フリージアさんのコメントに「七重学籍」の話がありました。
やろうと思えばできないことはありません。私自身、産業能率大学大学院の時は、産業能率大学科目履修生、放送大学選科履修生、自由が丘産能短期大学科目履修生という「四重学籍」でしたし、明星大学大学院の時は、産業能率大学大学院特別聴講生、産業能率大学科目履修生、放送大学選科履修生、自由が丘産能短期大学科目履修生という「五重学籍」でした。これに、「日本福祉大学の科目履修生」や「放送大学大学院の科目履修生」を加えると「七重学籍」です。
正科生としてやるのなら、「放送大学大学院」「放送大学」「産業能率大学」「自由が丘産能短期大学」「慶應義塾大学」等々、二重学籍を認める大学があるので理論上は可能だと思います。ただ、私自身、知りうる上限は「三重学籍」をコンプリートした人の話ぐらいですが(笑)。理論値として可能なだけで、本当にやるなら、それなりの「学習」と「時間」と「コスト」が必要となります。それに耐えうるのは、3つが精いっぱいではないでしょうか。私自身、いろいろと特例的に免除されたものがなければ、正科生での三重学籍を達成することは不可能だったと思っています。
ただ、気を付けなければいけないのが、科目履修生ですら、二重学籍を禁止している大学が存在することです。その昔、私が「京都産業大学大学院」を諦めた理由も、この大学院が完全二重学籍禁止大学院であったこと。放送大学の選科履修生から撤収しなければならなかったため、諦めた経緯があります。今なら、検討することができますが、2年間で77万7千円の学費が捻出できないので厳しいですね。でも、一律授業料の20%を割り引く奨学金制度や、教育訓練給付金の対象講座なので、60万円台の学費に圧縮できるやもしれません。2年で60万円台ということは、月々3万円弱・・・それでも手が出ないな。。。
さて、、、生涯学習を志す者は、機会があるたびに、「何のために学ぶのか?」を自問自答していくことが必要です。資格マニアの方にもよくありがちなのですが、本来、資格を活用して学習達成度合いを測る、あるいは証明することを資格取得の目標にしていたはずなのに、いつの間にか、「数の魔力」に魅入られて、訳の分からぬ民間資格で数のみを稼ぐケースが後を絶ちません。煩悩に負けてしまったわけです。国家資格や公的資格、あるいはそれに準じるものなら、最低限の学びの機会があるのですが、訳のわからぬ民間資格では、何の学びにもなりません。
ゆえに、「何のために学ぶのか?」という目的や目標が肝要となります。「学位」とは学校教育法に定められた「国家資格」に準じるものであり、我々資格の世界の住民には、「教育資格」と呼ぶ者もいます。学位を資格に入れる人もいますし、私のように「資格」と認識しつつも、資格外でカウントする人もいます。
その昔、私もサラリーマンで資格取得数日本一と呼ばれた時期があり、「数の魔力」に取りつかれ、無間地獄に落ちかけたときがありました。無意味な資格を取らないとライバルに追いつかれてしまう・・・そんな愚かな資格戦線に嫌気がさし、資格の世界から身を引きました。
その点、学位取得は通学でも通信でも、恩師との出会いがあり、ライバルとの競争があり、それなりに充実した学びであり気に入っています。そもそも、「学位」自体を研究対象としていますし、三重学籍の実践も限界を見極めるための取り組みであったと考えています。
返す返すも、「何のために学ぶのか?」を見極めていただき、本当に、その選択で1年、2年、あるいはそれ以上続けていくのが妥当なのかを検討いただければ幸甚です。
やろうと思えばできないことはありません。私自身、産業能率大学大学院の時は、産業能率大学科目履修生、放送大学選科履修生、自由が丘産能短期大学科目履修生という「四重学籍」でしたし、明星大学大学院の時は、産業能率大学大学院特別聴講生、産業能率大学科目履修生、放送大学選科履修生、自由が丘産能短期大学科目履修生という「五重学籍」でした。これに、「日本福祉大学の科目履修生」や「放送大学大学院の科目履修生」を加えると「七重学籍」です。
正科生としてやるのなら、「放送大学大学院」「放送大学」「産業能率大学」「自由が丘産能短期大学」「慶應義塾大学」等々、二重学籍を認める大学があるので理論上は可能だと思います。ただ、私自身、知りうる上限は「三重学籍」をコンプリートした人の話ぐらいですが(笑)。理論値として可能なだけで、本当にやるなら、それなりの「学習」と「時間」と「コスト」が必要となります。それに耐えうるのは、3つが精いっぱいではないでしょうか。私自身、いろいろと特例的に免除されたものがなければ、正科生での三重学籍を達成することは不可能だったと思っています。
ただ、気を付けなければいけないのが、科目履修生ですら、二重学籍を禁止している大学が存在することです。その昔、私が「京都産業大学大学院」を諦めた理由も、この大学院が完全二重学籍禁止大学院であったこと。放送大学の選科履修生から撤収しなければならなかったため、諦めた経緯があります。今なら、検討することができますが、2年間で77万7千円の学費が捻出できないので厳しいですね。でも、一律授業料の20%を割り引く奨学金制度や、教育訓練給付金の対象講座なので、60万円台の学費に圧縮できるやもしれません。2年で60万円台ということは、月々3万円弱・・・それでも手が出ないな。。。
さて、、、生涯学習を志す者は、機会があるたびに、「何のために学ぶのか?」を自問自答していくことが必要です。資格マニアの方にもよくありがちなのですが、本来、資格を活用して学習達成度合いを測る、あるいは証明することを資格取得の目標にしていたはずなのに、いつの間にか、「数の魔力」に魅入られて、訳の分からぬ民間資格で数のみを稼ぐケースが後を絶ちません。煩悩に負けてしまったわけです。国家資格や公的資格、あるいはそれに準じるものなら、最低限の学びの機会があるのですが、訳のわからぬ民間資格では、何の学びにもなりません。
ゆえに、「何のために学ぶのか?」という目的や目標が肝要となります。「学位」とは学校教育法に定められた「国家資格」に準じるものであり、我々資格の世界の住民には、「教育資格」と呼ぶ者もいます。学位を資格に入れる人もいますし、私のように「資格」と認識しつつも、資格外でカウントする人もいます。
その昔、私もサラリーマンで資格取得数日本一と呼ばれた時期があり、「数の魔力」に取りつかれ、無間地獄に落ちかけたときがありました。無意味な資格を取らないとライバルに追いつかれてしまう・・・そんな愚かな資格戦線に嫌気がさし、資格の世界から身を引きました。
その点、学位取得は通学でも通信でも、恩師との出会いがあり、ライバルとの競争があり、それなりに充実した学びであり気に入っています。そもそも、「学位」自体を研究対象としていますし、三重学籍の実践も限界を見極めるための取り組みであったと考えています。
返す返すも、「何のために学ぶのか?」を見極めていただき、本当に、その選択で1年、2年、あるいはそれ以上続けていくのが妥当なのかを検討いただければ幸甚です。