小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んだ。
この本を読むのは何度目だろう。
小川さんは、
わたしが“迷うことなく本を買える”
数少ない作家の一人。
小川さんの本を読むと、
わたしはいつも
小学生の頃通ったお習字教室を思い出す。
お習字教室は、
竹林の中に息をひそめるように建っている
先生の自宅で開かれていた。
先生の家の門をくぐると
空気がすこしひんやりとして
竹の葉がさわさわと揺れる音が聞こえる。
遠くのほうで
鳩の鳴き声がぼんやりと響いている。
挨拶をして玄関を入り
お教室の開かれているお座敷まで忍び足で歩く。
廊下にもほんのりと墨の香りが漂っている。
しんとした部屋に
先生が墨をする、硯のこすれる音がして。
わたしは正座をして文鎮をおき筆をにぎる。
その、
ほんの少し張りつめた
静かに流れる時間と空気。
ひんやりとした
厳かな肌触り。
小川さんの文章を読むと、
それと似た気持ちになる。
そして、もうひとつ。
お習字教室では、
自分の納得のいく字が書けたものだけを
先生に添削してもらう。
だから、
先生に見てもらえるのは
10枚に1枚くらいしかない。
背筋をぴんとのばして先生は座っていて
先生の右隣にはいつも
長さ順にきっちりならべられた筆の入った
塗りの箱が置かれていた。
字の書かれた半紙はかさかさ乾いた音がして、
先生の前にそっと差し出すとき、
わたしはいつも緊張していたのを思い出す。
小川さんの文章を読んでいると、
その1行の裏側にある10行を感じる。
削ぎ落とされ
淘汰され
残った尊い1行。
一文字のもれもなく
行間までも
しっかりしっかり読みたい、と思う。
先生の前に座ったときのような、
厳粛な緊張感がそこにはある。
博士は言う。
「物質にも自然現象にも左右されない、
永遠の真実は、目には見えないのだ。」
それを聞いて、家政婦は思う。
永遠に正しい真実の存在が必要だった。
目に見えない世界が、
目に見える世界を支えているという
実感が必要だった。
わたしも、
目に見えない永遠に正しい真実の存在について考えてみる。
きっと、
ほんとうにたいせつなものや
ほんとうに正しいことや
ほんとうにほしいものは
目に見えないものなんだと思う。
そうやって
暗闇の中を手探りで歩いていく日々。
でもいつか
目に見えない永遠に正しい真実の存在を
こころに感じられる日が来るって信じたいと思う。
この本を読むのは何度目だろう。
小川さんは、
わたしが“迷うことなく本を買える”
数少ない作家の一人。
小川さんの本を読むと、
わたしはいつも
小学生の頃通ったお習字教室を思い出す。
お習字教室は、
竹林の中に息をひそめるように建っている
先生の自宅で開かれていた。
先生の家の門をくぐると
空気がすこしひんやりとして
竹の葉がさわさわと揺れる音が聞こえる。
遠くのほうで
鳩の鳴き声がぼんやりと響いている。
挨拶をして玄関を入り
お教室の開かれているお座敷まで忍び足で歩く。
廊下にもほんのりと墨の香りが漂っている。
しんとした部屋に
先生が墨をする、硯のこすれる音がして。
わたしは正座をして文鎮をおき筆をにぎる。
その、
ほんの少し張りつめた
静かに流れる時間と空気。
ひんやりとした
厳かな肌触り。
小川さんの文章を読むと、
それと似た気持ちになる。
そして、もうひとつ。
お習字教室では、
自分の納得のいく字が書けたものだけを
先生に添削してもらう。
だから、
先生に見てもらえるのは
10枚に1枚くらいしかない。
背筋をぴんとのばして先生は座っていて
先生の右隣にはいつも
長さ順にきっちりならべられた筆の入った
塗りの箱が置かれていた。
字の書かれた半紙はかさかさ乾いた音がして、
先生の前にそっと差し出すとき、
わたしはいつも緊張していたのを思い出す。
小川さんの文章を読んでいると、
その1行の裏側にある10行を感じる。
削ぎ落とされ
淘汰され
残った尊い1行。
一文字のもれもなく
行間までも
しっかりしっかり読みたい、と思う。
先生の前に座ったときのような、
厳粛な緊張感がそこにはある。
博士は言う。
「物質にも自然現象にも左右されない、
永遠の真実は、目には見えないのだ。」
それを聞いて、家政婦は思う。
永遠に正しい真実の存在が必要だった。
目に見えない世界が、
目に見える世界を支えているという
実感が必要だった。
わたしも、
目に見えない永遠に正しい真実の存在について考えてみる。
きっと、
ほんとうにたいせつなものや
ほんとうに正しいことや
ほんとうにほしいものは
目に見えないものなんだと思う。
そうやって
暗闇の中を手探りで歩いていく日々。
でもいつか
目に見えない永遠に正しい真実の存在を
こころに感じられる日が来るって信じたいと思う。
限りませんね。
>目に見えない永遠に正しい真実の存在を
こころに感じられる日が来るって信じたいと思う。
ブルースリーじゃないけど
『考えるな!感じるんだ!』という言葉は、
真理を語る上で正しいって気がします。
削り取られた
最後の最後に残る一行。
尊いですね。
この本、わたしもすごく好きです。
穏やかで力強い。
そしてかぎりなく優しくて・・・
ちゃこさんがきっといつか
真実をみつけられますように!
頭でっかちになってしまうことって
ありますよね・・・☆
感じたままに生きるのが
本来の人間の姿なのかもしれません。
永遠に正しい真実が
博士の数式のように美しいものであることを
祈るばかりです。
その文章を書いている人の
思いの強さや、向かう姿勢って
その本の“表情”として
にじみ出るものだと思うんです。
小川洋子さんの本は
いつも“重み”を感じます。
わたしも
姿勢を正して読まなければ、
っていう気持ちになるんです。
好きな作家の傾向として
“海燕”で受賞した方が多いです。
小川洋子さんもそのひとり。
何年か定期購読していました♪
・・・懐かしいです。
真実をみつけてみせます♪な~んて☆
学術的な真実を見つけられるほど
学問を究めていないので(笑)
わたしなりの“真実”が
みつけられたらいいなって思います。
まだまだ修行が足りないようで
「真実かも!」って思った直後に
その思いが揺らいだりします。
きっと、こころが弱いんだろうな☆
まずは、こころを強くすることから始めなきゃ♪