goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ミルドレッド」

2006-02-05 18:42:33 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Unhook The Stars)96年アメリカ作品。夫に先立たれ、溺愛していた息子は家を出て独立し、素行の悪い娘も家を飛び出し、仕方なく一人暮らしを始めたミルドレッド(ジーナ・ローランズ)。向かいに住むモニカ(マリサ・トメイ)から6歳になる男の子の世話を頼まれ、久々に生活に張りがでてくる彼女だが、息子夫婦からはもうトシなんだから引っ越して同居しようと言われ、初老の身を実感せざるを得なくなる。

 故ジョン・カサヴェテスの息子ニック・カサヴェテスが実母のローランズを主演に撮った監督デビュー作だ。

 J・カサヴェテスとローランズによる作品は「グロリア」(79年)ぐらいしか観ていないが、その子供が演出家として世に出るとは月日の流れを感じずにはいられない。母親が主人公だからというわけでもないだろうが、このヒロイン像は実に等身大で無理がなく感心させられた。娘の代わりに新聞配達をやったり近所の子供の面倒を見たり、60歳になっても元気だけど、すでに自分は引退の時期に来ていることを感じとっている。

 別居していた夫とヨリを戻したモニカ親子がミルドレッドを必要としていなくなったり、酒場で知り合ったトラック運転手(特別出演ジェラール・ドパルデュー)に恋してもイマイチ踏み込めなかったり、普段の彼女が快活であるだけに、身の程を知って寂しく引いてしまうヒロインの心情が痛いほどわかる。

 ただ、そのあたりを突き放して描いていないのがポイントだ。周囲に流されず、しかし淡々と受け入れて生きる女性像は作者の母親を見る目と重なってくるのだろう。一生懸命に子供たちを育てても、愛情は“押しつけ”としか捉えられないこともあり、やがて彼らは出て行く。時は経ち、退場が近くなっても、それでも新しい人生を求めて旅立つミルドレッドに心からの共感を寄せている作者の姿勢は快い。

 ローランズは貫禄の演技。M・トメイも自然体で悪くない。寒色系を活かしたフェルドン・パパマイケルのカメラが効果的だが、どことなく非アメリカ映画系のような印象を受けるのは、プロデューサーがパトリス・ルコントやエミール・クストリッツァの諸作を手掛けたルネ・クレトマンだからだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「路上の霊魂」

2006-02-05 08:10:53 | 映画の感想(ら行)
 1921年製作。「日輪」(26年)や「霧笛」(34年)で知られる村田実監督作品で、当時の演劇界の大物・小山内薫が主催した松竹キネマの第一回作品。

 山奥の伐採場の経営者とその息子の家族、別荘に滞在する富豪の一家とそこに迷い込んだ二人の浮浪者。二つのシチュエーションを平行して描く。

 伐採場の主人の息子は、その昔将来を嘱望されたバイオリニストだった。しかし、自分勝手な性格から婚約者を捨て、別に女を作って家出する。今や落ちぶれ、ボロボロになって、妻と娘を抱えて父のもとへ帰ろうとしたのだ。ところが、父親は彼を許さない。吹雪の中を追い出される息子とその家族。そして悲劇的な結末に到る。

 飢え死に寸前で富豪の別荘にたどり着いた浮浪者は、食料を盗もうとして使用人に見つかり、折檻を受けようとするが、哀れに思った家人は彼らをもてなしてやる。時はクリスマスの夜。二人はパーティに参加し、幸せな時間を過ごして、翌日元気にまた旅立っていく。

 片や肉親であるにもかかわらず相手を許さない偏狭な心が悲劇を生み、一方は赤の他人に対しても慈善の心を持つことの大切さが描かれる。非常に寓話的・教訓的な話であるが、ふたつのエピソードを交差させても絶対融合させずに進めるという、当時としては画期的な手法、そしてキャラクター設定の見事さと随所にあらわれる編集の妙味が、ドラマを盛り上げていく。

 1921年といえば日本映画の黎明期であり、当時すでにこれほど意欲的な作品が生まれていたことは驚きである。私は当作を某映画祭で観たが、画質が思ったよりいいのも感心した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする