(原題:Sunshine Cleaning )元気をもらえる痛快作だ。主人公達が死亡事件の現場を“後片づけ”することを生業にしていることから、アメリカ版の「おくりびと」だという解釈も成り立つ。ただし、本作にはアカデミー外国語映画賞を獲得したあの作品ほどの慎み深さや静謐さはない。
作劇のベクトルは死んでいった者達ではなく、今を生きている主人公達に徹底して向いている。まさに“死んでからのことは知ったことではない。こっちは生きているのが精一杯なのだ!”といった、ある意味で身も蓋もない、ただしよく考えるとしがない小市民として至極真っ当な言い分を明るくアッケラカンと展開させているのが実に清々しい。
高校時代はチアリーダーとしてアイドル的な存在だったヒロインも、30歳を過ぎた今は何の取り柄もないシングルマザーに成り果てている。安月給のハウスクリーニングの仕事に身をやつし、既婚者である警察官との不倫関係も清算できないという、典型的な負け犬人生を歩んでいる。おまけに風采の上がらない妹は仕事を転々とするばかりで自立できず、怪しげなブローカーを営む父親と嫌々ながらも同居しているといったダメっぷり。そんな姉妹が事件現場のクリーニング業に手を染めるが、不浄な仕事に対する忌避感よりも、生活を防衛するためには四の五の言ってはいられないという、フッ切れたような力感を漲らせているのがアッパレだ。
そんな彼女でも、資産家の妻に収まっている高校時代の同級生の出産パーティに顔を出して、一応“実業家”であることをアピールする俗な欲望を振り切ることは出来ない。結果として暗転してしまうこの企みだが、ダメ人間の矮小なプライドをも容赦なく描ききるこの演出家(クリスティン・ジェフズ)の覚悟の程が垣間見えて、決してダウナーな雰囲気には陥らない。
同じスタッフによる傑作「リトル・ミス・サンシャイン」に通じるような、ダメさをそのまま受け入れることによって浮かぶ瀬もあるといった人生の極意(?)を平易な形で示してくれる。ラストの開き直りなんか“ダメでどこが悪い! これしか生きる道はないのだ!”との底抜けなポジティヴさを開示させ、観ていて目頭が熱くなってきた。
主演のエイミー・アダムスは、貧乏くじを引いてばかりの疎外された生き様を感じさせて絶品。妹役のエミリー・ブラントも不器用さ全開の後ろ向きキャラクターを上手く演じている。父親に扮するアラン・アーキンは「リトル・ミス~」に続いての登板ながら、相変わらず煮ても焼いても食えないダメ親父を好演。舞台となったニューメキシコ州アルバカーキの、一種くたびれたような田舎の佇まいも味があり、ペーソスに溢れた佳品といえる。