せっかくさっきまで天気だったのに、いきなり大雨が振り出すし、雷が鳴り出す始末・・・
でも、ギリギリ雨に濡れずに帰ってくることができました!
でも、ギリギリ雨に濡れずに帰ってくることができました!
昨日、武蔵野大学武蔵野キャンパスの図書館に行ったのですが・・・
本当、ここの図書館は「迷路」と言えます(笑)。4年前?に、初めて入館したときは、「なんて、蔵書の少ない図書館なんだ!」と思いました。しかし、かなり学生生活になじんできたとある日、何気に、図書館内で発見した掃除のおばさんのあとをつけて行くと、秘密の入り口があって、そこに膨大な蔵書があることを知ったのでした!
本当、これは凄い!1日中いても飽きないくらいの膨大な図書があります。かなり古い本もあり、とてもじゃないが現在では入手困難といえるものです。浄土真宗本願寺派の大学だけあって、親鸞聖人や浄土真宗系の書籍も充実しています。ここにある仏教関連の図書だけで、小さな図書館ができてしまうくらい、本が多数あります。
昨日は学生の方々も少なからずおられましたし、一般的な学生と比べ、かなり高齢となる方も2名ほど発見しました。私と同じ通信制の大学生なのかもしれませんね。特に、内1名の方は、どうみても還暦を迎えているのでは・・・と思える風貌でしたので、がんばっておられる姿に感服いたしました。
やはり、学生をやっている以上、本を読むことは必要不可欠といえます。小平市と西東京市はお互い隣接する自治体だし、家からキャンパスまで7キロぐらいの距離なのですが、やはり、キャンパスに行くためには、少なからずエネルギーが必要となります。もっと近ければいいのに・・・と思う反面、もっと遠隔地で学ばれている方と比べれば、非常に恵まれていることを感謝しなければならないでしょう。
さて、今度こそ、レポート完成させないと!
本当、ここの図書館は「迷路」と言えます(笑)。4年前?に、初めて入館したときは、「なんて、蔵書の少ない図書館なんだ!」と思いました。しかし、かなり学生生活になじんできたとある日、何気に、図書館内で発見した掃除のおばさんのあとをつけて行くと、秘密の入り口があって、そこに膨大な蔵書があることを知ったのでした!
本当、これは凄い!1日中いても飽きないくらいの膨大な図書があります。かなり古い本もあり、とてもじゃないが現在では入手困難といえるものです。浄土真宗本願寺派の大学だけあって、親鸞聖人や浄土真宗系の書籍も充実しています。ここにある仏教関連の図書だけで、小さな図書館ができてしまうくらい、本が多数あります。
昨日は学生の方々も少なからずおられましたし、一般的な学生と比べ、かなり高齢となる方も2名ほど発見しました。私と同じ通信制の大学生なのかもしれませんね。特に、内1名の方は、どうみても還暦を迎えているのでは・・・と思える風貌でしたので、がんばっておられる姿に感服いたしました。
やはり、学生をやっている以上、本を読むことは必要不可欠といえます。小平市と西東京市はお互い隣接する自治体だし、家からキャンパスまで7キロぐらいの距離なのですが、やはり、キャンパスに行くためには、少なからずエネルギーが必要となります。もっと近ければいいのに・・・と思う反面、もっと遠隔地で学ばれている方と比べれば、非常に恵まれていることを感謝しなければならないでしょう。
さて、今度こそ、レポート完成させないと!
テレビをつけてしまうと、ついつい見てしまうのがW杯。
コロンビアとウルグアイ戦、今、2-0でコロンビアが勝ちました!今となっては、日本を破ったチームが勝ち残るのがせめてもの救い。ベスト8とのことですが、更なる上位を目指してがんばってもらいたいものです。
コロンビアとウルグアイ戦、今、2-0でコロンビアが勝ちました!今となっては、日本を破ったチームが勝ち残るのがせめてもの救い。ベスト8とのことですが、更なる上位を目指してがんばってもらいたいものです。
とうとう科目修得試験本番。
にもかかわらず、大雨が降っている・・・試験会場までいくのも大変なのだが、傘をさしていくしかない。小平市と会場の立川市は隣同士なのだが、如何せん、すべてトータルで30分ぐらいは歩かざるを得ないので憂鬱である。
にもかかわらず、大雨が降っている・・・試験会場までいくのも大変なのだが、傘をさしていくしかない。小平市と会場の立川市は隣同士なのだが、如何せん、すべてトータルで30分ぐらいは歩かざるを得ないので憂鬱である。
コメントにて、武蔵野大学大学院について「もしかして、あまり良くないって事なんでしょうか」というご質問をいただきました。
普通、「よくない」と思っている大学院に2回も入学する人はいません。私としては、よい大学院だと思っています。とはいえ、かくいう私も、最初は「何だ、この大学院は!」と怒ったり、嘆いたり、失望したりとなじむことができませんでした。私がこのような感じなので、他の方についても、毀誉褒貶が激しい大学院なのかもしれません。
これは、学び方に対する個人の求めるものによって大きく変わります。私は、まずいことに「産業能率大学」を社会人大学のスタートにしてしまいました。この大学は、SCが授業料に組み込まれており、どれだけ、SCを受講しても追加料金がかかりません。ですので、卒業のために6単位でよいにもかかわらず、18単位も履修してしまいました。
