東濃IFR

ACARS,グライダー、航空機

得阿耨多羅三藐三菩提

2012年06月24日 22時20分45秒 | 家族
 内容がちょっと重いので苦手な方は今日はすっ飛ばしてください。











 23日土曜日、午前7時10分頃。親父の携帯に親戚から電話が入る。先月から入院していた叔母が危篤状態というものだった。

 叔母は自分の家から程近い病院に1ヶ月前から入院していた。
 老人ホームに入っており、5月27日に転んだ拍子に左足大腿骨を骨折してしまう。救急車で病院に搬送され、その次の日に手術を行い骨折の治療は経過観察となった。
 しかし、その数日後に脳梗塞を発症。CT、MRIを撮影した結果、脳梗塞数箇所の他に膵臓、肺、肝臓に癌があるのが発見される。
 医者からは余命1ヶ月から半年と宣告される。

 そして6月23日6時45分、帰らぬ人となった。享年88歳、大正、昭和、平成と激動の時代をくぐり抜けた人だった。


 親父が病院に向かった後、10分後くらいにお袋と病院に向かっているところに親父から亡くなった旨のメールが届く。
 病室に着くとすでに他の親族が到着していた。皆、覚悟していたからショックはそれほど無い。逆に「こっちの都合を考えて土日にしてくれたね」と皆で話すくらい。
 親族がすぐに葬儀屋に連絡し、日取りを決める。今日通夜、明日葬儀。
 家族葬で行うことにしたのだが、家族葬専用ホールが空いていなかったので通常葬儀を行うホールを使用しての家族葬となった。変な例えかもしれないがオーバーブッキングでエコノミーからビジネスに変えてもらったようなものかな。

 主治医から説明があり、その最中に葬儀屋さんがやってくる。
 ベッドからストレッチャーへ載せ替え、霊柩車を見送った。
 一旦ホールへ向かう。家族控え室にはすでにポップが掲げられていた。
 一番驚いたのがもうすでに棺に入っているところ。いやいや、仕事が速い。(このときは仮で入れてあっただけのようで、この後にちゃんと体を拭いたり脚絆、手甲等の旅支度を行いました)
 お坊さんが枕経をあげに来るのが10時半頃とわかったところで自分は会社へ行く。

 定時で仕事を終わらせて家に帰り、着替えてホールへ向かう。
 他の親族も来ており、大人8人子供二人の総勢10人。200人は入るだろうホールでこれだけってのも少々気が引ける。
 時間になり、お坊さんが見えて通夜が執り行われた。

 その後親族控え室に戻ると夕食が準備されていた。これも料金のうちだそうだ。昔は自治体の班ごとに受け持っていたことを葬儀屋がやってくれる。余計な心配をしなくてすむ。

 しばらくして自分は一旦家に帰り、風呂に入ってから高速バスでやってきた姉貴を迎えにバス停まで行き、再びホールへ。
 姉貴も対面したところで自分たちの家族は帰る。明日は11時から葬儀、出棺は午後となった。




 そして24日。週間天気では雨の予報だったが薄曇。空を見れば薄く飛行機雲が見える。


AY79 OH-LTO FL120


LH736 D-AIGB FL150 さらに上を行くのはJA8978?


 着替えてホールへ。時間通りに始まり、時間通りに終わる。
 叔母は花が好きだったので最期に皆で花で飾る。さすがにこのときはグッと来た。

 そして出棺。霊柩車の後ろについて火葬場へ向かう。近いからあっという間だ。
 新しくなってから始めて来る火葬場。設備も色々新しく、そちらに目が行ってしまう。

 荼毘に臥す前にもう一度、和尚さんが引導を渡す。子供達がビクッとなる。今行われている儀式が大切なことだと実感したのだろう。それまではしゃいでいた子がおとなしくなった。

 「それでは2時間ほど後に収骨となりますので、その間お食事されてお待ちください。」と係りの人に言われて部屋に通される。
 すでに昼食の準備がされていた。施設自体は市のものだが、葬儀屋が来てお昼の準備までしてくれる。至れり尽くせりだね。


