アメフト問題で地に落ちた日大ブランド。
その日大ブランドを、更に毀損するトラブルが発生。そう、チア部のパワハラ問題。せっかく、アマレスの「男、山根明」が大衆の好奇の視線をそらしてくれたのに、オウンゴールのような問題を発生させてしまっている・・・
以前、日大の教授に「博士課程で学ばないか」と言われたことがある。お金がなかったし、研究テーマも私の得意とするものではなかったし、実力も不足していたので丁重にお断りしたのだが、今のこの状況を考えると、「先生、大丈夫かな・・・」とこちらが心配になってしまう。
これだけ「ひどい大学」というイメージが一気に定着してしまうと、就活生のことまで心配になってしまう。特に、チア部は「一部部員も一緒になっていじめていた」とされるので、もう、チア部を名乗って就活することは困難だろう。それこそ、部活を名乗っただけで、落とされてしまう懸念すらある。指導者がダメだと、部員までダメになってしまう典型的な例とも言える。
学校のいじめにも近い事象であるが、先生に相当する監督が率先していじめていたのだから始末が悪い。そして、本来仲間として支えるべき部員も同調し、あるいは黙殺していたのだから救えない。これが企業なら、上司が不正をしていても、部下はそれを指弾するどころか、上司と一緒に会社に被害を与える不正に同調したのだから・・・
とはいえ、「物を言う」ということは、その組織での死につながることにもなりかねない。「おかしなこと」をおかしいと言ってしまったばっかりに、組織人として瀕死の状態まで追いやられた経験があるのでよくわかる。されど、チア部の部員たちは、監督の横暴を見て見ぬふりをして、それで納得がいったのだろうか?そして、結局、自分たちにしっぺ返しとして降りかかってくる・・・なんという皮肉だろう。
人生すべて自己責任。何かあっても結果は自分が背負わなければならないのだから。「正しいことを言っても」「見て見ぬふりをしても」どちらを選択しても、いい結果を招くこともあれば、いわれもない不利益に虐げられることがあるのだ。なら、自分の信念に基づいて、行動していく方が納得感があるし、結果についても受け入れやすい。
コンプライアンス遵守も一般化しつつあるのだから、正義を信じてアクションを起こす方が将来に禍根を残さないだろう。もし、それで不利益を被ったとしたら、「それも運命」として諦めるしかない。まあ、「法難」のようなものと思わないと、恨みや悔しさで、のちの人生を無駄にしてしまいかねないから。
それにしても日大、これで終わることができるのだろうか・・・