元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「乳泉村の子」

2006-10-03 06:38:26 | 映画の感想(な行)
 (原題:清涼寺鐘聲)91年中国=香港合作。中国・河南省の洛陽に近い乳泉村。第二次大戦終結直後、陸軍将校の妻(栗原小巻)は日本に逃げ帰る途中で、生まれて間もない息子と離ればなれになる。中国人夫婦に拾われたこの乳児は、成長して仏の道に入り、高僧として知られるようになった。舞台は現代に移り、中国残留孤児として日本を訪れた息子は、45年ぶりに母と再会することになるのだが・・・・。

 「芙蓉鎮」(87年)の謝晋監督の作品だが、あの映画に見られる骨太な演出力と歴史に対する的確な捉え方は、どちらかというとこの監督にとっては例外的なものらしい。彼は中国の映画界を代表する大衆娯楽作品の担い手として多くの映画を撮ってきた。本当の持ち味は「最後の貴族」(90年)みたいな通俗的メロドラマ(歴史的事象を題材にはしているが)であり、張藝謀とか田荘荘みたいに各国の映画祭を賑わせる人材では全然ないのである。

 さて、こう書くと映画の出来は知れようというもので、これも中国残留孤児問題という歴史的事実をネタとして、徹底的なお涙頂戴路線を狙った作品である。

 最初から終わりまでこれ泣かせのテクニックのオンパレード。孤児を育てる中国人夫婦の鼻につく大芝居から始まって、子供をダシに使った児童劇団風のわざとらしい演出(これはこれでサマになっているのがシャクである)、極めつけは典型的アイドル顔の日本人通訳と苦労を重ねてきたはずだがミョーに小綺麗な栗原小巻(老けメイクが下手である)のぎこちないやりとりで、まさに目が点になるほどのハズし方である。それでも、親子の再会シーンはこれ以上にはないぐらい盛り上げてくれる。最後には“しかし、長い年月は二人の間に微妙な溝を作ったのであった”というような、一見醒めたようなシークェンスを入れておくのを忘れない。歴史を真面目にとらえようとする年期の入った映画ファンに対するサービスで、ここまでくると何も言えなくなる。

 要するにこれは、おエライお坊さんと世田谷区の山の手未亡人の浮き世離れしたメロドラマである。もしも孤児が名もない農民で、母は世間のしがらみにとらわれる小市民だったら(実際はそういう例が多いはず)泣くに泣けないシビアーなドラマになったはずで、そういう路線の映画を作ってほしかった(-_-;)。
コメント
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