元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「サウンド・オブ・サイレンス」

2011-02-09 06:33:01 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Don't Say A Word)2001年作品。誘拐事件に巻き込まれた精神科医の苦闘を、心を閉ざした若い女との交流などのエピソードを絡めて描くサスペンス編。監督は「デンバーに死す時」などのゲイリー・フレダー。

 大昔のヒット曲を思わせるこの邦題は、実は原題とは関係がない。ついでに言えば、映画の内容ともあまりマッチしない。どのような経緯で命名したのか不明だ。こんな曖昧な状況を反映したのかどうか知らないが、出来自体も弱体気味。

 何よりもこれより前に観た「スパイダー」(リー・タマホリ監督)とほとんど変わらない設定(子供が誘拐されて、その子がまた気丈で・・・・という筋書き)なのには呆れた。途中で入れ替えてもわからないのでは?

 各プロットはいろいろと工夫されてはいるものの“脚本をいじくり回した挙げ句、無難なレベルに落ち着いた”といった感じで観た後ほとんど印象に残らない。ビデオで十分である。それにしても、マイケル・ダグラスとファムケ・ヤンセンが夫婦役とは、ヘンな意味で“濃そう”でイヤである(笑)。
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「白夜行」

2011-02-08 06:32:01 | 映画の感想(は行)

 前年(2010年)の「行きずりの街」に続いて、またしてもテレビの2時間ドラマをスクリーン上で見せられるとは思わなかった(呆)。本当につまらない。この映画の作り手は、こういう低レベルの作品を金を払った観客に対して提示することに関し、一抹の不安も羞恥心も抱かなかったのだろうか。まったく恐れ入る。

 原作は東野圭吾のベストセラーだが、凡作・駄作揃いの東野の著作群の中にあって「白夜行」はまあマシな部類だ。かなりの長編だが、それなりに読者を惹き付ける作劇の御膳立ては出来ていたように思う。難点は終盤に話を無理矢理に終わらせるためか、バタバタとした展開になってしまったことぐらいか。

 1980年に起こった質屋店主殺人事件が被疑者の死亡によって真相は有耶無耶のまま、それから19年の月日が経過する。その間、事件当時子供だった被疑者の娘と被害者の息子が成長するに連れ、彼らの周囲で不可解な凶悪犯罪が連続して起こるというのが筋書き。

 長い原作を一本の映画にまとめる際には、物語のテーマを把握しつつ、その焦点となるエピソードをピックアップして、破綻無くラストまで引っ張るというのが鉄則だと思うが、この作品にはそんな工夫の跡は微塵もない。漫然といくつかのパートを選んで、これまた漫然と映像化しただけである。

 しかも、場を保たせるためか説明的なセリフやシークエンスが山のように挿入されており、観ている方は興醒めするばかりである。画面に緊張感が無く、薄っぺらいセットが寒々しく並ぶばかり。監督の深川栄洋の腕前は三流と言うしかない。

 演技陣だが、これはもう酷すぎる。ヒロイン役の堀北真希は表情が乏しくセリフ棒読み。相手役の高良健吾もカッコ付けているだけで中身はカラッポ。刑事に扮する船越英一郎に至っては、わざとらしい身振り手振りでシラけてしまう。ラスト近くの長台詞など、何かの間違いではないかと思うほど臭い。

 ただし、堀北にしろ高良にしろ船越にしろ決してヘタな俳優ではない。別の映画では語るに足る仕事をしている。要するに、彼らに満足な演技指導も出来ない本作の作者がボンクラなだけだろう。観る必要のない映画である。
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「裸足の1500マイル」

2011-02-07 06:30:14 | 映画の感想(は行)
 (原題:Rabbit Proof Fence)2002年作品。オーストラリア政府のアボリジニ差別政策を告発する実録ドラマ。母親に会うために寄宿舎を脱走し、ひたすら荒野を歩き続けた少女たちを描く、実話の映画化だ。

 映画の舞台は1931年だが、つい30年前ほどまでオーストラリア政府が原住民であるアボリジニを居留地に隔離し、混血児たちに白人社会への同化教育をさせるという理不尽な政策を行っていた事実に驚かされる。監督のフィリップ・ノイスも義憤に駆られてこの映画を撮ったのだろう。

 ただし、施設を脱走した3人の混血少女たちの苦難の旅という物語の主眼が映画として面白くできているとは言い難い。実話を元にしているとはいえ、展開が平板に過ぎる。もっとエピソードの掘り下げやサスペンスを織り込んで欲しかった。

