元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「レスラー」

2009-06-19 06:30:13 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE WRESTLER)随分と“甘い”映画であるとの印象を持った。年を取って落ちぶれたかつてのトップレスラーは、周囲と折り合いを付けることが出来ずに孤独な日々を送るのみ。しかし、その惨めさを印象付けるはずの各エピソードの扱いに、切れ味の悪さを感じてしまう。

 たとえばエヴァン・レイチェル・ウッド扮する彼の娘だ。当初、家庭をまったく顧みなかった父親に対して憎悪にも近い気持ちを抱いている様子が描かれる。だが、当の彼女は父親が居を構える町に今でも住み、地元の大学に通っているのである。本当に父を憎んでいるのならば、とっととヨソの町に引っ越して自分の生活を始めればいいものを、何か未練があるかのごとく生まれ育った場所にしがみついている。

 そんな彼女だからこそ、父親からちょっとしたプレゼントを貰った程度で気を許してしまうのだろう。かと思えば食事の約束をすっぽかされたことで、再び父親を嫌うようになるという脳天気さを隠しもしない。要するに、主人公にとっての“程よい反抗ぶり”しか示していないのだ。

 マリサ・トメイが演じるストリッパーにしても同様。彼女は主人公から想いを寄せられているのだが、すでに子持ちでもあり、なおかつ不安定な生活を送る彼と一緒になる気はないという立場を一度は明らかにする。しかし終盤、やっぱり心の奥底では彼を忘れられなくて・・・・というニュアンスを漂わせてくるあたり、まさに御都合主義的な展開だ。

 一緒に仕事をしているプロレス仲間も、昔は売れっ子であった彼に対して皆一目を置いていて、邪険な扱いをする奴なんかいない。傑作「レクイエム・フォー・ドリーム」で地獄に堕ちてゆく登場人物達を一点の救いもなく描ききったダーレン・アロノフスキー監督にしては、随分と手加減した作劇だと思う。

 だが、本作においてはそれが大した欠点にはなっていない。それは主演のミッキー・ロークの“復活”と微妙にリンクした一種の“ヒーロー物”としてのスタイルが、幾分及び腰な描写手法をマスクしているからだ。80年代には飛ぶ鳥を落とすような人気を誇ったロークだが、近年は見る影もない。それがアロノフスキー監督の御指名により久々の“高い演技力を要求される役柄”を振られるに至った。いわばどん底からの敗者復活戦だ。

 盛りをとうに過ぎたレスラーのボロボロになった肉体。しかし往時を忍ばせる技の切れ味は残っている。本作の主人公とローク自身とがシンクロする時、そこに甘やかな映画的興趣が生まれる。ディテールの瑕疵など、些細なことだと思われてくるのだ。ラストなんか少々のワザとらしさも感じられるが、それでも胸が熱くなってしまう。ブルース・スプリングスティーンの主題歌も効果的で、十分観る価値のある力作だと言える。
コメント
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