元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ブンミおじさんの森」

2011-06-15 06:30:06 | 映画の感想(は行)

 (英題:Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives )どうしようもない映画である。作家性の勝ったスノッブなシャシンであることは分かるが、一応映画館でカネを取って封切公開する以上、何らかのエンタテインメント性をフィーチャーして然るべきである。しかし、本作には見事なほど何もない。これほど劇場で上映する必然性が毫も感じられないシャシンも珍しいだろう。

 タイ東北部。重い腎臓病により余命幾ばくもないブンミおじさんは、死んだ妻の妹のジェンとその息子トンを自らの農園に呼ぶ。三人で食卓を囲んでいると、突然女の幽霊が出現する。それは19年前に死んだブンミの妻のフェイだった。しばらくすると、今度は昔行方不明になったブンミの息子のブンソンが猿人の姿で現れる。この世を去る間際になってやっと家族を取り戻したブンミは、自ら人生の幕を引くため森の中に入っていく。

 とにかく、映像のイマネジネーションの貧困ぶりには脱力する。そもそも低予算のくせに特殊効果(らしきもの)を挿入するべきではない。ヘタな合成が丸分かりの幽霊登場シーンや、何かのアトラクションみたいに猿の着ぐるみを被った奴を漫然と出させる等、画面全体から安っぽさが漂ってくる。SFXなんか使わなくても、撮り方次第でいくらでも幻想的なシーンを展開出来ることをこの作者は知らないらしい。また、兵士(?)が猿を捕まえた際のスナップショットの挿入に至っては、何かの悪ふざけとしか思えない。

 さらに萎えるのは、意味のない長回し。タルコフスキーやアンゲロプロスの作品群のような緊張感も求心力も何もない、ただカメラを作動させているだけの“やっつけ仕事”だ。斯様な微温的で緩慢な画面が延々と垂れ流される醜態を見せられるに及び、心の底から“カネ返せ!”という純粋な怒りが湧き起こってくる(爆)。

 何でも、本作の背景には仏教的な思想や風習などが存在しているらしいが、いくら高邁な考え方を持っていようが、出来た作品が何とも言いようがないボンクラなシロモノならば評価出来るはずもない(そもそも、輪廻転生だの幽体離脱だのといったネタは、当方は全然信じていない)。このアピチャートポン・ウィーラセータクンとかいう監督は無能である。

 なお本作はどういうわけか2010年カンヌ国際映画祭で大賞を獲得している。たぶん審査委員長のティム・バートンは劇中の猿の被り物を見て、自らの「猿の惑星」を思い出し親近感を覚えたのだろう・・・・といった下手な突っ込みを入れたくなった(暗然)。
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田原総一朗、姜尚中、西部邁「愛国心」

2011-06-14 06:44:14 | 読書感想文
 題名こそ「愛国心」だが、中身はイラク戦争をはじめとした昨今の時事ネタに言及した部分が多いため“「愛国心とは何か」を論じた本だろう”と思って本書を手にした読者は期待を裏切られる。少なくとも、最初から論をキッチリと練り上げたような書物ではないのは確か。しかも対談集という体裁を取っていて“司会”が田原総一朗だったりするものだから、いよいよ印象は「朝まで生テレビ」か「サンデープロジェクト」だ(笑)。

 でも、これはこれで楽しめる。特に面白いのは思想が正反対と思われた西部と姜との間に、意外と共通点が多いこと。その最たるものが、世相に異議を唱えるというスタンスだ。

 ヘタすれば“単なるヘソ曲がり”と受け取られる場合もあろう。だが、世論が単一方向にブレることが多い我が国では、彼らの主張は貴重だとも言える。文中の「現在サヨク叩きをやっている人達の多くは、左翼全盛のときには左翼だったんだよね(笑)。左翼が滅びてからなぜか右翼になっちゃった」というセリフが代表するように、現在のトレンドである「右」は「うす甘い左」がシフトしてきたにものに過ぎない。右だろうが左だろうが、それが「うす甘い」だけの風潮であれば、いっぱしの識者なら異議を唱えて当然であろう。うす甘くても「右」ならいいのだ・・・・といった感じで時代に迎合するエセ保守論客とは最も遠い位置にいる。そういう態度は評価されても良いかもしれない。

 それと、我が国に於ける愛国心の議論が「親米か、反米か」といった次元で停滞していることを姜が指摘しているが、そのあたりを読者が考えるのも無駄ではないだろう。
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「レッド・バロン」

