大抵は殺される前に目が覚めて、今まで死んだ事は1度も無い。いくら夢でも何度も殺されたら、長生きは出来ないだろう。
先日生まれて初めて若い女性の首を手で締めて、殺してしまった夢を見た。
女性は30代で、母親と部屋にいたところを、私が母親の前で殺してしまったのだ。反抗が行われている間、母親は声一つ上げない。女も何の抵抗も無く私に絞め殺されてしまった。
私はこれから20年は服役するだろうし、刑務所の中で死んでしまうかもしれない。なぜ殺してしまったのだろう、と考え始めた時目が覚めた。
夢は自分の心の中にある、潜在意識の表れだと思っている。そこで最近何時もと変わったことがなかったか、じっくり考えてみた。
30年程前に、私は母親と一緒に庭造りに精を出した。
ハチマキし地下足袋を履いて木を剪定し、小さな木や庭石の配列も妥協をせず、何度も掘り返しては納得するまでやった。休みの日には、早朝から日暮れまで庭造りに力を注ぎ、その時分は日暮れがもっと長ければよいと思ったものだ。
4~5年続いたが、そのうち別な事に興味を持ち、庭造りは母親に任せてしまった。文句言いながら母親は一人で庭の手入れをしていたが、持病の腰痛が悪化し、それでも草取りだけはこまめにしていた。その母親も2年前に亡くなった。
庭は笹も伸びて荒れ放題になり、今年の夏にはスズメ蜂が巣を作ったらしく、大編隊が飛び交っていた。
笹は冬場に水分が無くなり刈りやすいので、12月に入ってから根性を入れ替えて、庭の再生に本腰を入れた。30年も経つと小さな木もかなりの高さになる。
あらかじめ切り倒す木に目印をつけ、チェンソーの名人を頼んだ。 
周囲を見渡し何処に倒すか判断すると、他の木や隣の家に倒れないように的確に処理していく。風船を置いてその上に倒せと言ったら、ほぼ完璧に風船を割るだろう。林業に携わる人にとってチェンソーは、単なる機械ではなく身体の一部になっているようだ。
持ち運びやすいように手早く輪切りにされる木を見て、30年近く生きていたのに、こちらの都合で突然命を奪ったような、淋しい気分になってしまった。
たぶん私が絞め殺した女性は、倒された木であって、そこにいた母親は、私の母であったような気がした。
「あんたが手入れすれば切らなくても済んだものを」と母が無言で囁いたような気がした。


予知能力について

2007年12月17日 16時06分13秒 | えいこう語る
16日の朝日新聞日曜版に、カマキリがその冬の積雪量を予知し、秋に木の葉に卵を産むという記事があった。
卵を産む位置が高ければ鳥に食べられ、低いと雪に埋もれるからで、積雪ぎりぎりの高さに産み付けるという。童話に出てくれば死神のようイメージを持たれる、カマキリの得意技に驚いたが、その名の語源はギリシャ語で「預言者」だと言う。
「山道を歩いていたら、2メートルもある大きなカマキリが現われ、お前の命は後1ケ月しかないぞと言われると、私は妙に納得してしまった。」
こんなストーリーがふと浮かんだ。古代人が「預言者」を連想したのは、納得のいくところだ。
ところで私の周りの「予知能力的」なものを考えてみた。
カラスが一箇所に群れなし、何時もと違い低くしゃがれた声で鳴く時、私の村のカラスは「死の預言者」になる。実際、そんな時には死期が迫っている人がいたりするので、確率は相当高い。
数年前までは、墓参りには多くの食べ物を供えた。それがカラスのご馳走になり、放り投げた物を空中でキャッチすると言う芸当も見せてくれた。今はお墓の清掃が徹底され、食べ物は持ち帰る習慣になった。カラスの世界では、お盆の墓参りも今では楽しいイベントでは、なくなって来ているように感じる。
先日墓参りをした。墓地には誰もいなかったが、鈴(りん)を鳴らすとカラスが何処からともなく飛んで来て、高い木の上で待機している。
団子を空中に放り投げると、グライダーのように飛行して空中でキャッチした。さすが技は鈍っていないなと感心した。
夏に蝉を追いかけ、空中では捕食する事もたまに見ることもあるが、その蝉さえも自然林の伐採などでかなり減少している。
そのうちカラスの空中キャッチも退化していくのだろうか。それとも子供やお年寄りの弱者を狙う習性を身に付けるのだろうか。時々そんないたずらカラスを見る事があるので心配である。
「予知能力」は「匂い」が関係するような気がする。カマキリは秋の風の中に雪の匂いを、カラスは人間の死臭を未然に嗅ぎ分ける力があるのではだろうか。
最近は様々な分野の消費動向は「清潔」がテーマで、経済を底上げしている傾向がある。その行き着く先は「潔癖」と言う名の「差別」が経済の大原理になりはしないだろうか。
賞味期限の問題も、少し過ぎても自分の舌や鼻で判断する能力があれば良いという世代もあるが、期限過ぎると絶対食べないと言う世代もある。
干した焼き魚の味を腐っていると言う者もいれば、その臭味が美味しいと言う者もいる。
最近干した鰈を焼いて食べると「カレイ臭」なんて冗談ともつかない言葉が脳裏をかすめるのは、ちょっぴりやるせない。
後10年もすれば世界中が高齢化社会になる。
「住みにくい世の中になる」と言う「予知能力」だけは確実に持っている、団塊世代の私である。


