生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

「時間」という尺度

2012年12月22日 23時16分30秒 | ちょっと立ち止まって・・・
1単位45時間という文面を振り返って、どうしても思わざるを得ないことがある。

それは「時間」というものを尺度として使うことが正しいかということである。既に9,000件近い記事を書いてきたので、同様の主張をしているかもしれないが、一定の時間をクリアすることで受験資格を与えるのは、果たして間違っていないだろうか?

教室にいさえすれば、授業を理解したと解釈することが正解なのか?あるいは、ほとんど客人がこなかったとしても、そこで一定期間勤務すれば受験資格を与えることが正義なのか?

「その判断するために試験があるんだよ」というのであれば、「時間」という制約を設けずに、試験に合格した人を合格させればよいのではないだろうか?

このことは、授業というものを否定する考えにもつながりかねないが、むしろ、授業に出なくても合格してしまう試験問題を出すこと自体が間違ってはいないのだろうか?

そもそも、社会人にとって大学のカリキュラムは残酷である。なんせ、自分が十分理解したことまで一から学ばなければならない可能性が高いからである。だから、科目履修生という制度は、自分が必要とする学習のみを履修できるものであり、非常に有難いものである。

だが、科目履修生をいくらやったとしても、学位という正式な、社会に通用する証明は発行されない。ただ、自分の好きな分野の能力をレベルアップしたに過ぎないのだ。

そのジレンマを解消するひとつの手段が大学評価・学位授与機構の学位ともいえる。好きな分野の単位を一定数集めれば、学士を取得するチャンスを提供するものなのだから。

・・・ちょっと、話がそれてしまった。とはいえ、英語がペラペラの帰国子女が、「実践英語」という科目が大学のカリキュラムに入っていた場合、本当に履修する必要があるのだろうか?たかだか、45時間分の授業に相当するくらいの学習は、完了しているのだから、それを強制する必要性はないだろう。

だからこそ、45時間という「ものさし」は、既にスキルや能力を取得済の学生には、強引に当てはめる必要はないはずで、ゆえに、「大学設置基準」の「優れた成績をもって修得した学生」という特例につながるのであろう。

しかし、ここで考えなければならないのは、その「優れた成績を持って修得した学生」を識別する手段である。とりあえず、1年目の学生の履修状況を判断して・・・と悠長に構えていると、わずか、4年の大学生活の1/4が終わってしまう。あるいは、私のように短大2年次編入を考えているものにとっては、大学生活が終了した後の話になりかねない。

なら、まずもって、試験をもっと厳しくして、「学習した人は合格」「学習していない人は不合格」という基準を設置し、あとは、自己責任に任せることのほうが理にかなっているのではないだろうか?

そう、実務経験1年とか、2年とか必要な資格についても、実務経験という「時間」の制約を撤廃し、それに見合った「実技試験」を導入すればいいだけである。「実技試験」の労力を惜しむ結果、実務経験というグレーな線引きを求めることとなる。そもそも、有資格者がほしい企業サイドが証明する実務経験。そこに不正が生まれないと信じることこそが、試験実施機関の怠慢であり、おごりであるといえる。

まあ、そんなことを考えるのは、私のような人間だけかもしれないのだが。
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機構ニュース第114号より

2012年12月22日 09時58分39秒 | 大学評価・学位授与機構
最近は忙しい上に、飲み会があったり、疲れてたりで、週末に一気に更新することが多い。

そんな中、機構ニュースの第114号が出ていたにもかかわらず、すっかり見落としていた!

平成24年度4月申請分では、394名中320名に対して学位が授与されたそうだ。合格率81.2%という結果に終わっている。通年すれば、平均9割強合格するのに、4月申請分はいつも8割台。そして、今回は8割ちょっとということで合格率は低いといわざるを得ない。

受験者の基礎資格としては、大学院生である「飛び級」は2名中1名のみ合格。大学中退者は25名中11名と合格率4割台である・・・

専攻分野別にみていくと、例のごとく、「総合理学」は合格者ゼロ(受験者2名)。「理学」全体でも、受験者7名で、わずか2名の合格にとどまる。

私も以前不合格となった「栄養学」も9名受験して合格は3名のみ。あるいは、「法学」も、5名の受験で合格者1名の難関分野となってしまった・・・

特定分野のみ受験者のレベルが低かったのか、あるいは、試験の難易度に偏りがあるのか・・・そもそも、必要な数の単位を取得するだけで卒業させてはいけないのか?本当に論文試験が必要なのか?

毎回の試験結果を目の当たりにすると、いろいろ考えてしまうのだ。そして、それが私の研究対象でもある。こんなことを考えるのも、私ぐらいの奇人変人だけかもしれないのだが。
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三重学籍の許可

2012年12月22日 08時58分32秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今までも、何度か、このブログで書いてきたことだが、二重学籍禁止は法令に基づくものではない。

だからこそ、現実に二重学籍が許される大学が存在する。そう、二重学籍禁止は各大学が学則で禁止した場合のみ、その威力を発揮するといえるのだ。

放送大学教養学部も、原則として、二重学籍が許される大学なのだが、大学院となると事情は違ってくる。本学大学院にて審査の上、許可がないと、二重学籍は許されないのである。

私の場合、平成23年8月8日に、放送大学大学院と放送大学教養学部との二重学籍が認められた。


なんとまあ、まだ、放送大学大学院の願書すら提出していない段階の審査であったが、放送大学教養学部は入学、即、卒業確定なので、習得単位ゼロでも懸念なしという面を前面に押し立てての申請であった。