2011-06-13 06:35:26 | 映画の感想(ら行)
 (原題:DER ROTE BARON)不自然なエクステリアがどうも気になってしまう映画だ。まず、ドイツの映画でスタッフやキャストの大半がドイツ人であるにもかかわらず、セリフが英語であること。広範囲なマーケティングを想定しての方策なのかもしれないが、ハリウッド映画ならともかく御当地作品である以上はちゃんと母国語で通すべきだ。そもそもヨソの国の言葉を使ってしまうことは、微妙なニュアンスが出にくくなるのではないか。

 そして、デジカム撮りとも思われる妙に薄っぺらい画面も願い下げだ。ひょっとしたら撮影した時はフィルムを使用していたのかもしれないが、映写はDLPである。マイナーな映画ならばまだしも、戦争大作との看板を掲げている映画に、こういう扱いはあんまりではないかと思う。

 さて本作は、第一次大戦時に連合国側から“レッド・バロン”と呼ばれて恐れられたドイツ空軍の若き撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(マティアス・シュヴァイクホファー)を描いた実録映画だ。この“バロン”というのは単なる渾名ではなく、れっきとした男爵位を持つ貴族の出自である。そのせいか、戦いぶりも基本的に騎士道精神に則った真っ向からのガチンコ勝負だ。

 冒頭の、空から敵陣のただ中に乗り込んで、戦死した好敵手の墓に花束を手向けるという粋な行為をはじめ、同時に不時着したイギリス軍のパイロットと握手を交わしたりといった、軍人としての誇り高さを忘れない。ところが、古き良き騎士道に心酔していられるのは彼を含めた士官クラスの独善に過ぎないのだ。

 仲良くなった看護婦から野戦病院の実態を聞き及び、彼は戦争の悲惨さを知ることになる。考えてみれば戦争なんてものは今も昔も悲劇以外の何物でもない。ヒロイックな活躍をする戦士がいる一方で、苦しみながら死んでいくその他大勢の兵士や市民が存在しているのだ。ただし、本作はこのあたりのプロセスがどうも図式的である。軍当局も主人公を広告塔に利用するため、簡単に戦死しては困るので地上勤務に回したりするが、どうも映画の描き方としてはモタモタとしている。

 監督ニコライ・ミューラーショーンの腕前はそれほどでもないようだ。かと思えば、最後の戦いを完全にカットしてしまうような“悪い意味でのケレン味”もあり、観賞後は釈然としない気分を覚える。空戦のシーンはかなり盛り上がるが、同様のネタを扱ったアメリカ映画「フライボーイズ」には及ばない。全体的に、製作されてから3年も輸入公開されなかったのが何となく分かるような出来映えだ。
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「ランダム・ハーツ」

2011-06-12 06:53:39 | 映画の感想(ら行)
 (原題:Random Hearts )99年作品。パートナーを失った男女同士の逢瀬を描くシドニー・ポラック監督作。ワシンシンのベテラン警官の愛妻が飛行機事故に遭って死亡。ところが彼女は出張を偽って不倫旅行の真っ最中だったことが分かる。不倫相手の妻と知り合った彼は、共に真相の究明に乗り出す・・・・という話だ。

 ストーリーラインは何のひねりもなく凡庸もいいとこで、当時向こうの評論家から叩かれたのもわかるが、私としては「凡作」として片付けるのは忍びない。作品の雰囲気は非常に好きである。ガチャガチャした小児的な映画が多いアメリカ映画には珍しく落ち着いたタッチで、しかも演出があまりダレていない。

 主演の二人(ハリソン・フォードとクリスティン・スコット・卜ーマス)の演技は悪くないし、ワシントンの街の風景や紅葉が映えるニューハンプシャーの森の描写などが清涼な筆致で捉えられていて好感を持った。撮影はフィリップ・ルースロで、相変わらず的確な仕事ぶり。そしてデイヴ・グルーシンの音楽が実に効果的で、サントラ盤が欲しくなった。

 なお、本作は正月映画の目玉の一つとして公開された。こういう地味なラブストーリーが興業のかき入れ時に上映されたというのは今から考えるとあり得ないが、キャストのネームヴァリューがまだ重視された時代だったのだろう。しかし客席はガラガラだったことを思い出す。マーケティング面ではあまり良い番組選定とは言えないようだ。
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「ジュリエットからの手紙」

2011-06-11 06:43:06 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Letters to Juliet )本当の意味での恋愛コメディとは、こういう作品のことを言うのではないだろうか。都会を舞台に、オシャレな男女が手練手管を披露してくれる映画ばかりがラブコメではない。イタリアの明るい陽光の下、大らかで楽天的な恋物語が展開して、行き着くところにすべて収まってしまう屈託の無さも、また良いものだ。

