函館といえば啄木、そういわれるほど縁が深い。
市民の中でもフアンが多いし、勉強会もよく行われているようだ。
私はといえば高校時代、函館に来た啄木が住んでいたすぐ近くに住んでいた。
その間には旧函館図書館があり、啄木の墓がある立待岬も近くに見え、啄木が連絡船で“石をもて追われるごとくふるさとを出しかなしみ消ゆる時なし”と渡って来た津軽海峡が広がっている。
そんな環境で多感な青春時代をエネルギッシュに過ごした私だが、寂しい男啄木とは、友人にはならなかった。
随分前だが、村の中にゴミ捨て場があった。
ある日ゴミを捨てに行き、そこで啄木に関するの本を見つけた。その捨てられし本は、私に「読みなさい」と語りかけて来た。
啄木を読んでいるうちに、函館の大火の歴史も調べることになった。
啄木が函館を追われたのは、明治40年の大火で、住まいが消失したからだ。
函館は海に囲まれた地形から、大火の多かった街である。
そんなこんなで、啄木入門編ぐらいはかじったのである。
さて、啄木と椴法華村だが、まるで関係はない。
ところが、数年前から村の中に立派な歌碑が建ったのだ。

“なにこれ珍百景”というテレビ番組があるが、まさしくその類である。
先日、私の店に「啄木の歌碑についての、経緯を教えて欲しい」と、年配の女性3人がやってきた。
彼女たちは啄木の研究をしているという。言い分はこうだ。
「縁の内地に歌碑があるのは納得がいかない」というものだ。
私はすでに調べて経緯は知っている。そこで、私なりの解決策の糸口を伝えた。
3人の中で一番年配の女性は、函館図書館の生みの親で、初代館長の岡田健蔵氏のご令嬢だという。函館人ならば、岡田氏の名前を知らないものはいないほどの人物だ。
私も高校時代、その図書館で昼寝していた一人でもある。椴法華村では啄木と、もっとも近い人物だ?
もしこの一件が決着出来たら、石碑は私が高校時代に過ごした周辺に安置されることになるに違いない。
「かにかくに椴法華村は恋しかりおもひでの山おもひでの川」
啄木がそう歌ってくれるに違いないと思っている。
市民の中でもフアンが多いし、勉強会もよく行われているようだ。
私はといえば高校時代、函館に来た啄木が住んでいたすぐ近くに住んでいた。
その間には旧函館図書館があり、啄木の墓がある立待岬も近くに見え、啄木が連絡船で“石をもて追われるごとくふるさとを出しかなしみ消ゆる時なし”と渡って来た津軽海峡が広がっている。
そんな環境で多感な青春時代をエネルギッシュに過ごした私だが、寂しい男啄木とは、友人にはならなかった。
随分前だが、村の中にゴミ捨て場があった。
ある日ゴミを捨てに行き、そこで啄木に関するの本を見つけた。その捨てられし本は、私に「読みなさい」と語りかけて来た。
啄木を読んでいるうちに、函館の大火の歴史も調べることになった。
啄木が函館を追われたのは、明治40年の大火で、住まいが消失したからだ。
函館は海に囲まれた地形から、大火の多かった街である。
そんなこんなで、啄木入門編ぐらいはかじったのである。
さて、啄木と椴法華村だが、まるで関係はない。
ところが、数年前から村の中に立派な歌碑が建ったのだ。

“なにこれ珍百景”というテレビ番組があるが、まさしくその類である。
先日、私の店に「啄木の歌碑についての、経緯を教えて欲しい」と、年配の女性3人がやってきた。
彼女たちは啄木の研究をしているという。言い分はこうだ。
「縁の内地に歌碑があるのは納得がいかない」というものだ。
私はすでに調べて経緯は知っている。そこで、私なりの解決策の糸口を伝えた。
3人の中で一番年配の女性は、函館図書館の生みの親で、初代館長の岡田健蔵氏のご令嬢だという。函館人ならば、岡田氏の名前を知らないものはいないほどの人物だ。
私も高校時代、その図書館で昼寝していた一人でもある。椴法華村では啄木と、もっとも近い人物だ?
もしこの一件が決着出来たら、石碑は私が高校時代に過ごした周辺に安置されることになるに違いない。
「かにかくに椴法華村は恋しかりおもひでの山おもひでの川」
啄木がそう歌ってくれるに違いないと思っている。