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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

拝啓 桂 銀淑 様

2007年11月29日 14時43分30秒 | えいこう語る
北海道も朝夕に吐く息が白くなり、風も頬に冷たく通り過ぎて行くこの頃です。
最近、演歌の番組が少なくなり、あなたの姿をテレビで拝見する事がなく、淋しく思っていました。
私も様々なジャンルの音楽を聴きますが、たまには演歌を聴きたいという様な夜もあります。札幌大通りのイルミネーションも灯ったとのニュースを見て、大好きな「北空港」を聴き、一人で酒を飲みました。
翌日、私は新聞を開き思わず声を上げてしまいました。
あなたが「覚醒剤で逮捕」という記事です。
私があなたの歌を始めて聴いた時のことを思い出しています。
魂を揺さぶられたとは、あのような時を言うのです。この歌手は演歌を歌うために、この世に存在しているのだと思いました。
「大阪暮色」翌日にはレコード屋に走っていました。
数年後、札幌のススキのクラブでの事です。私の横にアルバイトの女の子で、韓国生まれという留学生が座りました。
その時あなたの事が噂になると、その子は、あなたが韓国でデビューした時から知っているので、年齢を偽っていると言いました。
「そんな事は問題じゃない。演歌の心を身体全体で歌える歌手は、日本にだって居ないんだ」と言ってやろうと思ったのですが、せっかくの楽しい酒の場が壊れてはと思い、笑って過ごしました。
その後函館のステージにあなたが立った時、見に行けませんでした。私はあなたの歌は、港町のキャバレーのステージで聴きたいと思っていました。今函館にはキャバレーがありませんが、歌を聴くのも歌うのも、雰囲気が必要ですよね。
「桂 銀淑 キャバレーに歌う」なんて、ステージづくりで、お酒を飲めるコンサートなんか、きっと満員でしょうね。
昨夜、部屋の灯りを消して、スタンドを3つ部屋の隅に置いただけの暗さの中で、あなたのアルバムを聴き、一人で酒を飲みました。
私のレトロ調のCDラジカセは、全体は赤で、スピーカーの所はステンレスの細工があり、あなたの歌声を聴くにはぴったりの雰囲気です。
私があなたの曲で1番好きなの「すずめの涙」です。
幸せを窓に閉じ込めて・飼いならしてみても♪
悲しみは窓の隙間から・忍び込んでくる♪
もし今度生まれてくるなら孔雀よりすずめ♪
あなたが日本に来てから、どんな辛い事があったのかは、これから週刊誌が書きまくるでしょうが、私は一切読まないし、人の噂は一切聞き流します。
私はあなたの歌を聴いたあと、最後に美空ひばりさんの「川の流れのように」と「愛燦燦」を聴きました。
ひばりさんも様々な悲しみを乗り越え、戦後の歌謡界をリードした、国民的歌手でした。最後まで日本の美空ひばりを演じ続けてくれました。その偉大な歌手の歌心とあなたの歌心は、同類にあると私は確信しています。
このたびの事件は過去の1度だけの過ちと言う事で、あなたの演歌歌手としての歴史の1ページだけにしておいてください。
その悲しい思いを、これからの歌手人生に生かし、私たちフアンの魂をずっと揺さぶるハスキーボイスを期待いたします。
あなたには、こらからも多くの作詞家や作曲家が、必ずいい曲をプレゼントしてくれるでしょう。
最近の日本は嘆かわしいぐらい、淋しい国になってきています。
こんな時こそ心の応援歌、演歌の出番ですよ。     
     頑張れ!桂 銀淑さん  2007年11月29日 かわぐち えいこう