 ニューヨークで有名誌の調査員として働くソフィーは、ジャーナリストとしてデビューすることを望んでする。イタリアン・レストランを開店予定の婚約者と一緒にイタリアの古都ヴェローナを訪れた彼女だが、彼は食材の仕入れのことしか頭になく、ソフィーは単独行動を余儀なくされてしまう。

 偶然足を運んだ“ジュリエットの家”で、彼女は世界中から寄せられた大量のジュリエット宛の手紙と、それに返事を書く女性たちと出会う。彼女達を手伝うことになったソフィーは、そこで50年前に書かれた手紙を発見。返事を書いたところ、イギリスに住む差出人のクレアとその孫のチャーリーがソフィーの元にやってきて、昔離ればなれになったクレアの交際相手を一緒に探すことになる。

 元々は部外者の主人公が、長年“ジュリエットの家”で働いている者達も気が付かなかったような手紙を見つけ出すというのは“あり得ない筋書き”だし、手紙の当事者が健在でしかもソフィーと似合いのカップルになりそうな若い男(孫)を連れて来るというのだから、御都合主義もいいところである。しかし、これがリゾート気分あふれる風光明媚なイタリアの風景をバックにすると“まあ、いいじゃないか”という感じで許せてしまうのだ(笑)。映画における舞台設定の重要性を改めて認識出来る。

 主人公達が探し求める相手は、実は同姓同名が山のようにいて、足を運んではみるが空振りの連続。しかも、それら同姓同名オヤジどもが“人違いだとしても、そんなことはどうでもいい。一度ワシと付き合ってみないか”とばかりにクレアを口説き出すのには笑った(さすがイタリア人だ)。しかも、クレアに扮しているのが老いたとはいえ色香の残るヴァネッサ・レッドグレーヴなので、妙に説得力があったりする(爆)。さらに運命の相手を演じているのが彼女と実生活でもパートナーのフランコ・ネロだったりするので、興趣は増すばかりだ。

 ソフィー役のアマンダ・セイフライド(正式な発音はサイフリッドらしいけど)は、アメリカ人の若手女優にしては珍しく可愛く、画面に彩りを添えている。チャーリー役のクリストファー・イーガンとヘタレな婚約者を演じるガエル・ガルシア・ベルナルもイイ味出しているし、コルビー・キャレイが歌う挿入曲も抜群の効果。とにかく、観賞後の印象も良好な旨味のあるラブコメディで、幅広い層に奨められる。なお、監督のゲイリー・ウィニックは本作を撮り上げた後、今年若くして逝去してしまった。実に惜しいことをしたものだ。
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「トゥエンティフォー・セブン」

2011-06-10 21:03:21 | 映画の感想(た行)
 (原題:Twenty Four Seven )97年作品。英国ノッティンガムを舞台に、かつてボクサーだった中年男が、落ちこぼれの若者達を集めて鍛え直し、再起を図ろうと奮戦する様子を描いたドラマ。監督は本作で長編劇映画デビューを果たした新鋭シェーン・メドウズ。

 主演のボブ・ホスキンスがイイ味出しており、周りの若造共は知らない顔ばかりだがなかなかの好演。しかし、映画としてはいまひとつグッとくるところがない。何より冒頭に彼の落ちぶれた姿を出してしまったため、本編の展開が読めてしまうのもマイナスだ。

 そして、タッチがクールなようでいてストーリーが微妙に御都合主義的なのが気にくわない。あんなに無軌道な奴らがちょっと他人に忠告されたぐらいでボクシングで「熱血」するはずがないではないか。

 徹底して「スポ根」するか、完全に突き放すか、どちらかに専念してもらいたかった。だいたい私はイギリスの下層階級ドラマはあまり好きではない。登場人物が私の実生活と同じくらいにみじめったらしいので、気が滅入ってくる・・・・というのはともかく(笑)、このネタをハリウッドでやったらもう少しタイトな出来になるのではないかと思った次第だ。
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「ブラック・スワン」

2011-06-09 06:35:53 | 映画の感想(は行)

 (原題:BLACK SWAN)すでに一部では指摘されているようだが、これは「巨人の星」のバレエ版かもしれない。しかし、ここには星飛雄馬を見守る姉の明子や、伴宙太のような友人や、花形満や左門豊作みたいなキャラの立ったライバル達はいない。娘にバレエだけを押しつけるエキセントリックな母親と、機会があらば足を引っ張ろうとする周囲のダンサーだけ。頼りになるはずの舞台監督でさえ、ヒロインに無茶な注文ばかりを出すストレス源でしかない。

