その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

吉見 義明『草の根のファシズム―日本民衆の戦争体験 (新しい世界史7)』東京大学出版会、1987年

2020-03-07 07:56:51 | 

アジア・太平洋戦争を前線で戦った兵士、日本で銃後を支えた日本人、占領地に移住した日本人らの手紙・日記・手記等をもとに、民衆の視点で戦争やファシズムに対する意識を明らかにした一冊。アジア・太平洋戦争に関する歴史書には、しばしば参照、引用される書である。30年以上前の1987年発刊であるが、未だ一読の価値は高く、私自身強烈な衝撃だった。

まず、手紙・日記などを基にした体験記の迫力は凄まじい。個人的な戦争への思いに加えて、侵略地での日本軍の「徴発」、中国・イギリス軍との戦闘、ゲリラとの闘いだけでなく、日本においても農家への強制供米や企業の増産協力など、一般の日本人が戦争をどう体験したかが記される。今も世界の各地で戦争は残っているものの、戦後、平和を享受してきた我々日本人が、80年前に我々の祖先が経験した戦争を追体験する意義は大きい。

歴史書ではどうしても政府、軍部、関係諸国の動向らが中心となる中で、一般の民衆がどう考え、行動していたのかを知ることは、その時代を複眼的、立体的に振り返ることが出来るので、時代の理解が深まること間違いない。筆者の主眼はファシズムが軍部・政治家・資本家だけでなく民衆自身が支えていたことを示すことにあるのだろうが、私にはむしろ、否応なく巻き込まれ、適応せざる得なかった被害者としてのひとりひとりの民衆が浮き上がっているように読めた。

また一口に民衆と言っても、戦争やファシズムの受け止めは、それぞれの環境によって大きく異なることが、(とっても当たり前のことであるのだが、)改めて気づかされる。敗戦の報に接した同じ日本軍兵士であっても、大激戦の中で明日の命が分からない東南アジア戦線で過ごしていた兵士、占領地中国ですごした兵士、すべて見方は異なる。アジア各国への戦争責任、靖国神社への参拝、日本の軍備については、未だ国としての意見は割れたままだが、こうした立場を知ることで、それぞれの視点や価値観の根っこが理解できる。

それにしても、民衆の人生を大きく左右する、施政者、リーダーの責任の重さは強調しすぎることはないだろう。果たして、今のリーダーがどれだけ、こうした「重さ」を理解して議論しているのかを考えると、はなはだ心もとなくみえるのが残念だ。

「お母さんのおとなしい息子だった僕はいま、ひとを殺し、火を放つ恐ろしい戦線の兵士となって暮らしています」(1937年9月1日付に日中戦争従軍の今井龍一の手紙から、p38)こうした日本人が数あまたアジア・太平洋で命を落としていったのだ。

【目次】

第1章 デモクラシーからファシズムへ(戦争への不安と期待
民衆の戦争
中国の戦場で)
第2章 草の根のファシズム(ファシズムの根もと
民衆の序列)
第3章 アジアの戦争(インドネシアの幻影
ビルマの流星群
フィリピンの山野で
再び中国戦線で)
第4章 戦場からのデモクラシー(ひび割れるファシズム
国家の崩壊を越えて)


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