函館学講座から

2007年11月26日 09時58分35秒 | えいこう語る
1604年、徳川家康より幕藩体制の一員として大名の地位を獲得した松前藩は、アイヌに対する交易権を独占します。(松前城が日本最後の城です)
「和人地」とアイヌの居住する「蝦夷地」に区分され交易が行われますが、交換比率の不利などが原因で、1669年シャクシャインが蜂起します。(私たちの子供の頃「アイヌ勘定」と言う言葉がありました。でたらめな勘定と言う意味です。アイヌは勘定が出来ないから、昔から和人はごまかしていたようです)
18世紀半ばまで、本州との交易は松前に出店する近江商人の「荷所船」に握られていたが、北前船が入ってくると、船頭が船荷を売買する権限を持ったため、箱館を基点として北方へその勢力を広めていきます。
煎海鼠・干鮑・昆布・鱶鰭などが箱館から長崎に送られました。幕府は中国やオランダとの貿易の決済用の「銅」の欠乏に悩んでいたので、その代用に海産物を使ったそうです。1785年、長崎俵物会所が箱館におかれ、箱館は北国の集荷拠点になります。1793年には、ロシアの使節が箱館に入港します。それが外国船第1号でした。
これ以来幕府も、蝦夷地に対し積極的の考えるようになります。続いて、イギリス船が津軽海峡を通過し室蘭沖に現われます。その時噴煙を上げる山を見て「ボルケイノ・ベイ」=「噴火湾」と名付けたそうです。相次ぐ外国船の訪れとともに、幕府は北方警備が急務なことを悟り、それまでの「蝦夷地」は『異域』であるという事が大きく揺るがされたようです。
このような頃に高田屋嘉兵衛が函館に来ます。ロシアも我が国に通商を迫るのですが、拒否したため事件が起ります。ロシアの艦長ゴロブニンを幕府の役人が捕縛し松前で拘禁します。そこで副艦長ノリコルドが、今の北方領土近くから帰る途中の嘉兵衛を拿捕します。嘉兵衛の働きでゴロブニン艦長は解放されます。このことは司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」に書かれているそうです。
嘉兵衛は59歳で亡くなっていますが、函館港を埋め立て、造船所を開設したり、堀り抜き井戸を設置し火災に備えたり、函館山の植林にも尽力を尽くしたそうです。
1854年日米和親条約が締結され、下田と箱館が避難港に決定されます。
いよいよアメリカ東インド艦隊司令長官ペリー提督の箱館登場です。
婦女子は近隣の親戚に非難させます。港や町の出入り禁止、函館山の神社の参拝禁止、仏事の延期、葬儀の縮小などの触れが出されたそうです。滞在中に2名の船員が亡くなり、函館の外人墓地に埋葬されています。先日市民の反対にも拘らず米艦船が函館に入港した際、きちんと墓参りをしていきました。
ぺリー一行は動植物も持ち帰ったそうで、魚のイトウの学術名は(HUCHO・PERRY)とぺリ-の名前が付いているそうです。
あらためて函館の歴史を学びいろいろな発見もしました。
ロシアの南下政策と幕府の北方警護の中で、混乱させられたのはもとから居たアイヌの方です。北方領土返還が叫ばれていますが「あれは俺たちの土地だ」と主張するアイヌに方の気持がわかるような気がします。
そんなことを考えさせられながら、函館学初級の試験に挑戦してきました。