 極端に狭い人間関係と、極度に限定された行動範囲。そこから外部に向かって解き放たれる手段はすでに失われている。残されたのは、ひたすら内面に向かって突き進む道だけ。しかもそのベクトルは、自分自身をも貫通させてしまうほどの危うさを内包している。

 ニューヨークの中堅バレエ団に属しているニナは、次回演目の「白鳥の湖」の主役に抜擢されて喜ぶ。しかし、世間知らずの彼女は純真な白鳥は踊れても、王子を誘惑するセクシーな黒鳥を上手く演じることが出来ない。しかも妖艶な実力派バレリーナのリリーが転入。主役の座を奪い取られると思ったニナは、次第に精神的に追いつめられていく。

 崖っぷちにいる人間がどうにもならなくなって、外れくじを引いたまま墜ちていく様子をヴィヴィッドに描かせれば、ダーレン・アロノフスキー監督の右に出る者はいないだろう。ニナが頑張れば頑張るほど、肉体と精神は痛めつけられていく。そのプロセスはまるでサイコ・ホラーだ。現実と幻覚とが交錯し、クライマックスの公演場面でさえ、本当のことであったのかどうか分からない。また舞台が主に練習所とステージ、そして狭苦しい自宅にほぼ限定されていることも、本作の抑圧的テイストを強調する。

 この映画でオスカーを獲得したナタリー・ポートマンは、まさに入魂の演技だ。端正な顔と華奢な身体が苦痛と苦悩で激しく歪んでいく様子は、観る者を圧倒する。9キロ減量し過酷なバレエのトレーニングを積んで役に臨んだというが、正直言って踊る場面はそれほどの技量の高さは感じない。しかし、ハッタリかましたカメラワークと絶妙の編集は、彼女を気鋭のダンサーに見せている。プロのバレリーナを使いながら軽薄なダンス・シーンしか作れなかった「ダンシング・チャップリン」とは大違いだ。

 母親役のバーバラ・ハーシー、コーチを演じたヴァンサン・カッセル、リリー役のミラ・クニス、いずれも好演だ。クリント・マンセルの強烈な音楽も含め、見応えのある快作である。アロノフスキー監督としても「レクイエム・フォー・ドリーム」と並ぶ代表作になるだろう。
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「トゥームレイダー」

2011-06-08 06:27:52 | 映画の感想(た行)
 (原題:Lara Croft Tomb Raider)2001年作品。「コン・エアー」などのサイモン・ウエストがメガホンを取った、人気ゲームの映画化であるアクション・アドベンチャー。トレジャー・ハンターのヒロインが、5千年に一度のグランド・クロス(惑星直列)によって巨大な力を発揮するという古代の秘宝の謎を解こうと、世界中を飛び回る。

 ひとことで言えば面白くない。見掛けばっかりで運動神経の鈍そうなアンジェリーナ・ジョリーの“アクションもどき”を芸もなく延々と見せられるだけの映画だ。ちなみに、彼女は本作でゴールデンラズベリー賞のワースト主演女優部門にノミネートされた。

 「ファイナルファンタジー」もそうだが、ゲーム(RPG)を元ネタにした作品はたいてい面白くない。これは(ゲームクリエイターが設定した範囲内とはいえ)プレイする側がインタラクティヴに筋書きを組み立ててゆくゲームに対し、劇映画は最初から終わりまで作り手からの一方通行のエンタテインメントの創出であるからだと思う。ストーリーのフレキシビリティを前提としたゲームの設定やキャラクターが劇映画の方法論と相容れるわけがない。

 なお、ジョリー実父のジョン・ヴォイトが父親役として出演している。復縁したかに見えたけど、翌2002年には彼女の本名から“ヴォイト”が除外されてしまい、完全に縁が切れたようだ。ハリウッド人種の関係性はかくもシビアなのか(暗然)。
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「スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団」

2011-06-07 06:40:05 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SCOTT PILGRIM VS. THE WORLD)ファンタジー映画(?)の何たるかを、送り手が全く分かっていないような凡作だ。いくら設定と展開がデタラメでも、そのデタラメぶりを観客に納得させるようなドラマツルギーが必要である。そうしないと本作のように話が宙に浮いたまま、文字通りの絵空事にしかならない。

 トロントに住むスコット・ピルグリムは22歳の若造。仕事はそこそこにアマチュアバンドでベースをかき鳴らし、あとは仲間との他愛ないお遊びで日々を送っているという、要するにヘタレ野郎である。そんな彼が最近中国人の女子高生ナイブスと付き合うようになり、幾分生活に張りが出てきたと思ったら、いきなり運命の女性ラモーナに出会ってゾッコンになってしまう。