産業能率大学大学院はMBAコースということで、「授業に参加してなんぼ」の世界でした。寄附講座等で講演された上場企業の経営者に対しても、積極的に質問し、発言することが当然という環境で学習しておりました。
明星大学大学院においても、最低2単位でよいSCを12単位取得。本当に、学生と先生の距離が近く、よくみんなで一緒に飲みに行ったものです。
この産業能率大学・産業能率大学大学院・明星大学大学院というルートを経由してしまったがために、議論し、意見を交流させることがアカデミックの世界と思い込んでしまったことが、私の大きな誤解を誘発してしまったのです。
武蔵野大学大学院は、SCを受講するチャンスは原則、各科目1回しかありません。平日の夜に開講されている科目は場所的にも通いづらい・・・加えて、休日で履修できる科目についても突発的な休みが入るとリカバーできません。特に、再入学した今回は、転勤リーチがかかっており、転勤した場合、履修できない可能性が高いため、1科目も履修しておりません。
無論、SCは出たほうが理解が深まるはずですが、武蔵野大学は、議論を通わせることより、文献を紐解き、理解した上で、ルールに従って、しっかりレポートを書かせることに重点を置いていると感じています。どんなに意見を上手に発表できても、書けない学生は評価しない。そういうスタンスがはっきり見て取れます。ゆえに、私は、武蔵野大学大学院に入学した瞬間から、今までの、大学・大学院で培ってきたイメージを切り替えなければいけなかったのです。それを、おこがましくも、「大学が間違っている」と思ってしまった。これでは、大学サイドがカリキュラムとして考えいているものを、受け入れることができません。
その「我流の思い」が間違っていると認識し、心を入れ替えることができたからこそ、人間学研究科人間学専攻を修了できたのだと思います。
人間学研究科人間学専攻で学んだ中でもっとも大切なこと、それは「人間は必ず死ぬ」ということです。「死生学」というもので「死」についてを学ぶ。今まで、日本においては、「死」は忌み嫌われるものであり、「言霊」という習慣から、言うことすら忌避されてきました。そう、「死」はタブーなのです。しかし、目をそらしてはいけないことであり、「死」を「悪」として捕らえるのではなく、生きている誰しもが受け入れるべき、「生」の終着点=「死」ということを、精一杯理解することができました。
加えて、震災前に「グリーフケア」を学ぶことができたおかげで、被災地の方々の苦しみを感じることができました。「ターミナルケア」「老年学」「人間学」に加え、「浄土教」「比較宗教学」といったものを、自分から文献や論文を読みつくすことで、体得し、正しい書き方で表現できるようになったのは、本当に貴重な経験となりました。
で、今回、人間学研究科仏教学専攻に再入学することで、仏教を中心に、人間について考えてみようと思ったわけです。先ほどの記事にも書きましたが、文献を読まないことにははじまりません。その文献についても、参考文献として掲載されているものを1冊読めばいいというものではありません。
どなたか、学生の方が掲示板で「参考文献を2冊買いましたが、レポートのキーワードが見つかりません」と言ったことを書かれていました。それは当然と言えば当然なことなのです。参考文献は理解のための参考の一助となるものであり、レポートがかけるべきキーワードが都合よく掲載されていることまで担保されるものではありません。私の場合、レポートを書くためには、図書館に足を伸ばして、関連図書の棚から本を手にとって、吟味しないと前に進みません。しかも、可能な限り多くの本が必要となります。その中から、なんとか書くための資料となる欠片が見つけることができ、それをつなぎ合わせて、なんとかレポートが仕上がることとなります。
いうなれば、自分との戦いと言えます。どの程度で妥協するか。妥協しないことにはレポートを提出することができませんから。そんな学びの形もあるのだと、理解させてくれたのが武蔵野大学大学院なのです。
その大学サイドの思いが理解できないと、本学で学ぶことは困難だと思います。逆に、このことが理解できない学生が、早々にリタイアしていくのではと危惧しています。本当に、苦しくて、孤独で、暗中模索の戦いとなりますが、常に、阿弥陀仏が隣におられると思えれば、決して孤独な戦いではないはずなのです。そう思えるかどうか・・・
厳しいと言えば厳しいのですが、絶対できないというものでもないので、他力本願の中においても、自力でがんばっていくしかないのです。
普通、「よくない」と思っている大学院に2回も入学する人はいません。私としては、よい大学院だと思っています。とはいえ、かくいう私も、最初は「何だ、この大学院は!」と怒ったり、嘆いたり、失望したりとなじむことができませんでした。私がこのような感じなので、他の方についても、毀誉褒貶が激しい大学院なのかもしれません。
これは、学び方に対する個人の求めるものによって大きく変わります。私は、まずいことに「産業能率大学」を社会人大学のスタートにしてしまいました。この大学は、SCが授業料に組み込まれており、どれだけ、SCを受講しても追加料金がかかりません。ですので、卒業のために6単位でよいにもかかわらず、18単位も履修してしまいました。