お弁当だけど立派なもの。どこかの仕出弁当かと思ったら葬儀屋が作ったもの。ご丁寧にお品書きまで。

 般若湯をいただきながらを前提にしているのか、少々しょっぱかったがおいしかった。
 じっとしているのが苦手な自分は外へ出る。


最期の見送り、と思ったが今の火葬場は煙が出ない。でも陽炎は見えた。叔母さん、ありがとう。


 お袋と姉貴も外に出てきたのでいろいろと話していると、それまで聞こえていた送風の音が変わった。そしてほぼ同時に係員が待合室に行くのが見えた。どうやら冷却に入ったのだろう。待合室に戻るとあと10分で収骨になる、と言われたようだ。

 そして収骨。今まではしゃいでいた子が怖々近づく。もちろん台座はまだ熱い。一つ収骨したあと、思わず観察。前職の癖が抜けないね。

 その後はお寺に行って供養、初七日を執り行い葬式が終わる。天気はずっと良く、晴れ女だった叔母の力だよ、なんて話した。

 家に帰ってコーヒーを飲んでようやく一段落ついた気がした。自分もお袋も昨夜はあまり寝れなかった。自分はまだいいがお袋の体調が心配。この頃調子よくないからな。
 時計を見るとすでに16時半。姉貴を送りに出る。


中央ライナー新宿行き。まあまあの乗車率。姉貴も忙しいところお疲れ様。



 人は誰しも必ず死ぬ。だからこそ一日一日を悔いなく過ごすことが大切だと再認識した。
 また、和尚の説法に「ありがとう」の話があった。

 「ありがとう」が言えるすばらしさを今一度考えてみよう。

AX
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今年も、このお寿司

2012年06月22日 23時12分10秒 | 家族
 新緑の色が落ち着いてきたこの時期、この地方では「棒葉寿司」が各家庭で作られる。
 棒葉を使った料理と言えば飛騨の棒葉味噌、木曽の棒葉餅。他にもあるだろうけど、自分が知っているのはこれくらい。
 この時期になると大手スーパーでは棒葉寿司を作る具材のコーナーまでできる。



押し寿司にしておくことで棒葉の香りが移る。


 今日はご飯7合、31個を作ったとか。そのうち12個は姉貴のところへ。「葉っぱのお寿司」と言って子供たちが喜ぶそうだ。


錦糸卵、椎茸、きゃらぶき、時雨、シーチキン、しめ鯖、サーモン、そして紅生姜。


 副菜もいろいろあったので4つでお腹いっぱい。残りは明日のお弁当になった。
 明日は暑くなるみたいだから、会社に着いたら冷蔵庫に入れておかなくては。
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蛍狩り2012年

2012年06月18日 01時05分37秒 | 自然
 午前中は昨日からの風邪でダウン。午後からはだいぶ体調がよくなり、夕方にはベランダに出てスポッティングができるくらいに。


15時40分頃3機編隊が通過。なんだ、ありゃ。


これが原寸。どうやらハリアーっぽい。岩国にどうのこうのという話があったような無かったような。


BC766 JA73NC


JA755A


 レーダーにこの前からずっと狙っている機体が八ヶ岳付近でコンタクト。慌ててレンズを交換してマイクロアジャストを設定するがうまくいかない。ええい、ままよ!


やっぱりウイングスパンが長いなぁ。エンジン太いし。


CX071 B-LJF(B747-867F) FL340 できればB-LJAが撮りたかったけどそれはまた別の機会にでも。


主翼端の形状が違うね。


CKK222 B-2078 FL360


JA843A


HAL459 N592HA FL380


 夕食後、まだ時間も早かったので先日行った蛍のいる小川へ腹ごなしを兼ねて行く事に。両親は懐中電灯を持って、自分はカメラと三脚を持って、ヨメは砂糖水を含ませた綿を持って出かける。
 向かう道中、小川から100メートルほど上流のところから蛍を見かける。この前のときより数は多い。これは期待できそうだ。


「こっちのみ~ずは甘いぞ~」と本当に3匹が砂糖水に寄って来た。手前の明るいのがそれ。


北斗七星をからめて。思ったより舞い上がらなかった。


ヨメが「いま!」と言ってシャッターを切った。

 辰野ほど多くは無いけど今年も蛍の舞を見ることができた。来年はどうかな~。
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食後のデザートに

2012年06月13日 23時28分21秒 | 家族
 午前中に用事があって恵那川上屋本店に行った両親。変わった物を見つけたようで、夕食後のデザートで出てきたのだが…



