今回のお気に入りは、鬼平犯科帳パート17、「猫じゃらしの女」です。
鬼平犯科帳の「猫じゃらしの女」が好きで、繰り返し見ています。
伊三次の生い立ちとおよねとの関係が優しい目でほのぼのと表現されているからです。
それに比べ「五月雨」は嫌いで、2度目を見る気になかなかなりません。
レギュラー伊三次が死ぬ話だからです。
「猫じゃらしの女」は小説は第6巻、テレビは第2シリーズに出てきます。
「五月雨」は小説は第14巻、テレビは第6シリーズに出てきます。
この2つの作品は登場人物が一緒ですが、テーマがまったく違います。
池波正太郎もテレビシリーズ制作者もきちんと区分けして表現するため作品と作品の間をわざとあけています。
ところが、さいとうたかをが描いている劇画版鬼平犯科帳の「猫じゃらしの女」はいったいどういう考えでああいう作品にしたのか、理解に苦しみます。
ストーリーの前半を「猫じゃらしの女」、後半を「五月雨」にして一本の作品にしています。
せめてタイトルを「五月雨」としてくれれば読まなかったものを「猫じゃらしの女」とされてしまうとつい読んでしまいます。
騙された気分でした。
避けてきた「五月雨」の暗く落ち込んだ記憶が蘇ってしまいました。
お願いですからこういう組み合わせは勘弁してください。
あぁ、この気分、尾を引きます・・・。
鬼平犯科帳の「猫じゃらしの女」が好きで、繰り返し見ています。
伊三次の生い立ちとおよねとの関係が優しい目でほのぼのと表現されているからです。
それに比べ「五月雨」は嫌いで、2度目を見る気になかなかなりません。
レギュラー伊三次が死ぬ話だからです。
「猫じゃらしの女」は小説は第6巻、テレビは第2シリーズに出てきます。
「五月雨」は小説は第14巻、テレビは第6シリーズに出てきます。
この2つの作品は登場人物が一緒ですが、テーマがまったく違います。
池波正太郎もテレビシリーズ制作者もきちんと区分けして表現するため作品と作品の間をわざとあけています。
ところが、さいとうたかをが描いている劇画版鬼平犯科帳の「猫じゃらしの女」はいったいどういう考えでああいう作品にしたのか、理解に苦しみます。
ストーリーの前半を「猫じゃらしの女」、後半を「五月雨」にして一本の作品にしています。
せめてタイトルを「五月雨」としてくれれば読まなかったものを「猫じゃらしの女」とされてしまうとつい読んでしまいます。
騙された気分でした。
避けてきた「五月雨」の暗く落ち込んだ記憶が蘇ってしまいました。
お願いですからこういう組み合わせは勘弁してください。
あぁ、この気分、尾を引きます・・・。