どこまで行くのか、どこで終わらせるか

2007年11月22日 15時35分29秒 | えいこう語る
防衛庁の接待問題に、ついに元仙台防衛施設局長の太田述正氏が登場して来た。
太田氏は、日曜午後の「やしきたかじん」が司会をする「そこまで言っても委員会」のゲストとして2週にわたり出演し、レギュラーのコメンテーターや視聴者まで、驚かせた発言をした人だ。
1週目の時の太田氏は、東大法学部卒のキャリアで、守屋氏とは同期に防衛省に入ったという。これは話が面白くなるなと期待していたが、コメンテーターの質問とはかけ離れた、答えともならない答えが返ってくる。頭のいい人だから、聞いているこちらの方が、彼の言葉を理解しなければならないとテレビに集中し聞いていたが、どうしても理解が出来ない。
「守屋だけの問題でなく、どこでもやっているから当たり前のことだ」と言う。
「防衛省に5兆円も使えとよこしているから使うだけで、使うのをとやかく言うのだったら、お金をやらなければよい」と言うような事まで言う?????
私もちんぷんかんぷんだったが、レギュラーの人たちも混乱していた。
私は自治体の職員を長い間観察していて、役人と言うのは自分たちの組織が第一で、組織の常識に則って判断する。それが役所の仕事だと思っている。
住民側の常識的な意見を聞いて行政処理をしようとすると、仕事が滞ってしまうだけなのである。公共事業の発注だって、随意契約が一番手っ取り早い。住民には解かりにくく説明し、情報公開などはさせない事が役所にとって一番効率的な仕事である。
仕事をもらう業者は感謝し、そのお礼の多少の接待などと言うのは、役人にとっては常識の常識なのである。どこの省でもやっているので当たり前だと太田氏は言う。この人は実は役人の本質について理解する事から初めなければ、すべては解決しないと言っているのではないかと感じ始めて来た。
ただ太田氏の発言で気になる事がある。私の聞き間違えでなければいいのだが
「政治家で圧力をかけてくるのは、元自民党の大物政治家で、いま野党の大物政治家になっているのが、一番強烈だ」という様な発言をしていたことだ。
守屋氏の問題は、グアムの基地移転問題にも及び、政界全体が震撼しかねない。
福田氏と小沢氏の密室党首会談。首相とブッシュ大統領との会談。福田氏の今年中とも言われる中国訪問。額賀氏にとぼけさせておいて、いかに自分たちの都合の良い落ちをつけるかに、知恵を絞っているに違いない。
額賀氏の記憶もやがて鮮明になる。内閣改造でお茶を濁すか、それとも解散総選挙か?・・・与党に攻撃を仕掛けるには、絶好のチャンスだと国民の多くが思うに違いない。
でも先の密室会談、実は「休戦協議」だったのではないだろうか?
「小沢氏!辞任劇の疲労とそれによる持病の悪化を理由に、緊急入院!?」
そんなニュースが飛び交い、解散話は頓挫し、首相は満面の笑みで中国へ?
そんなアホなシナリオを書いているのは、「ナベ&ナカ」の、ビューティーペアーかもしれない?
それにしても、こんなとんでもないことを思わせる、国民不在の政治状況である。
これで消費税アップなんて、与野党がパーセントを真面目に協議し出したら、国民も舐められっぱなしである。


「友達の輪と和」がある函館です

2007年11月21日 16時07分10秒 | えいこう語る
日曜日の夜は、歴史的な街並みが残っている、函館の西部地区にいた。
地元FM局で毎週日曜日の夜放送されていた「じろじろ大学」というトーク番組が最近終了し、続けていれば700回目と言う日に合わせ、特別講義が行われたので、その聴講に出かけた。
学長のM氏とは、すでに20年以上のお付き合いをいただいている。知識の豊富さは言うまでもないが、話す相手の人柄を汲み取り、上手に引き立ててくれ、人と人とをつなぎ合せる名人だ。だから氏の経営する西部地区のギャラリーには、そんな氏を慕って様々な個性ある人たちが集まってくる。
じろじろ大学と言うのは、歴史と文化の函館の街をじろじろ観察し、街の良さを再発見し、さらに素敵な街にしていこうという主旨に思う。
著名なゲストも出演するが、多くの市民もゲスト参加し、自分たちの活動内容の紹介や、時には行政批判も飛び出す。
体制に対する批判精神は、報道の持つ健全な精神だ。それを続けてきたからリスナーに支えられ、14年間も続けられたと思う。番組の終了で市民の声が届かなくなる事が、街の将来にとって大きなマイナス要因になると言う事を、局側も配慮して欲しかったものだ。聴講した方からも復活を期待する声が多かった。
講義終了後、雪が静かに舞い落ちる西部地区の古い街並みを歩き、二次会のスペイン料理の店に向かった。
この店の店主はM氏の友人であり、じろじろ大学に集まる仲間と共に、この地区をスペインの居酒屋バルに見立てたイベントを定着させ、新たな函館の魅力を作り出している。
店も大正時代の建物を改造したもので、ワインを飲んでいると、建物自体が饒舌にこの街の歴史を語りかけてくれる。
この改造のデザインをしたのは、大沼在住のW氏である。W氏もM氏に紹介された方だが、W氏の奥様が偶然にも私の友人の妹さんでもあった。
W氏は最近大沼に別荘を持ち住んでいる「千の風になって」の作者、新井満氏と懇意にしているという。
「千の風になって」は、私も感動の涙を流した本で、同名の歌は、新井氏の歌声の方が好きだ。W氏が懇意にされていると言う事は、新井氏と私の接点も近くなったと言う事だ。
このように次々と人脈がつながっていくのが、この大学の成果でもあり、函館人の気質なのかもしれない。二次会もその様な顔ぶれで溢れていた。
原発反対運動の会長Tさん。九条を考える人。版画家で、縄文に詳しいSさん。マスコミの人たち。様々な話題で盛り上がるこのエネルギーが、函館の街をより魅力的なものにしていくに違いないと期待する。その原動力のコアが学長のM氏なのである。
外に出ると雪が降っていた。「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と思わず口ずさみたくなる、風情のある街並みである。
函館は明治、大正、昭和、平成への移り変わりが、街のそこかしこに残っていて、街自体が歴史を語りかけてくる。
函館に訪れる機会があったら、ぜひ「じろじろ」見て聞いて歩いて欲しい。
きっと誰かがこの街の魅力を熱く語ってくれるに違いない。
風景の良い街には、親切な人が多いと私は確信しているからだ。


