元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「おっぱいバレー」

2009-05-14 06:32:31 | 映画の感想(あ行)

 監督の羽住英一郎がテレビ・ディレクター出身であるためか、いまひとつ画面が弾まない。何となく小さくまとまってしまい、映画ならではの高揚感に欠ける。これがテレビドラマだったら許せるかもしれないが、ワイド・スクリーンでは辛いものがある。

 中学校の男子バレー部の顧問を担当することになった新任女教師。ところが部員はやる気ゼロ。年中エロいことしか考えていない悪ガキどもだった。そんな彼らにハッパを掛けるつもりが、いつの間にか“地区大会で一勝したらおっぱいを見せること!”という無茶な約束をさせられてしまう。顧問としては頑張って欲しくもあり、でもそうなっては窮地に立たされることは必至。果たして彼女のおっぱいの運命は・・・・(^_^;)。

 こういうアホアホな設定を、たとえば矢口史靖や周防正行あたりが演出すれば抱腹絶倒の学園コメディに仕上がったところだが、所詮はテレビ屋の羽住ではサマにならない。それを象徴するのが、舞台が北九州市であるにもかかわらず北九弁がまったく出てこず、全編にわたって標準語で通した点だ。

 この映画の作り手は方言の持つ“魔力”が分かっていないと見える。その土地に合った言葉を使うことは、登場人物に地に足の付いた存在感を付与することになるのだ。しかも今回は、劇中にちゃんと“北九州市で撮っている”との表記がある中で、経験の少ない俳優達(特に生徒役の連中)を起用していることもあり、ここでの方言の使用は有効なツールに成り得たはずだ。

 一方、1979年という時代設定にちなんだ大道具・小道具は特筆すべきものがある。特に学校の佇まいや街の風景、ヒロインが住むアパートの生活感などはとてもよく出ていた。しかし、裏を返せばこれは“外見だけ取り繕えばそれでヨシ”とする不遜な態度にも見える。ヘタすれば「ALWAYS 三丁目の夕日」のモノマネだ。時代設定を担うのは舞台セットではなく、あくまで登場キャラクターの造型であることを理解すべきだろう。

 素材に対する及び腰のスタンスが見て取れるから、本来笑って許してしまえる作劇のアラも目立ってしまう。ド素人の集団がわずか数週間で強豪チームと渡り合えるようになるはずがないし、そもそもそんな“おっぱい云々”の口約束など一喝すれば清算できるはずだ。主人公以外の教師連中の影は妙に薄いし、彼女の昔の恋人も何しに出てきたのか分からない。肝心の試合シーンも描き方がアッサリしすぎている。これでは満足できない。

 あまりケナすのも何だから、ひとつだけ褒め上げておくと、主演の綾瀬はるかである。天然キャラの持ち味がここでも全面展開しており、彼女が出て来るだけで楽しい。逸材揃いの若手女優陣にあって“華”を感じさせる得難い役者である。しかも、着ている服がメチャクチャ可愛いし、彼女のためならエロガキ連中ならずとも頑張ってしまいたくなる(笑)。その意味では観て損はないだろう。
コメント
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