生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

女性たちの大学院

2010年04月29日 07時38分57秒 | 生涯学習
「女性たちの大学院」という本を読んだ。

出だしが難解だったので、読みづらい本かと思ったが、読み進むにつれ、良書であることがわかった。編者の2名を含め、著者が6名の共著である。それぞれが、大学院の修士課程・博士課程を修了(あるいは在籍中)されており、同じ、社会人大学院生の私には、よくわかる話である。

リンクさせていただいている、ままちさんも執筆されている「夢はいつか実現できる」も、社会人大学院生の大変な学習が書かれており、読んだあとには胸がいっぱいになる。

社会人大学院生関連の書籍も20冊ぐらいはあるかしら?私の1つの研究テーマとなっている。「女性たちの大学院」「夢はいつか実現できる」ともに、資金繰りの苦しい学生さんの話がでてくるのであるが、お金はなんとかなるものらしい。

私も、資金繰りに苦しみ、次のボーナスがでないと、日本福祉大学の科目等履修生の学費の引き落としができない状況である。しかし、その時々に、子どもの学資保険が満期になったり、奨学金の申請が通ったり、年末調整の還付金があったりと、なんとか学習を継続できている。

著者たちも、危ういタイミングで奨学金がOKになったり、学費が免除になったりして、最後は中退せずに学位を授与されている。

お金以外にも学習の上でのご苦労も、最後にはなんとかなっている。修士論文で納得のいくものが書けたという著者はいない。だからこそ、博士課程に進学するといったパターンが多い。そう、わずか2年間で書ける分量はしれている。しかも、パートタイムで学生をやっている立場からすれば、完璧なものができるわけがない。それでも、修了させてくださるのだ。

そんなのでいいの?という考え方もあるが、やはり別の書籍では、博士課程において、外国人留学生への学位授与は、日本人より甘くなると審査されるかたが言っている。それと同じで、修士レベルなら、社会人の書く論文はそんなにたいしたものではない。逆に、昔の卒業論文の方がすばらしいと言う人もいるくらいだ。

私もそうだったが、社会人大学院生の別の本では、著者が修士論文の出来具合に納得できず、諦めて、教授に「もう1年やらせてください!」と申し立てる場面が書かれている。しかし、教授は「もう1年やったからと言って、納得できる成果物が完成するのですか?」と諭して、2年で修了させる。

そして・・・ほとんどすべての「修士課程体験記」では「修士論文は褒められたものではないが・・・」とか、「納得いく修士論文ではないが・・・」と言ったお決まりのフレーズが書かれてしまうのだ。

誰が考えても当然であろう。「仕事ができる社会人」なら忙しくて満足できる論文が書けないし、「仕事ができない社会人」ならその能力の低さから満足できる論文が書けない。

無論、修了生の品質を勘案し、安易に修了させない大学院もあろう。一方で「とはいえ、博士じゃなく修士だからね・・・」と考える先生もいる。

以前読んだ本に、T大が低レベルな人に博士号を出して、その後、別の大学の教授から「何故こんなやつに博士号を出したのか」と質問状を突きつけられた話がかかれていた。

記憶に新しいものでは、T大が外国人に博士号を出したが、インチキ研究だったので博士を取り消すといった内容の新聞記事が書かれていたことだろう。

以上のように、大学にとって博士を出すのもかなりリスクの高いものとなっている。

例のごとく、脱線この上なし・・・この支離滅裂な文章から、何か感じ取っていただけるものがあればありがたいです。
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ピーターソンの“education more education”の法則

2010年04月29日 01時46分54秒 | ちょっと立ち止まって・・・
教育を受けた者ほど、その後の人生でも学ぶ機会が増え、そうでない者との学びの機会の差が開くことらしい・・・

そのような法則はあると思うが、恐ろしいことである。
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先読み・・・

2010年04月29日 01時08分47秒 | ちょっと立ち止まって・・・
最近、本を読まない人が多いそうな・・・

私は、昔から本を読むのが大好きである。どれくらい好きかというと、電車の中で読む本がない状態になると、禁断症状がでるくらい、空いた時間に活字を読まないと気がすまないタイプの人間である。

中学時代、一時期、読書部に入っていた。また、家族の図書カードを使って、借りれるだけ市立図書館で本を借りて読んでいた。

普通の人が一生に読む本の冊数を、中学時代で超越していたと思うくらい本を読んでいた(そのわりに、書いている文章は支離滅裂だが・・・)。

これだけ本を読んでいると、将来、何が必要かということがわかってくる。ただ、あまりに読みすぎて、1歩先どころか、かなり先を進んでしまい、周囲の理解を得られないことが多い。その結果、「おかしな人」と思われる。

実際、私の「韓流ブーム」は1988年と1989年の訪韓である。「中国の躍進」は1997年と1998年の3ヶ月間の中国長期出張である。「外資系企業ブーム」は1998年からいくつかの外資系企業からスカウトを受けている。「資格ブーム」も1995年から継続している。

今、大学院で学んでいることも、きっと、あと10年も経てば、かなりの社会人が大学院にいくことであろう。また、メンタルヘルスや、労働時間問題も2007年の法改正から大きく取り上げられているが、私が衛生管理者や衛生工学衛生管理者を取得したのは約10年前である。

一番簡単な生涯学習は読書だと思っている。1冊2冊と増やしていく中で、今、何をすべきかという点が見えてくる。そして、その見えたものに取り組むことで、ある種のアドバンテージを得ることができる。

時代を先読みするためには、情報を入手する必要がある。雑誌や新聞といった断片的な情報ではなく、ある種、書籍になった本を読むことで、確かな潮流をつかむことができると思っている。
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恩師の思い出

2010年04月29日 00時41分38秒 | ちょっと立ち止まって・・・
一番最初入学した大学では、私はダメ学生でした。

とはいえ、きっと、他の学生より勉強していたし、図書館にもこもっていたし、部活にも一生懸命だった。何がダメかというと、協調性や、教えを請うといった学生らしさがないところが、全くもってダメだったのです。

普通に書けば、単位がもらえるはずなのに、独自の世界観に支配されていたのでしょう。学ぶといった姿勢がない回答に、多くの「不可」や「可」をいただきました。

されど、その独自の学習において、他者より学習していると認めてくださる先生は「優」をくださいました。

そんな数少ない私の理解者がY先生でした。何故か、Y先生とは気が合い、研究室に行って英語の書籍をいただいたりしました。大学の英語の先生のところには、テキストにと、業者が本を置いていくのです。先生からすれば、英語のできない私にちょっとでも学習の糸口をと思ってのことだったのでしょう。

就職してからも、文通をしていました。あるとき、先生が書かれた書籍に対して「前の書籍にくれべて、あまりにあっさり読めてしまいました」と意見を書いたところ「バレてしまいましたか・・・締め切りに迫られて、短期間で書いてしまいました。前の書籍より売れ行きはいいのに、君にはごまかせませんね」といった内容の返事がきました。時には「TOEICの点数が上がるような手引書を書いて欲しい」といった、間抜けな手紙を書いてしまいました。

転勤による引越しの中で、いつの間にか、文通は途切れてしまいました・・・残念です。

英語ができないと、これ以上の成長は望めないと思い、中1レベルから英語をやり直しています。そんなとき、私が「簡単に読めてしまった」と批評した本が、机の上にあるのを発見して、ついつい、そんな思い出に浸ってしまいました。

もう先生も74歳。しかし、今でも教鞭を取られているようです。できれば、オチこぼれだった私が、更生して、2つの修士を授与された姿を見ていただきたいな・・・
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