酒飲みは面白すぎる

2007年11月17日 16時56分52秒 | えいこう語る
函館市内の蕎麦屋で、道内産の新蕎麦で、酒屋の店主が選んだ7種類の日本酒を飲む会があった。
始めの酒は、去年のものと今年のものの飲み比べから始まる。
「今年の作りたては若い感じで、去年の方が味に深みがある」とか何とか。
「どちらがお好きですか」と私に問われても、どちらも美味いと言うより、言い様がない。
私の右隣にはお医者様の奥様。「私は19年がいいわ」と、おっしゃる事も洒落ている。19年とは、平成19年生まれだからである。
「ソウですね。19ネンのほうが旨口ですねです」と、私もすぐ調子に乗る。
とにかく私の周りは共にピッチが新幹線並だ。ものの15分も経たないうちに酔いがまわっている。
私の前の単身赴任氏は、全国の酒に詳しく、蔵元めぐりも数こなし、かなりの「酒お宅」らしい。
始めは対等に話していた私の横に座っていた学校の先生は、早々に話から抜け、独身女史と意気投合し、さしつさされつ、目元も妖しい。二人は「そんなの関係ない」と、今流行のギャグを連発している。・・・日本の教育もこれまでかと私は軽く嘆いては、杯を重ねる。
単身赴任氏は私とその隣の二組の夫婦に向かい、酒と蕎麦についての薀蓄を披露し始めた。しかし、すでに目が据わっている。
私の隣に居た医者が軽くキレた。「あなたが酒や蕎麦に相当詳しいのはわかるが、それだったらタバコを吸うのはやめたまえ、味がわからんのではないのか」とでた。続いてもう一組のご夫婦のご主人も「俺だって蕎麦打ちは30年やっているんだ。おまえより蕎麦のことは身体で覚えているんだ」・・・・・(汗がタラリ)
そこに最後の蕎麦が出てきた。
「こんなマズイたれを出しやがって、俺を馬鹿にするのか」と立ち上がるや否や、蕎麦をテーブルにぶん投げて、単身憤慨氏は店を出て行ってしまった。
酒屋の店主に次の日電話すると、単身赴任氏は酒にはかなり詳しいらしく、酒を買いに黒塗りのタクシーで来るそうだ。統計学の本を持っていたこともあり、本省の出先機関がある合同庁舎前で見かけた事がある。話の端々から推測して、東大卒のキャリアらしいと店主は話していた。それに刀剣の収集もしていると付け加えた。・・・次の飲み会は、刀剣の話になるかもしれない!!!
話は昨夜に戻るが、口直しにジャズが流れている居酒屋でビールを飲み、今話題の「地鶏の叩き」を注文した。なかなか美味しかった。
会計の時、私が小銭を取り出し、230円を手のひらで選別して、百円硬貨2個と十円3個を渡そうとすると、会計の若い女性が、私の手のひらに残っている小銭を見て、「お客様、五十円硬貨が2個あるのでそれを置いていってください」と言う。「2個置いて1個持って行くほうが軽くなりますよ」と言う。
会話一つで心も軽く、鼻歌交じりで妻の愛車の軽四で我家に向かう。蕎麦屋での話は車の中で教え、家に帰ってまた飲んだ。
翌朝妻が言う。「その東大を怒らせたのは、あなたに違いないはず。また何か余計な事言ったんじゃないの、よく考えてみたら」と言う。
よく考えてみた。
東大氏は、酒が何県の何々町で作ったことまで知っている。そこで問題を出したのだ。今飲んでいる酒瓶を持ち、
この酒はどこの県ですか?・・当りー
では何町ですか?・・当りー
それでは何丁目の何番地ですか?・・・・・・・・・・・・・・・沈黙。