元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「M(エム)・バタフライ」

2009-05-09 20:53:32 | 映画の感想(英数)
 (原題:M Butterfly )93年作品。デイヴィッド・クローネンバーグ監督もミョーな映画を撮ったものである。“マスター・オブ・ホラー”の異名をとる彼だが、これは柄にも合わない大失敗作だと言ってしまおう。

 1964年。北京のフランス大使館に勤務する副領事館長のルネ・ガリマール(ジェレミー・アイアンズ)は京劇の人気俳優ソン=リリンに惚れ込んでしまう。妻も捨て、頻繁にソンのところへ通うルネだが、子供が出来た時点で当局側によって引き離される。数年後、帰国したものの閑職に追いやられ、生きる張り合い失ったルネのところへ突然ソンが訪ねてくる。彼女は実は諜報部員で、フランスの国家機密を盗むためにルネに近づいたことが明るみになる。

 実話の映画化だが、話題はソン役をジョン・ローンが演じていることである。つまり、男であるソンを長年ルネは女と思い込んでいたわけで、事件が発覚した当時は国をあげての大騒ぎになったという。

 ソンをローンが演じることはすでに観客は知っており、ローンの女装もそれほど完璧ではない(ハリウッドの特殊メイク技術をもってすれば巧妙に仕上げることが可能だったにもかかわらず)。アップで見ればしっかり男だ(会うときはいつも二人きりであり、他の誰かに女装を見破られることもない)。つまり、ルネ一人だけが相手を女だと信じて疑わなかったわけで、これはクローネンバーグがいつもテーマとして取り上げる“人間の妄想の恐ろしさと滑稽さ”に添ったものだということはわかる。ところが、作者の敗因はこれを“東洋と西洋”という単純な二項対立の上で描こうとしたことである。

 誰が信じるだろう。たいして大昔でもない60年代半ばにほとんど死語となった“麗しい東洋の幻想”に溺れる西洋人の姿を。しかもこの男は大使館員である。一般人より国際情勢に通じているはずの人間がである。プッチーニのオペラ“蝶々夫人”がドラマの重要なモチーフとして扱われているが、ソンはルネに、これを“西洋人にとって都合のいい東洋人女性像”と言ってのける。にもかかわらず、彼はすっかりオペラの登場人物気取りでソンを“僕のバタフライ”などと呼ぶ。ひょっとして西洋人のアジアに対する認識のなさを風刺しようという意志があったのかもしれないが、これだけマヌケな主人公だと、風刺以前の問題。話にならない。

 ラストシーンではルネは自分でオトシマエをつけることになるのだが、「戦慄の絆」や「裸のランチ」のラストのような、人間の凶々しい深層心理の暗部を見せつけられたようなショックはない。アイアンズが熱演するほど、主人公の筋金入りのバカさ加減が浮き上がり、観ているこちらはタメ息をつくしかないのだ。

 京劇の場面や文化大革命のデモのシーンなど迫力のカケラもなく、中国人俳優の動かし方もサマにならない。何よりも英国紳士然としたアイアンズがフランス人である不思議(セリフも英語)。全体にキワ物臭く、感心したのはハワード・ショアによる音楽だけである(-_-;)。
コメント
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