元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「欲望のあいまいな対象」

2006-02-02 18:56:49 | 映画の感想(や行)

 (原題:Cet Obscur Objet du de'sir)複数の俳優が一人のキャラクターを演じる映画といえば、まずこの作品を思い出す(‘77/仏=スペイン)。ピエール・ルイスによる「女と操り人形」の5度目の映画化で、名匠ルイス・ブニュエルの遺作でもある。

 主人公である初老の男(フェルナンド・レイ)が駅のホームで追ってきた若い女に向かってバケツで水をぶっかけるシーンで始まり、映画は主人公がそれまでの経緯を他の乗客に話すという回想形式を取っているが、件の女を演じているのがキャロル・ブーケとアンヘラ・モリーナのダブル・キャストだ。

 当然、この二人はまるで似ていないのだが、私は当初“二人一役”に気が付かなかった。まるで普通に一人の俳優が演じているかのように見える。私の観察力不足を勘案しても、この撮り方には感心するしかない。

 もちろん、映画が進むに連れ徐々に二人の女優に演じさせていることが分かってくるようになるが、そのプロセスが映画の筋書きとちゃんとシンクロしているところが凄い。つまり、初めのうちは主人公は彼女の一面しか見ていないが、付き合っていくといろんな内面が見えてくるということだ(映画では“貞淑さ”をC・ブーケに象徴させ“魔性”をA・モリーナに演じさせている)。

 これは主人公に限らず、すべての男が遭遇するケースではないだろうか。最初は女の外見にしか目がいかないが、やがて隠れた多面性に振り回されるようになる。彼女(or妻)の機嫌の良いときと悪いときはまるで別人のようだ・・・・とは男なら誰しも思うはずだ(笑)。そういう“男の側に立った対女性観の振幅度合い(?)”をスペクタキュラーにまであざとく演出し観客を最後まで引っ張ってゆくブニュエル演出恐るべし(爆)。

 当時彼は80歳近かったにもかかわらず、なおも敢然と“女性の神秘”に挑んでゆく姿勢には感服するしかない。これに比べれば、複数の女優を漫然と並べただけの「またの日の知華」なんていう映画が“子供の遊び”に思えてくる。
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「またの日の知華」

2006-02-02 06:47:28 | 映画の感想(ま行)
 ドキュメンタリー映画の鬼才・原一男監督初の劇映画だが、完成までに紆余曲折があったことは知られている。しかし“構想○年、製作○年”という謳い文句の作品が面白かった例はあまりなく、この映画も見事なほどの失敗作だ。

 時代設定になる1969年からの10年間は作者の青春時代であり、全共闘や「あさま山荘事件」などのニュース映像がフィーチャーされるあたり彼自身のノンポリの傍観者的立場を強調しているのかもしれないが、そのことと主人公の谷口知華が身を持ち崩していくストーリーがどうリンクしているのか全く不明。

 ひょっとして作者には何か自分を突き動かす強烈なパッションがあったのかもしれないが、映画を観ている限りは全然伝わってこない。これなら別に背景が60・70年代でなくても、シチュエーションを少し変えてやればどんな時代でもOKではないか。

 ヒロインを4人の女優(吉本多香美、渡辺真紀子、金久美子、桃井かおり)が演ずるという設定も意味があるとは思えない。作者に言わせれば“男が変われば女性の印象も変わる”ということかもしれないが、多面性を演じ分けられる女優なんていくらでもいるわけで、演技指導に自信がなかったのか、あるいは単にスケジュールの都合か、それとも演技者を信用していなかったのか、いずれにしても愉快になれない。

 しかも各キャラクターのセリフに血が通っておらず(田辺誠一をはじめとする男優陣も同様)、劇映画においての作者の素人ぶりが露呈している。

 原監督も、今後は本業のドキュメンタリーに戻って欲しいものだ。
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