本日の指導は11時~16時20分までの5時間20分だった。
休憩なし、昼食なしのブッ通しの指導なのだが、色々と指導教官からアドバイスを受けることができ大変有意義な時間であった。
先生の話に引き込まれ、時間の経つのが非常に早い。そんな状況でマンツーマンで指導を受けれるのは幸運としかいいようがない。
で、作成した論文であるが・・・2箇所ほど「完璧なダメだし」を頂いたものの、現時点でここまでかけていることについては評価していただくことができた。これ以上、何をしたらいいかわからなかったのだが、これで、また書くことができる。
消えかけていたモチベーションの灯火が、また、燃え上がってきた感じである。問題は「出だし」というか、何故このテーマについて書かねばならぬかという点と、大学院教育の現状についての事例の紹介といったところである。
あとは、今あるものを精査し、並べ替えれば十分といっていただいた。しかし、まだ、そんなレベルにないことは自分が一番よくわかっている。ダメダメダメって気持ちなのだが、先生はお優しいので、「自分をそんなに卑下しないで。ウソじゃなく、いいところまでいってますよ」と慰めてくださった。
次は年明けに指導をうける。修士論文の提出期限は1月30日で時間は残されていない。
しかし、その前に「修士論文を今年度に出すか出さないか」決定する必要があった。12月15日までに「修士論文提出許可願」を出さないと、留年が決定する。先生に、恐る恐る、「論文のタイトルも確定していないのですが、提出許可願はどうしましょう・・・」とお伺いしたところ、「題名は後日訂正できるから、今のまま出せばいいでしょう」と返事を頂いた。
とりあえず、12/15のハードルを越えることができた。出し忘れないように注意しないと!
休憩なし、昼食なしのブッ通しの指導なのだが、色々と指導教官からアドバイスを受けることができ大変有意義な時間であった。
先生の話に引き込まれ、時間の経つのが非常に早い。そんな状況でマンツーマンで指導を受けれるのは幸運としかいいようがない。
で、作成した論文であるが・・・2箇所ほど「完璧なダメだし」を頂いたものの、現時点でここまでかけていることについては評価していただくことができた。これ以上、何をしたらいいかわからなかったのだが、これで、また書くことができる。
消えかけていたモチベーションの灯火が、また、燃え上がってきた感じである。問題は「出だし」というか、何故このテーマについて書かねばならぬかという点と、大学院教育の現状についての事例の紹介といったところである。
あとは、今あるものを精査し、並べ替えれば十分といっていただいた。しかし、まだ、そんなレベルにないことは自分が一番よくわかっている。ダメダメダメって気持ちなのだが、先生はお優しいので、「自分をそんなに卑下しないで。ウソじゃなく、いいところまでいってますよ」と慰めてくださった。
次は年明けに指導をうける。修士論文の提出期限は1月30日で時間は残されていない。
しかし、その前に「修士論文を今年度に出すか出さないか」決定する必要があった。12月15日までに「修士論文提出許可願」を出さないと、留年が決定する。先生に、恐る恐る、「論文のタイトルも確定していないのですが、提出許可願はどうしましょう・・・」とお伺いしたところ、「題名は後日訂正できるから、今のまま出せばいいでしょう」と返事を頂いた。
とりあえず、12/15のハードルを越えることができた。出し忘れないように注意しないと!
