趣味を持つということは、ひょっとして家族や職業を持つことよりも大事なのではないか・・・・という気持ちになってくる映画だ。もちろん、家庭や仕事が人生に占める割合は大きい。しかし、それらは永久不滅のものではないのだ。親とはいつか別れる日がやってくる。兄弟姉妹や子供だってずっと一緒にいられるわけではない。仕事も多くの場合“定年”があり、死ぬまで現役でいられる者は極少数だ。
対して、趣味は裏切らない。生きている限り、自分と共にある。そして、趣味を極める方法論により物事を多角的に見ることも可能になるかもしれないし、何より生活に張りと余裕が出てくる。
大手不動産開発会社の若手社員である小町圭と、蒲田の小さな鉄工所の二代目・小玉健太は筋金入りの鉄道オタク。そんな二人が旅先で出会った後に意気投合する。小町は九州支社に転勤してしまうが、そこで知り合った取引先の社長も鉄道マニアであることが判明し、東京から遊びに来ていた小玉をも巻き込んで、ビジネスがトントン拍子に進んでいく。
徹底的に御都合主義的なストーリーだが、往年の東宝の“サラリーマンもの”を彷彿とさせる良い意味での脱力感が横溢し、気分よく観ていられる。この主人公たちは一見「釣りバカ日誌」のハマちゃんに似ているようだが、仕事も的確にこなす点は全く異なり(笑)、いわば仕事と趣味とをキッチリと切り分けて両立させている。
もっとも、ユニークな二人を女性陣はなかなか理解しない。たとえ良い雰囲気になっても肝心のところで逃げられてしまう。だが、傷付いても彼らはめげない。なぜなら、趣味の世界があるからだ。ここで描かれる趣味は、日常からの逃避先ではない。もうひとつの“自分達だけの日常”だ。
本作の惹句は“ココから世界のどこだって行ける!”というものだが、本当は“世界のどこだって(趣味という)自分の居場所を見つけられる”ということだと思う。これこそが、趣味を持つ人間の強味なのだ。
この映画は森田芳光監督の遺作になってしまったが、彼の劇場用映画デビュー作である「の・ようなもの」(81年)に通じるギャグのキレ味が満載である点は嬉しい。しかも、あの映画の主演であった伊藤克信が顔を出しているのにも楽しくなる。主演の松山ケンイチと瑛太は好演。まさに人の良いオタクそのもので、今回はツイていなかったけどそのうち良いことがあるさと励ましたくなってくる。
ヒロイン役の貫地谷しほりと村川絵梨も可愛く撮れているし、ピエール瀧や伊武雅刀、笹野高史、西岡徳馬、松坂慶子といった濃い面々もドラマを盛り上げる。九州を中心としたロケ地の効果も上々で、登場人物名にはすべて列車の名前が振ってあるのも面白い。
森田芳光は作品の出来不出来が激しい作家だったが(・・・・というか、不出来の方が多い ^^;)、このほのぼのとした佳編でキャリアを終えたことは、ある意味幸せだったのかもしれない。とはいえ、早すぎる退場は残念だ。冥福を祈りたい。
伊藤克信を見て、「の・ようなもの」を思い出せなかった自分が残念です(^o^)。
森田監督の久々に冴え渡るギャグの数々。同じサラリーマンを題材にした「そろばんずく」を思い出しました。関係ないですけど「の・ようなもの」では、ほとんどの登場人物がアイビーファッションだったのには笑ってしまいました。あの頃(80年代前半)にはトラッドが流行ったのを思い出します。
あと、劇中で松ケン扮する主人公が「社宅」として住み込む海沿い(百道浜)のマンションは、かなりの高級物件です。「社宅」として提供してくれるのならば、私も住みたいです(笑)。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。