 クリストファー・ドイルのカメラとピーター・ガブリエルの音楽も今回は不発だ。なお、保護官を演じるケネス・ブラナーは、善意の名によって平然と差別を行う白人エリートの夜郎自大ぶりを上手く演じていたと思う。
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「キック・アス」

2011-02-06 06:59:30 | 映画の感想(か行)

 (原題:Kick-Ass)アッと驚くような痛快作だ。マーク・ミラーとジョン・S・ロミタ・Jr.によるヒーロー物のコミックを原作としているが、同系統の作品の中では一番出来が良い。少なくとも「ダークナイト」なんかよりは数段上だ。何より素晴らしいのは、普通の人間が仮面のヒーローに憧れる姿と、それが現実になったときのシャレにならないような修羅場をヴィヴィッドに描き出している点である。

 ニューヨークの高校に通うデイヴは勉強もスポーツも苦手の冴えない男子生徒。そんな彼の望みは、いつか仮面のヒーローに変身して悪を退治し、注目を浴びることだ。要するに単なるオタク野郎なのだが(笑)、演じるアーロン・ジョンソンの一本気な面構えも相まって、不遇な日常から(尋常な手段を取らずに)何とか脱出したいという、身勝手かつ純情な心意気がひしひしと伝わってくる。誰だってそんなことを夢想したことがあるはずだ。

 しかし、夢想するだけでは飽きたらず、デイヴはそれを実行に移してしまう。ネット通販でそれっぽいコスチュームを手に入れ、悪を懲らしめるために街中に飛び出す。だが、最初にちょっかいを出したチンピラには手痛い反撃を受け、おまけに交通事故に遭い半死半生。

 気が付いたときには全身の骨が金具で固定され、末梢神経をやられて痛みを感じない身体になってしまう。それでも彼のヒーロー趣味は退院後も衰えず、今度はギャング連中に追われる男を助けるために大乱闘を演じる。その様子がネット中継され、デイヴ扮するマスクマン“キック・アス”は一躍有名に。

 だが、道楽が嵩じてヒーローを演じる彼とは別に、本気で悪を撲滅させるためにガチンコの武装闘争を仕掛ける仮面の二人組がいた。それがマフィアに妻を死に追いやられた元警官と、彼からあらゆる殺人テクニックを学んだ小学生の娘のコンビである。この“ビッグ・ダディ”と“ヒット・ガール”はマフィアの構成員を次々に血祭りに上げていくが、彼らがひょんなことから“キック・アス”とも知り合ったおかげで、デイヴはニューヨーク中を揺るがす“戦争”に巻き込まれていく。

 マフィアは悪そのものだが、正義を標榜するマスクマンがそれと対峙するためには手荒な方法を取らざるを得ない。結果、行き着くところは血で血を洗う抗争しかないのだ。

 本作の巧妙なところは、警察もマフィアとグルであり、一種の無法地帯を現出させていることだ。当局側との関係がウヤムヤのまま並はずれた金持ちがメカを駆使して戦うだけの「バットマン」シリーズよりも、はるかにリアリティのある設定である。しかも、しがない若者が“成長”していく青春ストーリーと、正義を看板に殺戮の限りを尽くす二人組のグロテスクさとを対比させることにより、ドラマに幅広さを持たせている。

 監督マシュー・ヴォーンの腕前はかなりのもので、テンポの良いシークエンスの繋ぎ方や、活劇シーンでの目を見張るヴォルテージの高さは、観客の目を釘付けにする。ギャグの振り方も堂に入っていて、特にクライマックスの殴り込みのバックに「夕陽のガンマン」のテーマが流れるあたりは手を叩きたくなった。

 ニコラス・ケイジの“ビッグ・ダディ”も不貞不貞しくて良いが、注目すべきは“ヒット・ガール”の造型である。まるでダンスを踊るように人を殺しまくる、この史上最年少最凶ヒロインを見るだけで入場料の元は取れるだろう。演じるクロエ・グレース・モレッツは今後も要チェックの素材であることは言うまでもない。とにかく単館公開がもったいないほどの面白さで、見逃すと確実に損をする。続編の話もあるようで、実に楽しみだ。
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「ミシェル・ヴァイヨン」

2011-02-05 18:47:45 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Michel Vaillant )2003年作品。スピードに命を賭けるカーレーサーの戦いをスリリングに描く。クライマックスは主人公ミシェル・ヴァイヨンがル・マン24時間耐久レースで宿敵チームと対決するシーンになっている。

