産業能率大学から情報誌NEXTが到着した。
産業能率大学は、産能総研を含め、通信教育に強い実績がある。その実績に裏打ちされた、このような、学習のスケジュールや卒業のためのノウハウを学生に還元するサービスはさすがである。「修了させるための仕組み」が、すでに、形作られているのであろう。
情報紙だけではなく、試験やSCの前にはメールが入る。そのことで、うっかり、申し込み忘れをしないような仕掛けもされている。あるいは、入学オリエンテーションや学習ガイダンスといった説明会も開催される。
このような、大学サイドの努力もあって、産業能率大学は他大学と比べて高い卒業率を誇っている。
無論、試験の際、持込可の科目が多かったり、レポートもマークシートでOKのものがあったり、SCが多く開催されていたり・・・その他の要因も高い卒業率に寄与しているのだろう。
ただ、やはり、きめ細かい学生への配慮に救われた人も、全国には多数いるはずだ。試験の申し込みを忘れそうになったとき、メールがあって助かった人は、私も含め数え切れないくらいいるだろう。
「ローコストで運営している通信制大学だから、学生が入学時に配本された資料や、ホームページにログインして能動的に調べるべきだ」と考えている教育機関があるとしたら、それは、違うと私は思う。
たとえ、通学制と比較し安価であったとしても、可能な限り、学生(ユーザー)の立場にたって、利便性を向上させ、1人でも多くの卒業生を輩出するのが、学生を受け入れる教育機関の使命だと思っている。
教育は「安かろう悪かろう」ではダメだと思う。学生のモチベーションを維持するための、「仕掛け」や「仕組み」を考えてこそ、真の意味での大学ではないのか?私の勝手な思い込みかもしれないが、ユーザーを軽視した大学は、ただの「学位発行権威機関」でしかない。学位や単位を発行できなければ、誰も、その大学の授業を履修しないだろう。それが、真の教育といえるのだろうか。ただ単なる権威付けである。
学生への支援という意味では、武蔵野大学大学院もすばらしい点がある。武蔵野大学大学院の「情報還元」に関する点は産能と比べ、今一歩という気がするのだが、レポート返却日数をコミットメントしている点は、何よりも変えがたい学生へのサービスである。
あえて、誰とは言わないが、某K大学のレポート返却遅延に一学生として立ち向かった方がいた。そう、レポート返却期限が不明というのは、学生にとって心配の種であり、学習のモチベーションを大きく低下させるものといえる。悪意的に考えれば、レポートの返却を遅らせて、卒業できる学生を抑制することで、学費や授業料を何度も払い込ませることができる。さすがに、そんな大学はないだろうが、結果的にそうなるケースも想定される。
ある人に「子どもの塾の授業料より、お前の大学院の授業料の方が安い」といわれたことがある。確かに、月3万円程度(大学院修了までミニマムなら68万円)なら、ちょっとした習い事の方が高いのかもしれない。とはいえ、68万円で修士が買えると考えた時点で、その人の学習の発展性は消えてしまうだろう。
明星大学大学院で学習していたときも、必須ではないスクーリング科目を履修し、北海道や沖縄から学生が日野キャンパスに集結した。ホテル代も含めると、1回の上京のために、いくらの学費がかかるだろう。にもかかわらず、積極的に教授と対面で教えていただけるスクーリングに、多くの学生が集まるのだ。そういうコストを度外視した学生が多数いると、授業も白熱したものとなる。この授業を受けたいがためだけに、10万円以上かかるコストを投下しているのだ。真剣になるのも当然だろう。
通信制大学は退学する人が多い。理由は多々あるだろうが、学生生活に失望して辞める人も多いのだろう。そういう意味で、私はいい大学・大学院を選んできたといえる。それは、人生における大きな幸運だったのかもしれない。
産業能率大学は、産能総研を含め、通信教育に強い実績がある。その実績に裏打ちされた、このような、学習のスケジュールや卒業のためのノウハウを学生に還元するサービスはさすがである。「修了させるための仕組み」が、すでに、形作られているのであろう。
情報紙だけではなく、試験やSCの前にはメールが入る。そのことで、うっかり、申し込み忘れをしないような仕掛けもされている。あるいは、入学オリエンテーションや学習ガイダンスといった説明会も開催される。
このような、大学サイドの努力もあって、産業能率大学は他大学と比べて高い卒業率を誇っている。
無論、試験の際、持込可の科目が多かったり、レポートもマークシートでOKのものがあったり、SCが多く開催されていたり・・・その他の要因も高い卒業率に寄与しているのだろう。
ただ、やはり、きめ細かい学生への配慮に救われた人も、全国には多数いるはずだ。試験の申し込みを忘れそうになったとき、メールがあって助かった人は、私も含め数え切れないくらいいるだろう。
「ローコストで運営している通信制大学だから、学生が入学時に配本された資料や、ホームページにログインして能動的に調べるべきだ」と考えている教育機関があるとしたら、それは、違うと私は思う。
たとえ、通学制と比較し安価であったとしても、可能な限り、学生(ユーザー)の立場にたって、利便性を向上させ、1人でも多くの卒業生を輩出するのが、学生を受け入れる教育機関の使命だと思っている。
教育は「安かろう悪かろう」ではダメだと思う。学生のモチベーションを維持するための、「仕掛け」や「仕組み」を考えてこそ、真の意味での大学ではないのか?私の勝手な思い込みかもしれないが、ユーザーを軽視した大学は、ただの「学位発行権威機関」でしかない。学位や単位を発行できなければ、誰も、その大学の授業を履修しないだろう。それが、真の教育といえるのだろうか。ただ単なる権威付けである。
学生への支援という意味では、武蔵野大学大学院もすばらしい点がある。武蔵野大学大学院の「情報還元」に関する点は産能と比べ、今一歩という気がするのだが、レポート返却日数をコミットメントしている点は、何よりも変えがたい学生へのサービスである。
あえて、誰とは言わないが、某K大学のレポート返却遅延に一学生として立ち向かった方がいた。そう、レポート返却期限が不明というのは、学生にとって心配の種であり、学習のモチベーションを大きく低下させるものといえる。悪意的に考えれば、レポートの返却を遅らせて、卒業できる学生を抑制することで、学費や授業料を何度も払い込ませることができる。さすがに、そんな大学はないだろうが、結果的にそうなるケースも想定される。
ある人に「子どもの塾の授業料より、お前の大学院の授業料の方が安い」といわれたことがある。確かに、月3万円程度(大学院修了までミニマムなら68万円)なら、ちょっとした習い事の方が高いのかもしれない。とはいえ、68万円で修士が買えると考えた時点で、その人の学習の発展性は消えてしまうだろう。
明星大学大学院で学習していたときも、必須ではないスクーリング科目を履修し、北海道や沖縄から学生が日野キャンパスに集結した。ホテル代も含めると、1回の上京のために、いくらの学費がかかるだろう。にもかかわらず、積極的に教授と対面で教えていただけるスクーリングに、多くの学生が集まるのだ。そういうコストを度外視した学生が多数いると、授業も白熱したものとなる。この授業を受けたいがためだけに、10万円以上かかるコストを投下しているのだ。真剣になるのも当然だろう。
通信制大学は退学する人が多い。理由は多々あるだろうが、学生生活に失望して辞める人も多いのだろう。そういう意味で、私はいい大学・大学院を選んできたといえる。それは、人生における大きな幸運だったのかもしれない。