最上川の鮎をいただいた

2007年12月14日 15時35分32秒 | えいこう語る
今年2度目の風邪を引いた。最初は6月で、3日間寝込んだ。12月の症状は、身体の節々が痛み、咳が止まらない。今日で1週間になる。
風邪など引く奴は、精神がたるんでいると長い間思っていた。
「自分が若い頃は、風邪引きそうだと思うと、銭湯に入ってからビールを飲んで、外を走ってくれば治ったものだ」と豪語していたが、もうこんな鼻息の荒い台詞は、いくら酒が入っていても言えなくなってしまったようだ。
そんな理由で、晩酌には2日程休暇をあげて休養させてやった。休養も後1日延長してやるかと思っていたら、昨夜用事を済ませ家に戻ると、町内のSさんが、最上川の鮎を届けてくれたと妻が言う。
「五月雨を あつめて早し 最上川」なぜか芭蕉の句が浮かび、川の中に泳いでいる無数の鮎を連想する。
「2本塩焼きで、残りは冷凍庫に」板長の指図がすばやく飛んだ。
「自分でやってよ。私は川魚が嫌いだって、嫁に来た時から言っているでしょう」・・・板長は無言で鮎を焼く。
腹子を持った姿の美しいのが2匹皿に並ぶ。塩のふり加減も絶妙だ。2匹だから銚子2本だ。
「風邪引いてるくせに」と言う妻の言葉は、すでにそよ風の囁きに等しい。
鮎釣りの解禁は関東では6月20日頃で、9月過ぎると産卵のため河口付近に上流から下りてくる。それを落ち鮎とか、色が黒ずむから錆鮎と言う。鮎の肌に錆を見つけると、竿納めの時期が来たと釣り人は感じると言う。
球磨川の鮎釣りを旅行中のバスに中から見た事があるが、腰まで川につかり長い竿を持っている釣り人の姿は、日本の情緒溢れる風景である。
私も小学校高学年の時、祖父の弟の転勤先に遊びに行き、友釣りをさせてもらった事がある。塩焼きの記憶は無いが、川原での「ごりの味噌汁」は、まずかったという記憶がかすかにある。鮎を食す時必ず思い出す、生涯でただ一度だけ鮎釣りをした、私のセピア色に近い思い出の一つである。
鮎をいただいたSさんは、山形県の生まれで東京に暮らし、奥様の故郷であるこの土地に、数年前に引越しされてきた。
焼酎を飲む人ばかりで、日本酒の相手が居ないと私に白羽の矢が立ち、ご自宅に招待された。何時も4~5種の日本酒を用意し飲み比べる。その説明と酒の美味さは、ソムリエのようで、とにかく注がれる酒は美味すぎる。
鮎のお礼の電話を入れると、早く風邪を治し、また美味しい酒を飲もうと言う。
酒ばかりではなく渓流釣りも名人のSさん。最上川の中に潜っているような気分での、鮎談義になるに違いない。
確か鮎の腸の塩辛で「うるか」と言う酒の肴もあったし、Sさんに言えば、手に入るかもしれない。・・・そうだ、海鼠の腸の「このわた」も、鰹の腸の「酒盗」もいいな???
どうやら最上川の鮎の塩焼きから、私の風邪は、山の彼方へ吹き飛んで行ってしまった様だ。