でか!の一言。隣はじゃがりこ。


「島パインとマンゴーソースの杏仁豆腐」という商品。杏仁豆腐と果実、ソースは別になっていた。値段は600円ちょっとだったとか。
 取り分けてみると、これで3~4人分って感じ。一人で食べることもできるだろうけど、ちょっと多いかも。
 味の方はさすが川上屋といったところか。ミルク感もあり、香りも日本人好み。おいしかった。

 甘党の強者は挑戦してみるべし。
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御嶽山物輸2012~後日談~

2012年06月11日 08時33分45秒 | 航空機
 朝5時から作業を本当にやっていたようだ。
 7時に起きて、ライブカメラとエアバンで作業を確認できた。



王滝頂上へ…


ホバリングして荷下ろし中…


そしてヘリポートへ。


次は二の池へ。


 無線でどこの山小屋へ持っていくのか確認して運んでいく。
 半日もかかるかどうか、と昨日言っていたけど8時過ぎには作業がほぼ終了したのか、本社に帰投のフライトプランをリクエストしていた。



そして山はもうガスで見えないのだった。日が出て空気が温まるとすぐに雲ができ始める。


 今年も御嶽山に登る予定。そのときはこの光景を思い出しながら登りたい。
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御嶽山物輸2012

2012年06月10日 23時09分28秒 | 航空機
 王滝観光総合事務所、王滝村からのお知らせに6月9日(土曜日)に田の原からヘリコプターを使用した荷揚げについてアナウンスがあった。毎年6月第一土曜日にやっているイメージだったが、今年は雪が多かったせいもあるのか一週間ズレた。
 自分の予定では土曜日はどうしても抜けれない用事があった。しかし、土曜日は雨天のため翌日に順延となったのだった。チャーンス…

 寝る前にもう一度天気予報を確認すると9時頃から晴れる予報。間違いなく晴れる、と思い早めに就寝。家族には夕飯のときに伝えておいた。
 午前3時に起きて身支度してキッチンに行くと…


ヨメが朝、昼のお弁当を作ってくれた。こんなロクデモナイ旦那のためにありがとう。お義父さんの父の日プレゼントは任せた。


 19号を一路木曽方面へ…と行きたいところだったが会社経由で行く。機械の状況だけ確認しておかないといけなかったのだ。
 問題なかったのでそのまま現地へ向かうことにした。オペレーションスムース。予定時間通りに王滝村に到着するが、19号を走っているときから霧雨が降る。


まずは里宮さんにお参りして道中の無事を祈願する。



 田の原に向かっている最中にJET-A1のニオイがしてくる。匂いをたどると今回の担当機を発見する。



おお、B204を予想していたらスペルピューマとは!迫力のある写真が撮れそう。



 そのまま田の原に到着するも霧雨は止まず、霧(というか雲)も厚く、いつ回復するかわからない状態だった。


田の原駐車場の上段が臨時へリポート。


広いところにヘリを下ろすのかな?


 頂上が見えるくらいにならないとヘリは飛ばない。とりあえず車内で少し寝た。8時半過ぎ頃から田の原周辺が明るくなり始める。雲も薄くなり、薄日が差すようになってきた。そんじゃままずは…


頂上遥拝所にて家族の無病息災を祈る。


 遥拝所から戻るときに、作業する人達が積荷の準備を始めていた。飛ぶか?


頂上までは見えないけどだいぶ雲が取れてきた。


北はいいけど南側がな~。


中日本航空の積荷担当者が重量を確認しながら吊れるようにする。今回は1回1トンのようだ。


 あとちょっとで雲が無くなりそう、と思うと南から湧き上がってまた見えなくなる、という繰り返し。
 そんな中、今日は駒ヶ岳でも荷揚げが東邦航空によって行われたようで、向こうはヘリが飛んだ、という話が聞こえてきた。一方こちらは…


今年は残雪が多く、スキーを背負って登る人も数人いた。これが目的だろうけどすでに視界が悪くなりつつある。


 そして12時。フライトキャンセル見込みの情報が入る。5時半に来てこれか…。残念だけど安全運航第一なのでこれでいい。


積荷担当者からダメ出しがあったのか、バラ荷を積みなおしてからシートをかけて今日の作業は終了となった。


 こちらも撤収。機材を片付けて下山開始。もう一度ヘリを見て行こうと思い駐機場所へ向かった。


シートは全部外してあり、飛ぶ気はあったと思われる。すでにスマキが始まっていた。


 挨拶して、近くで写真を撮らせてもらおうと思ったら整備士班長(?)から「写真撮ってく?」と声がかかる。ありがとうございます!


