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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「今度の日曜日に」

2009-05-04 06:22:30 | 映画の感想(か行)

 肌触りは良いが、いまいち煮え切らない映画だ。韓国から映像の勉強のため長野県の芸術系の大学に留学した憧れの先輩を追って、同じ大学に進学したヒロイン。しかし先輩は自分と入れ違いに帰国しており、しかもすでに彼の心は彼女から離れてしまったようなのだ。一人になった彼女だが、それでもカリキュラムの“課題”は提出しなければならない。題目は“興味の行方”。題材が見つからなくて悩む彼女の目に留まったのが、副業をいっぱい持っていて一日中働いている用務員のオジサン。さっそくオジサンに撮影への協力を依頼するのだが、どうも一筋縄ではいかない。

 憧れの対象がいなくなってしまい、初めて自分が孤独であることを自覚した主人公が、一から人間関係を作り直そうとするドラマである。ヒロインを留学生にしたことでこのテーマは際立っている。彼女の知り合いは同じ寮に住む上級生ぐらいで、クラスメートと打ち解けているようにも見えないし、サークル活動などを通じて友人を作ろうとしているわけでもない。何かの目的(彼女の場合は好きな先輩と付き合うこと)や束縛などから意に添わないまま放たれてしまい、何をして良いのか分からない所在なさは、誰でも若い頃は(まあ、若い頃でなくても)経験するものだ。

 この“状況”は外国人であるという設定だけで詳しい内面描写を抜きにしてもその孤立ぶりが表現される。自分から何かアクションを起こさなければ物事が始まらないはずだが、なかなかそのきっかけが掴めない。このあたりの描き方はうまいと思う。

 しかし、肝心の“24時間働くオジサン”のキャラクターが十分に練り上げられていない。友人を信じたばかりに借金の保証人になり、今では返済に追われる毎日で、妻子を置いて逃げるように故郷に戻ってきた冴えない男だ。映画は彼の境遇を“ヒロインの憧れの先輩”のその後と対比して、人それぞれの孤独との付き合い方を考察しているように思えるのだが、それがどうもしっくりと来ない。

 オジサンは拾った瓶を集めるという変わった趣味を持っているものの、それが彼の屈託とどう繋がっているのかハッキリしないのだ。正直言って、取って付けたようなモチーフである。ラスト近くの彼の行動もいまいちよく分からないし、どうも作者自身がこの登場人物を持て余しているようにも思える。それに引きずられてかヒロインの扱いもフットワークが重くなり、尻切れトンボみたいな結末でお茶を濁すことになったのは実に遺憾だ。

 オジサンに扮する市川染五郎は珍しく現代劇での登板だが、嫌味がないのは取り柄だとしても、軽やかさに欠ける。ヒロイン役のユンナは映画初主演の歌手ながら、けっこう良い演技はしている。ただし、今回は“異国で右往左往する留学生”という役柄を勘案してのことだ。本国でフツーの役を演じても目立つことはないだろう。けんもち聡の演出は薄味過ぎて感銘度に欠ける。もうちょっとケレン味を出してもいいと思った。
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「パーフェクトワールド」

2009-05-03 06:50:04 | 映画の感想(は行)
 (原題:A Perfect World )93年作品。クリント・イーストウッドの監督作って本当に面白くない。おそらく彼は映画を撮る前に自分の頭の中で作品を完成させてしまうのだと思う。興味ある題材を見つけたとき、彼はとことん映画的アプローチを試みるのだろう。ただし、それは自分だけの観念的な世界での話である。そうやって対象を突き詰めたあと、やっと彼は製作にとりかかる。ところが、出来上がる映画は、彼の頭の中で完成してしまった完璧な作品の補完でしかないのだ。つまりは断片だけの映画。本来のテーマは納得できるように描かれないし、そうする必要もないと考えているのだろう(それは無意識にかもしれないが)。

 それでもアカデミー賞を取った「許されざる者」や硫黄島二部作はけっこう重いテーマを、いくぶん図式的ともいえる構成の中でわかりやすく丹念に描いていて、ナルホドと思ったが、この「パーフェクト・ワールド」はまさに悪しきイーストウッド映画の典型でしかない。

 ケヴィン・コスナー扮する脱獄囚は“オレは悪党ではない、しかし、根っからの善人でもない”と思わせぶりに語る。たぶん作者は彼を、失われたフロンティア・スピリットを追い求める(実はそんなものはないことは百も承知)、遅れてきた悲しいヒーローか何かと思っているのだろう。彼にとっての“完璧な世界”とは、実は遠いアラスカではなくて、人質の少年と心を通わせた緑の草原であった・・・・、などという一見崇高なテーマとハッタリめいた構図が頭の中で完成してしまったイーストウッドにとって、あとの映画づくりは雰囲気だけに終わろうと知ったことではなかった。

 単に優柔不断な悪人の、意味不明の繰り言をさも重大なことのように並べただけの、まるで要領を得ない作品がここにはある。プロットは大甘。イーストウッド扮する署長も、ローラ・ダーンの心理学者も、ハイテクの粋を集めたらしい警察の専用車も、何しに出てきたのか全然わからない。最後の扱いも在り来たりでで、少しは芸を見せてほしかった。ただ、子役だけは立派で、退屈な展開をなんとか救っていたと思う。
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