更に、平成24年2月15日に、放送大学大学院と自由が丘産能短期大学との二重学籍(=三重学籍)が認められた。


当然、大学院+大学+短大の3つが、無理なく学べて、大学院を修了するに悪影響を及ぼさないことを立証する必要があったのだが、過去の複数大学での科目履修生での単位習得実績、および、大学院での研究テーマが「学位制度」であったため、認められたと思っている。

そもそも、大学における「単位の履修制限」や、「二重学籍の禁止」は、「大学設置基準」の第27条の2「大学は、学生が各年次にわたつて適切に授業科目を履修するため、卒業の要件として学生が修得すべき単位数について、学生が1年間又は1学期に履修科目として登録することができる単位数の上限を定めるよう努めなければならない」という、「努力義務」が根拠ではないかと、私は考えている。

山のように単位を履修して、十分学びきれない学生が発生しないようにという配慮である。1単位にかかる標準学習時間を考えれば、1つの大学だけで学ぶのが精一杯だろうという観点からも、二重学籍を認めない規則を作る大学が多いのであろう。

しかし、この第27条の2には、続く文章があることはあまりしられていない。「大学は、その定めるところにより、所定の単位を優れた成績をもつて修得した学生については、前項に定める上限を超えて履修科目の登録を認めることができる」という条項である。

そう、大学設置基準第21条の「一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし・・・」という条項のみが先行してしまい、「1単位45時間だから、履修できる単位は限られる」と思い込んでしまうわけである。

だが、当然、この「標準」は、高校から大学に進学したての学生に当てはまるケースであり、絶対に45時間で1単位という訳ではないのである。だからこそ、本学大学院においても、三重学籍が認められたと思っている。

自由が丘産能短大での学びは、既に産能大学あるいは産業能率大学大学院で学んだことの繰り返しが多い。とはいえ、謙虚な気持ちで、忘れたことを取り戻すくらいの気合で、再び学び始めたいと願っている。
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社会人のための大学院ガイド

2012年12月22日 06時08分34秒 | その他
今朝の日経新聞の18面は、タイトルが「ニューススクール」となっており、そこにあった広告記事が「社会人のための大学院ガイド」である。

この記事によると、文部科学省が発表する2012年度の「学校基本調査」によれば、今年の5月1日時点の大学院生は263,317人で、うち、54,214人が会社員や主婦等の社会人大学院生だそうな。構成比としては5年連続で20%を超えているらしい。

広告には「さまざまなバックグランドを持つ社会人学生との出会いも大きな魅力で、人生や社会への視野を広げる貴重な機会となる。」と書かれている。

社会人大学院生を4校もやっていると、その思いは非常に強く思うのである。そもそも、私の場合、通信制大学からスタートしたのだが、思えば、12月20日の会は、そのときのメンバーが主に集まったものである。あるいは、12月15日の会は大学院での集まりである。

そもそも、会社のつながり以外で、飲み会や集まりをすることがどれくらいあるだろうか?無論、利益を前提にした異業種交流会なら、つながり重視の飲み会や食事会をすることもあるだろう。しかし、そういったものを度外視した、本当に仲間といえる面子が集まる会に出席する機会は、一般の社会人なら、そうそうないはずである。

特に、私の場合、関西を軸に22年生きてきて、卒業後、東京に移り住んだため、同窓とのつながりのほとんどを失ってしまった。だからこそ、社会人大学生、あるいは大学院生で培った仲間は、本当に有難く、心強い絆といえる。

仕事に生きるのも、その人のポリシーなので否定しないが、どのような大手企業であったとしても、一寸先は闇である。「有名企業」が、あっという間に「破綻企業」と変化する時代。だからこそ、会社以外のつながりも大切だと思うのである。会社という利害で結びついた人は、会社というしがらみがなくなれば、「去るものは日々に疎し」のことわざのごとく、顔を合わすのさえ、疎しくなるかもしれないのだから。

別に大学院でなくとも、大学でもいいし、私のように短大を検討することもいいだろう。なんせ、出会いの場というきっかけがなければ、きっと、12月15日で集まったメンバーとも、あるいは12月20日に集まった仲間とも、絶対、知り合うことはなかったのだから。

出会うべき運命の人は、この地球上に山のようにいる。しかし、その出会うチャンスを殺してしまっていては、未来永劫出会うことはない。だから、家に閉じこもっているのではなく、出会いの場となるべき集まりに、自分から、積極的にかかわりあっていかないとダメなのかもしれない。

なんせ、人生長く見積もっても80年程度。躊躇しているには、あまりにも短すぎるし、取り返しがきかないものなのだから。
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三連休!

2012年12月22日 05時40分40秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今日から三連休となる。

無論、三連休でない方もおられるだろうが、暦通りの出勤なら、多くの方々が三連休となるだろう。先進国と比べ、日本では有給休暇を使う人が少ないとされる。その分、法令的には取得させる必要のない「祝祭日」を、福利厚生の一環として休業する会社が多い。ゆえに、私の勤務先も、月曜日がお休みとなる。

さて、三連休、通常、連休前にやりたいことを色々と思い描くわけだが、結局は、何もできないままに連休が終了するケースが多い。

年末のこのタイミングだから、学習するより、むしろ、年賀状や大掃除といった年中行事にエネルギーを投下したいのだが、そのささやかな計画も、なかなか、実現するのができないほど、いつもぐうたらな生活に貴重な連休を使ってしまう。

一分一秒を管理するような生活は遠慮したいものの、3日もあるので、何とか、何かを完了させるようにしたいと思っている。
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