これは脚色の勝利と言って良い。何より見どころ(そして泣かせどころ)が小川洋子のベストセラーである原作とは別の、映画独自の演出により形成されているところが素晴らしい。
小説版ではラストにチラッと出てくるだけの“成長して数学教師になったヒロインの息子(吉岡秀隆)”が、映画では冒頭から登場して回想形式で映画が進むことにより、ストーリーの過去完結性と物語性が高まったことに加え、“博士”の人柄およびヒロインとの関わりがそのまま現代に向けてのメッセージとして純化されていることにも感服する。また、それによってラストの処理も実に効果的に仕上がった。
正直言って原作では文系の読者には辛かった数学理論の披露も必要最小限に抑えられ、同時に原作で“数学ネタ”を巧みに中和していた“阪神タイガース云々のネタ”も控えめにしている。その代わりに寺尾聰の役者としての存在感を前面に出し、“博士”の高潔な人格と前向健忘症患者としての苦悩を印象づけている。
さらに舞台を長野県に置いての美しい映像と加古隆による絶妙なスコアをも繰り出す。このへん、さすがは「阿弥陀堂だより」「雨あがる」の小泉堯史である。ヒロイン役の深津絵里も実に魅力的だ。
ただし難点もあり、子役のヘタさ加減には閉口するし、何より浅丘ルリ子扮する“博士”の義姉が出てくるパートが異質に過ぎる。ここだけ演出リズムが停滞したような印象を受けるのは、大女優からの“じっくりと撮りなさい”との指示があったせいだろうか(笑)。なかなか難しいものである。