 ところがラモーナと付き合うためには、彼女の邪悪な元カレ7人を倒さなければならないというのだ。かくしてスコットはラモーナのため、次々に現れる元カレと対決することになる。もちろん、本人が二股かけているといういい加減さは思いっ切り棚に上げたままだ(爆)。

 観ていて困ったのは、次々と現れるおかしな元カレ(女の子も含む)とのバトルで、絵に描いたような草食系のスコットがクンフーの達人みたいな立ち回りで暴れ回ること。しかも敵方の出で立ちや技の数々が超現実的で、いくら殴り合いを繰り返しても双方傷一つ負わない。そして相手を倒したら、点数をあらわすテロップと共にコインがあたりに散乱するという奇天烈ぶり。

 これはつまり昔のテレビゲームのノリでおちゃらけをカマしてやろうという魂胆なのだが、それならそうとドラマ設定を吟味すべきだ。たとえば、主人公が電脳世界に迷い込んだとか(そりゃ「トロン」だな)、何かのはずみで超能力を身につけたとか(「スパイダーマン」みたいに)、そんな段取りを整えておかないとただの与太話にしかならない。

 加えて、この映画は不必要に長い。112分も引っ張るようなネタではないだろう。代わり映えのしない戦闘シーンの繰り返しには、いい加減飽きてくる。こういうイロモノはボロの出ないうちにサッと切り上げるべきだ(まあ、本作は最初からボロは出ているのだが ^^;)。随所に散りばめられているギャグも、タイミングが悪いせいかほとんど笑えない。

 主演のマイケル・セラは“良くも悪くもなし”といったレベルだし、ラモーナ役のメアリー・エリザベス・ウィンステッドもあまり魅力がない。それよりもナイブスに扮したエレン・ウォンや、スコットのゲイの友人役のキーラン・カルキンの方がまだ見ていて楽しい。そしてスコットの妹を演じるアナ・ケンドリックも「マイレージ、マイライフ」の時とは一味違った可愛らしさを見せている。だが、エドガー・ライトの演出が斯様に腰砕けなので、脇のキャストが面白いぐらいでは評価出来ないのだ。一部のゲームマニア以外は観なくてもよろしい。
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「ピアニスト」

2011-06-06 06:40:33 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Pianist )91年作品。トロント郊外に引っ越してきた日本人ピアニスト、タカハシ(奥田瑛二)をめぐるふたりの姉妹(マーシャ・グレノン、ゲイル・トラヴァース)の愛の遍歴を描く。行動的な姉の方はタカハシに憧れていたが、実は妹も彼を真剣に愛していて・・・・、という三角関係の顛末を映画は追って行く。

 粗筋だけ聞くと、外国人監督が日本人を描いた場合にありがちなミョーな雰囲気を連想し、しかも外国を舞台に日本人男性がモテモテになるという設定から、何かとんでもないキワ物映画ではないかと懸念する向きも多いとは思うが、監督のクロード・ガニヨンは日本在住経験があり、「Keiko」(78年)という日本女性を主人公にした秀作をモノにしている実績があることから、さすがにソツのない話の進め方で、納得のいく映画作りをしている。不自然さなどまったくない。

 映画はタカハシが当時高校生だった姉妹の住む街に越してきた10年前と、現在とを並行して描く。姉妹が最初にタカハシと知り合う過程を描いた10年前の部分は、なんとかタカハシの気を引こうという姉妹の涙ぐましい努力がユーモラスで笑いを誘う。対して二人が大人になり、人生の辛酸をなめた後、タカハシに再会する現在の場面は、登場人物たちの精神的成長とそれぞれの孤独が感じられて心に迫るものがある。

 姉妹の両親の友人で、その昔彼女たちの母親の恋人だった男が登場する。彼は親友である姉妹の父親に恋人を譲ってしまい、そのことを後悔するあまり、世捨て人のような生活を現在も送っている。そんな彼に自らの境遇を重ね合わせる妹の苦悩、そして夫がありながら不倫の果てに結局はタカハシにふられてしまう姉の不幸。人生いろいろあるけど、それでもみんな自分なりに生きていかなければならない、という作者の控え目だが確固とした主張が感じられる。

 カナダのブリティッシュ・コロンビア州にロケした映像は透明で美しい。アメリカの隣の国なのに、雰囲気はまるでヨーロッパ映画だ。映画の語り口は静かである。アンドレ・ガニオンによる音楽も良い。
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