JA6717 AS332L1 中日本航空


ここは陽が当たっていても後ろの御嶽は姿が見えず。


バンのほうが手前にあるためヘリが小さく見えるがやっぱり大きい。


お腹下のカーゴフック。重量計はコパイ席の後ろにあり、同乗整備士が記録するとのことだった。


テールローターのメカ部分もカバーをする。


お腹下の窓。これだけじっくりとピューマを見るのは初めて。ありがとうございました。

 ちなみに、今日は朝5時半からの作業だったけど明日は朝5時からということだった。
 明日は仕事。朝3時に起きてまた来るのは体力的にもきつい。作業時間としては「半日もあれば十分終われる量」だそうで、順調に作業が進めば9時過ぎには終わってしまうかも、ということだった。
 今回はここまで。帰宅後に話したらヨメからも止められ、「来年また行っておいで」と言われる。

 途中いくつかお参りして15時過ぎに家に到着。朝3時からの行動はやっぱりきつい。

 夕飯後19時半過ぎに食後の散歩をしに家族で出る。この時間は羽田発の飛行機がいっぱい通過するため、星を見つつ飛行機を見る。しかし今日はそこまで上を向かず、ちょっと足元近くを見る。今年も近くの小川にゲンジボタルが舞い始めた。
 気がつくともう初夏。あっというまに時間が過ぎていく。


AX
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早朝ピクニック

2012年06月02日 23時20分22秒 | 自然
 会社は一応、月初めの土曜日は休みとなっている。負荷状況によっては出勤しなくてはいけないのだけど、今月はとりあえず大丈夫だった。
 金曜日の夜に霧ケ峰に行く旨を家族に伝えて早めに寝る。しかし寝つきが悪く、うつらうつらしているうちに目覚ましが5時を告げた。
 布団から起き上がり、時計を見ると5時半。カーテンを開けて外を見ると、山の標高1000メートル以上のところから上が雲に隠れている。某ケーブルテレビ局のライブカメラで霧ケ峰を見るとその名の通り霧の中。
 天気図、雲画像を見て今日は天気がイマイチと判断して急遽目的地を変更。身支度してヨメに行き先を変更し、もしヘリがいれば夕方、いなかったら午前中に帰ってくると伝える。

 車の燃料と自分の燃料を入れた後、目的地へ。それは先週、お袋と行ったとある場所の確認だった。


 林道入り口から工事関係者の車の後ろを走るが、ゲートから先は自分は行けない。車を置いていつものごとく徒歩で目的地を目指す。
 確認したところ、もうヘリの出番は終わっているようだ。しかし、事業期間としては来年1月まで入っている。今後もあるだろうから確認しておいても損はないだろう。

 今回の登山は前回のときよりちょっときつい。九十九が多く、しかも砂利ですべりやすい。

 登り始めて5分ほどしたところで荷降ろし場を発見。


川岸の一部を使用。積荷を降ろすのはいいけど、ヘリ自体が着陸するには柔らかすぎる。


 途中、コンクリートミキサー車や軽トラ等に抜かれるが声をかける人は一切無し。どう見たって釣りの格好ではないんだけど…。
 歩き始めから25分ほどのところで目的地を発見。そこにはヘリの姿はなかった。ま、そうだよね。


木そのものの運搬もほぼ終了しており、あとトラック1台分少々くらいが残っているだけだった。


 確か近くにもう1箇所あったはず。どこだろうと周辺を歩き回る。すると…


ガサッという音とともに山のほうへ逃げたカモシカ。大きいカメラを出すだけの時間的余裕はなかった。

 カモシカと遭遇した場所から引き返し、川下の方をヒョイと覗き見るともう一つの目的地が見えた。なんだ、やっぱりさっきの場所の近くじゃないか。


さっきの所とあわせてトラック1台分かな。


 これで荷降ろし場所を確認できたわけだけど、この前のように鼻が利かなかったのはJET-A1のドラム缶が無いせいだね。
 とりえず、ここでの作業が終了しているようだということがわかったのでこれにて下山。しかしこのまま何も撮らずに帰るのもくやしい。


小さい滝みっけ。1/10 secを手持ちはキツイ。


 車に戻り、家に直行。10時過ぎには帰宅した。
 朝の森の清々しい空気と、適度な運動でさわやかな気持ちだった。


 さて、次はどこで、何があるのかな…。
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