 リュック・ベッソンの製作会社の作品だ。単純なキャラクター設定と御都合主義的な展開はまるでマンガだ・・・・と思っていたら、原作はコミックだった(笑)。この手の映画にドラマの深みなど求めても仕方がないので、とことん“外見”を楽しむしかないだろう。

 クルマのCFを手掛けて名をあげた監督ルイ・パスカル・クブレアの仕事ぶりは、その意味で及第点には達している。実際に参戦して撮られたレース場面は派手さよりもスタイリッシュさを狙っており、鋭いカッティングの連続も相まってクールな美しさを醸し出している。スタート直前の静寂を蝶を使って表現するあたりも(多少臭いが)大いに納得してしまった。

 主人公役のサガモール・ステヴナンとヒロインに扮するダイアン・クルーガー(本作ではフランス語読みのディアーヌ・クルージェという表記をされている)も浮世離れした優美さを見せる。それにしても、活劇の代名詞だったカーアクションはCGに頼りっぱなしのハリウッドの手を離れ、完全にフランス映画の専売特許になった観がある。ここいらでアメリカ映画にも奮起を期待したいところだ。
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「RED レッド」

2011-02-04 06:32:57 | 映画の感想(英数)

 (原題:RED )大味な作りだが、原作がDCコミックのグラフィックノベルであることを冒頭に謳ってあるのであまり腹は立たない。それどころかこういうお気楽な企画に有名俳優、それもベテラン勢が参加し、顔見世興行よろしくそれぞれ仰々しく見得を切っているあたり、観ていて嬉しくなる。

 かつてCIAの腕利きスパイであったフランクは、今は引退してクリーブランドの自宅で静かな生活を送っていた。楽しみといえば、年金課の担当者サラと電話で会話するぐらいだ。しかし、ある日突然武装した一団に襲撃される。軽く撃退したものの、現役時代にコミットしたある事件の関係者が次々と消されていることを知った彼は、昔の仲間達を集めて反撃を開始する。

 ブルース・ウィリス扮するフランクは冴えないハゲ親父だし、モーガン・フリーマン演じる元エージェントは老人ホームで暮らす末期ガンのエロじじい。ジョン・マルコヴィッチのジャンキー上がりの武装マニアや、ヘレン・ミレン扮する優雅なマダムで実は元MI6の女殺し屋、ブライアン・コックスの旧ソビエト連邦のスパイといった濃いメンバーが勢揃い。

 敵役にはリチャード・ドレイファスの軍需産業の社長。さらにはチョイ役でアーネスト・ボーグナインも出てくるという、一度この配役で西部劇でも作ってもらいたいほどの強面キャストだ。出演者の平均年齢が高いせいか、40代のサラ役メアリー=ルイーズ・パーカーが“女の子扱い”されるのも仕方がないかもしれない(爆)。

 ストーリーはありがちな陰謀もので、そこに若い副大統領が絡んでくるあたりの新味はあるが、とりたてて見るべきものはない。しかし、本作はマジメに対峙して観るようなシャシンではなく、笑って済ませるのが妥当だろう。

 ロベルト・シュヴェンケの演出は切れ味こそ無いが、ハデな場面をテンポ良く繋いでいくあたりは及第点。ギャグの挿入も効果的だ。しかも、舞台がアメリカのあっちこっちに(派手なテロップ入りで)飛ぶせいか、何やら旅行気分も味わえたりする。また、別の熟年俳優を呼んできて続編も次々と作れそうだ。とにかく、ポップコーン片手にノンビリ楽しむにはもってこいの映画だろう。
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「害虫」

2011-02-03 20:00:26 | 映画の感想(か行)

 2002年作品。宮崎あおい扮する女子中学生が遭遇する不幸のオンパレード。母親は自殺未遂、そして登校拒否、さらにイジメにレイプ未遂、暴行事件に放火、そして最後には・・・・。

 この転落の過程を、一見突き放したようでいて、実は粘り着くようなタッチで描く塩田明彦演出。いわば“好きな対象をとことんしゃぶり尽くしてしまいたいけど、露骨にやると恥ずかしいのでクールなフリをしている”ってな感じか。いわば“むっつりスケベ(ロリ趣味が入っている)路線”だろう(笑)。