産業能率大学大学院はMBAコースということで、「授業に参加してなんぼ」の世界でした。寄附講座等で講演された上場企業の経営者に対しても、積極的に質問し、発言することが当然という環境で学習しておりました。
明星大学大学院においても、最低2単位でよいSCを12単位取得。本当に、学生と先生の距離が近く、よくみんなで一緒に飲みに行ったものです。
この産業能率大学・産業能率大学大学院・明星大学大学院というルートを経由してしまったがために、議論し、意見を交流させることがアカデミックの世界と思い込んでしまったことが、私の大きな誤解を誘発してしまったのです。
武蔵野大学大学院は、SCを受講するチャンスは原則、各科目1回しかありません。平日の夜に開講されている科目は場所的にも通いづらい・・・加えて、休日で履修できる科目についても突発的な休みが入るとリカバーできません。特に、再入学した今回は、転勤リーチがかかっており、転勤した場合、履修できない可能性が高いため、1科目も履修しておりません。
無論、SCは出たほうが理解が深まるはずですが、武蔵野大学は、議論を通わせることより、文献を紐解き、理解した上で、ルールに従って、しっかりレポートを書かせることに重点を置いていると感じています。どんなに意見を上手に発表できても、書けない学生は評価しない。そういうスタンスがはっきり見て取れます。ゆえに、私は、武蔵野大学大学院に入学した瞬間から、今までの、大学・大学院で培ってきたイメージを切り替えなければいけなかったのです。それを、おこがましくも、「大学が間違っている」と思ってしまった。これでは、大学サイドがカリキュラムとして考えいているものを、受け入れることができません。
その「我流の思い」が間違っていると認識し、心を入れ替えることができたからこそ、人間学研究科人間学専攻を修了できたのだと思います。
人間学研究科人間学専攻で学んだ中でもっとも大切なこと、それは「人間は必ず死ぬ」ということです。「死生学」というもので「死」についてを学ぶ。今まで、日本においては、「死」は忌み嫌われるものであり、「言霊」という習慣から、言うことすら忌避されてきました。そう、「死」はタブーなのです。しかし、目をそらしてはいけないことであり、「死」を「悪」として捕らえるのではなく、生きている誰しもが受け入れるべき、「生」の終着点=「死」ということを、精一杯理解することができました。
加えて、震災前に「グリーフケア」を学ぶことができたおかげで、被災地の方々の苦しみを感じることができました。「ターミナルケア」「老年学」「人間学」に加え、「浄土教」「比較宗教学」といったものを、自分から文献や論文を読みつくすことで、体得し、正しい書き方で表現できるようになったのは、本当に貴重な経験となりました。
で、今回、人間学研究科仏教学専攻に再入学することで、仏教を中心に、人間について考えてみようと思ったわけです。先ほどの記事にも書きましたが、文献を読まないことにははじまりません。その文献についても、参考文献として掲載されているものを1冊読めばいいというものではありません。
どなたか、学生の方が掲示板で「参考文献を2冊買いましたが、レポートのキーワードが見つかりません」と言ったことを書かれていました。それは当然と言えば当然なことなのです。参考文献は理解のための参考の一助となるものであり、レポートがかけるべきキーワードが都合よく掲載されていることまで担保されるものではありません。私の場合、レポートを書くためには、図書館に足を伸ばして、関連図書の棚から本を手にとって、吟味しないと前に進みません。しかも、可能な限り多くの本が必要となります。その中から、なんとか書くための資料となる欠片が見つけることができ、それをつなぎ合わせて、なんとかレポートが仕上がることとなります。
いうなれば、自分との戦いと言えます。どの程度で妥協するか。妥協しないことにはレポートを提出することができませんから。そんな学びの形もあるのだと、理解させてくれたのが武蔵野大学大学院なのです。
その大学サイドの思いが理解できないと、本学で学ぶことは困難だと思います。逆に、このことが理解できない学生が、早々にリタイアしていくのではと危惧しています。本当に、苦しくて、孤独で、暗中模索の戦いとなりますが、常に、阿弥陀仏が隣におられると思えれば、決して孤独な戦いではないはずなのです。そう思えるかどうか・・・
厳しいと言えば厳しいのですが、絶対できないというものでもないので、他力本願の中においても、自力でがんばっていくしかないのです。
ネットで提出した通信指導問題。
添削結果が郵送で届きました。とはいえ、既に、ネットで提出した瞬間に結果は分かっていたのですが。10問中9問。「単位認定試験の受験 可(通信指導合格)」となっております。
さて、試験は来月。合格できることを祈っております。
添削結果が郵送で届きました。とはいえ、既に、ネットで提出した瞬間に結果は分かっていたのですが。10問中9問。「単位認定試験の受験 可(通信指導合格)」となっております。
さて、試験は来月。合格できることを祈っております。