色々幅広く興味のあるものに手を出すと、時に大変な状況となることがある。
「修士論文の指導」を受けているのに、「大学院を受験する」といった状況。
まさに、「出口」の一歩手前と「入口」の一歩手前の状況に、全く違った緊張感を味わっている。
3回目の修士課程へのトライアル。「修士ばっかり取得しても・・・」って言われそうだが、学位は励みにこそなれ、目的ではない。無論、取得した学位はプライベートの名刺に刷ったりはしているが、それは自分の学修した成果であり評価の尺度であるから、なんら躊躇はしない。
要は学習できればどこでもいいのだ。大学院でなくてもいい。高校でも短大でも大学でもいい。未だに、工業高校で理系の授業を履修したいという思いは強く持っている。
ただ、今やるべき学習としての「価値」からすれば、院での学習の方が学術的にも、経済的にも、体力的にも優先度が高いちおうだけである。
このブログで言い続けていることは、先の「ソナエリスト」の考えも包含しているかもしれない。「漠然とした不安」に対する精神的安息であり、「無用の用」という思想である。
あっ、そろそろ学校に行かなくては・・・
「修士論文の指導」を受けているのに、「大学院を受験する」といった状況。
まさに、「出口」の一歩手前と「入口」の一歩手前の状況に、全く違った緊張感を味わっている。
3回目の修士課程へのトライアル。「修士ばっかり取得しても・・・」って言われそうだが、学位は励みにこそなれ、目的ではない。無論、取得した学位はプライベートの名刺に刷ったりはしているが、それは自分の学修した成果であり評価の尺度であるから、なんら躊躇はしない。
要は学習できればどこでもいいのだ。大学院でなくてもいい。高校でも短大でも大学でもいい。未だに、工業高校で理系の授業を履修したいという思いは強く持っている。
ただ、今やるべき学習としての「価値」からすれば、院での学習の方が学術的にも、経済的にも、体力的にも優先度が高いちおうだけである。
このブログで言い続けていることは、先の「ソナエリスト」の考えも包含しているかもしれない。「漠然とした不安」に対する精神的安息であり、「無用の用」という思想である。
あっ、そろそろ学校に行かなくては・・・
日経新聞の朝刊に表題の記事が掲載されていた。
U-29世代に「ソナエリスト」という人々が増えているそうだ。「お金を貯める」「資格を取得する」」といった「相反」するテーマがあげられている。
「資格」を取得するには「お金」がかかるのですが、人によって「お金」を貯めたり「資格」を取得したりするのでしょうね。
30種類以上の資格を取得した人の話がでていて、今まで闇雲に手を出していたが、税理士に関係する資格に特化し、「資格ハンター」の道から決別したと書かれている。
そういう判断なら尊重されるし、ケチをつけるつもりはない。資格を通じて生涯学習をしていることに変わりはないのだから。ただ、あまりに資格を厳選していくと、1社に滅私奉公する「社畜」と構図としてはかわらない結果となる。
幅広く資格を取得することは、幅広い視野や視座を持つことにも繋がっていく。気分転換にもなるので、あまりストイックにルール付けせず、興味のある資格を目指していくほうが、結果としてたくさんの「知識の引き出し」を持つことになると思います。
U-29世代に「ソナエリスト」という人々が増えているそうだ。「お金を貯める」「資格を取得する」」といった「相反」するテーマがあげられている。
「資格」を取得するには「お金」がかかるのですが、人によって「お金」を貯めたり「資格」を取得したりするのでしょうね。
30種類以上の資格を取得した人の話がでていて、今まで闇雲に手を出していたが、税理士に関係する資格に特化し、「資格ハンター」の道から決別したと書かれている。
そういう判断なら尊重されるし、ケチをつけるつもりはない。資格を通じて生涯学習をしていることに変わりはないのだから。ただ、あまりに資格を厳選していくと、1社に滅私奉公する「社畜」と構図としてはかわらない結果となる。
幅広く資格を取得することは、幅広い視野や視座を持つことにも繋がっていく。気分転換にもなるので、あまりストイックにルール付けせず、興味のある資格を目指していくほうが、結果としてたくさんの「知識の引き出し」を持つことになると思います。
先般、論文の「たたき台」を提出したのだが、その内容についての指導が本日あ
る。
はっきり言って「緊張している」自分を認識している。
「こんなのダメ!一からやり直し!」って言われても仕方がない。とはいえ、指導を受けない限り動けないのも事実・・・
しかしながら、ほぼ2ヶ月ぶりに先生にお目にかかれるのはうれしいことである。
中央線の工事が21時から開始されるが、それまでに帰れるかしら?
る。
はっきり言って「緊張している」自分を認識している。
「こんなのダメ!一からやり直し!」って言われても仕方がない。とはいえ、指導を受けない限り動けないのも事実・・・
しかしながら、ほぼ2ヶ月ぶりに先生にお目にかかれるのはうれしいことである。
中央線の工事が21時から開始されるが、それまでに帰れるかしら?