 ただし、ヒロインが嘗める辛酸の数々は、先に岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」を観ているせいか、いくぶん“甘い”印象を受けてしまう。さらに、脇の出演者の顔ぶれがけっこう豪華であることが、映画の“フィクション度”を高めてしまい、即物的リアリズムに徹しきれないもどかしさを感じさせる。結果として、力作ではあるけれど、いまひとつ突き抜けられない出来に終わってしまった。

 なお、宮崎は本作で第23回ナント三大陸映画祭の主演女優賞を獲得しているが、それも頷けるほどの存在感を発揮している。そして注目すべきは、同じく若手女優のエースである蒼井優との(今のところ)唯一の共演作であることだ。二人の役柄も、何となくライバル関係を意識しているようで面白い。また機会があれば一緒に映画に出てもらいたいものだ。
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「コラテラル・ダメージ」

2011-02-02 05:07:26 | 映画の感想(か行)
 (原題:Collateral Damage )2001年作品。テロにより妻子を失った消防隊長が、捜査当局の及び腰な態度に業を煮やし、自分で事件を解決しようと大暴れする話。主演はアーノルド・シュワルツェネッガーで、監督は「逃亡者」などのアンドリュー・デイヴィスが担当している。

 普通に考えれば、一介の消防士が南米コロンビアまで“出張”し、ゲリラのアジトにまで乗り込んで“大活躍”するなんてことは有り得ないが、それを何とかドラマとして成り立たせているする、主演がシュワ氏であるからに他ならない。

 要するにいつも通りの“シュワ氏におんぶに抱っこ”の活劇編で、出来としては可もなく不可もなし。割り切って気軽に楽しめばいい映画だろう。グレーム・レヴェールのテンポの良い音楽も要チェックだ。

 ただし、この映画を“テロリストの言い分も聞いているから良い”とか“テロリストの主張が不十分だからダメだ”みたいな視点からのみ論じるとしたら(リベラル派の評論家あたりが書きそうだが ^^;)、それはナンセンスだ。たかが娯楽映画にまっとうな政治的メッセージを求めるのは筋違いであり、“面白いかどうか”以外の評価基準は不要なのである。
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「愛する人」

2011-02-01 06:37:51 | 映画の感想(あ行)

 (原題:MOTHER AND CHILD)かなりの力作だが、感動するところまでは行かない。それはひとえにヒロイン像に対する洞察の浅さにある。主人公のエリザベスは生まれてすぐに養女に出され、30代後半になった今では弁護士として活躍しているが、養父母とも若い頃に別れてしまったため、家族のありがたさを全く知らない。そのためか他人を信用せず、性的な面でも自らの欲望のままに行動する。もちろん、相手がどうなろうと気にしない。

 演じるナオミ・ワッツは目を見張る熱演で、程度を知らない官能演技はもとより、撮影当時は妊娠中であった腹ボテ姿を躊躇無く曝している。しかし、困ったことにそれは上っ面のパフォーマンスに過ぎない。彼女がどうしてそんな屈折した人間に育ったのか、その理由をただ“そういう生い立ちだったから仕方がない”といったレベルで片付けてしまっている。

 もっと切迫したパッションが画面から滲み出るべきだと思うが、ひょっとして作者はこのキャラクターに共感もしておらず、理解するつもりもないのではないか。単に見た目が興味を惹くだけの素材でしかないように感じる。

 対して、もう一人のヒロインである彼女の母親カレンに対する描写は丁寧だ。生まれたばかりの娘は手放すハメになり、その後30年以上も結婚せずに年老いた母親を介護しながら暮らしてきた彼女は、無理矢理に娘を養女に出した母親を今でも許せない。そのせいで周囲と良好な人間関係を築くことが出来ず、好意を持って近付いてくる男にも過度に突っ慳貪な態度を取ったりする。

 カレンに扮したアネット・ベニングが好演で、心を開きたいのだが大きな屈託を抱えているため一歩踏み出せないキャラクターをうまく具現化させている。ただし、作り手はカレンに思い入れを持っていることは分かるものの、困ったことにエリザベスを始めとする他の登場人物の描写に力が入っていない。ケリー・ワシントン演じる養子を欲しがっている若妻の扱いもそうで、ラストの辻褄合わせのために用意したに過ぎない。

 監督は「彼女を見ればわかること」などのロドリゴ・ガルシアだが、製作総指揮のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの持ち味が大きく影響しているように思える。つまりは特定の素材に対する集中度は高いが、映画トータルとしての出来映えにはあまり配慮していないという点だ。とにかく、観賞後は釈然としないものが残る映画である。
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