元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ポー川のひかり」

2009-10-13 06:21:22 | 映画の感想(は行)

 (原題:Centochiodi )あまりの図式的な筋書きで、愉快ならざる気分になってくる映画だ。イタリアのボローニャ大学が所有する古い文献類が、夏休みを前にした晩に図書館の床に釘付けにされるという事件が起きる。すぐさま警察が捜査に乗り出すが、このあたりの展開はまるで「ダ・ヴィンチ・コード」などの“歴史的文化財をネタにしたミステリー”だ。

 しかし、テンポよく進むのはこの開巻20分ぐらいで、あとは逃走した容疑者の若い哲学科教授の、ポー川のほとりでのホームレス生活(?)が延々と続く。彼はそこで素朴な住民達から“キリストさん”と呼ばれ、彼らの相談相手になったり、その地に無理な公共工事を仕掛けようとする市当局と対立したりする。やがて彼がどうして件の犯行に及んだのかが明らかになってくるが、これがどうも“語るに落ちる”ような話なのだ。

 冒頭にインドから留学していた女性に少しスポットが当てられるが、これは多神教のヒンズー教と一神教であるキリスト教との比較を暗示している。ヒンズー教ではどうであるか知らないが、キリスト教では教義の厳格さ故に、イエス・キリストの教えを教会内や専門家の小難しい理屈や、あるいは古文書類の中に押し込めてきた。つまりはキリストが民衆の身近に存在しない事態になってしまったのだ。よって彼はそれに抗議すべく古い文献に杭を打ち込んだと・・・・こういう筋書きである。

 でも、そんな一般ピープルと特権階級との間に繰り広げられる“宗教の中心点”の綱引きというネタは、よくある構図であって今さら何だという感じだ。しかも、観ているこっちは一神教なんて関係のない、八百万の神々が闊歩する東洋の島国の住民である。ハッキリ言って、全然ピンと来ない。どうでもいい話なのだ。

 監督はかつて「木靴の樹」や「聖なる酔っぱらいの伝説」といった傑作をモノにしたエルマンノ・オルミで、自身最後の劇映画という触れ込みで撮ったシャシンである(今後はドキュメンタリー映画の作家になるらしい)。観る前は期待も高かったのだが、正直落胆してしまった。

 それでも映像面では健闘していて、ポー川流域の風情には心惹かれるものがある。特に、村人達のダンスパーティと川を渡る船上で踊る人々とが交差するシーンは、夢を見ているような美しさだ。ボローニャ大学の佇まいも歴史を感じさせる重厚なもので、改めてこの国には名所・旧跡が数多いことを印象付けられる。
コメント
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