ウヰスキーのある風景

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素朴な、あまりに素朴な疑問

2017-02-24 | 雑記
デーヴィッド・アイクは、「この世界は映画の『マトリックス』同様にマトリックスなのである」という話をしている、というのは度々してきた。我々が現実だと思っていることは、映画館で映画を見ているのと同じであるというわけだ。

いくら映画の主人公に自分を重ねても、その主人公が劇中で怪我をしたところで、こちらも傷が入るわけではない。痛そう、と思ったりして、気分の変動があったりはしても。

それが過ぎると聖痕になるやもしれないが、その映画を見ている存在はそもそも、我々が思っているような物質的な存在ではないわけで。

アイクは、コンシャスネスと言っていたが、ユングで言えば、集団的無意識と重なる話だと思われる。

そのアイク自身は、サッカー選手でその後キャスターやったり政治活動やったりと、バックアップを受けていると思しき状態である。
MAGICA魔法入門カバラの管理者氏によれば、魔法の結社のバックアップを受けているはず、とのことである。でなけりゃテレビ出たり出来ないから、とう前提を踏まえておいてもらわないと、訳のわからない話だと思うが、もっとも、理解しようとしない人には端から訳のわからん話ではある。

ついでに、ユング自体も、その出自がオカルトの系譜であるという。興味のある方は色々お調べになると、面白いと思う。
オカルト=キチガイという、教え込まれただけの方程式を金科玉条にしている人にはそもそも上記の如しである。
そういう奴に限って、「常識を疑え!」なんぞと言っている例は、前に書いたかな?もしくはわし自身であったか!

かつてアイクのその話を読んだときは、『マトリックス』の例えから理解する形ではあったのだが、バトラーの『魔術入門』にも、やはり同じ事が書かれている。

人によって解釈が分かれる、という常識的な言い方を一応しておくが、アイクもユングも、魔術が解き明かしてきた内容を、魔術といわずに公表しているのである。


アイクの話に戻す。

つまり、映画を見ているような状態というのは、硬いとか柔らかいとか形状を持っているというのは幻だというわけである。

実際に、科学者がそんな話をしている、というのも著作に引用されている。

子供のころの理科とか科学の話だと、物質は分子にまで分かれて、それらは原子が結合している、などと習ったはず。わしより年上の方は恐らく、そこで止まっている。

実は原子は素粒子というもっと細かいものが集まっている、という話は少し前から出ていた。丁度、わしが子供の時に学校で聞いた。
「こういう風に教科書に書いてるけど、素粒子が云々」という風に。

素粒子の先は、もはや波のようなもので、掴みようのない状態だとも、アイクは引用していた、と思うのだが、面識のあった邦訳者との諍いの腹立ち紛れに捨ててしまったので、確認は出来ない。

数年前に出版された、別の翻訳者による追加の書籍もあるので、興味のある方は読んでみよう。『金枝篇』みたいに増補改訂するように著作を出しているので、上の話もあると思われる。


さて、タイトルが素朴な疑問、という風に書いたが、そこに触れたい。

少し前にも書いたが、映画『マトリックス』で、主人公のネオは、脳みそに、支配するに都合のいい夢を見せているマトリックスから抜けた後、戦いを挑む。何をしたかというと、イメージトレーニングだと書いた。
マトリックスのやり方を逆用して、劇中だと憲法、じゃなくて拳法を覚えたりしていたわけだ。
そして、またマトリックスに入り込んで、言ってしまえば、強くなった夢で、敵の夢を打破するというわけである。

これも度々書いたが、アイクは、『マトリックス』で間違えているのは、マトリックスを抜けた先に、物質的な現実世界があるように描いていることだという。それ以外はまったくその通りだと。

それならば、皆が今の常識、つまり変な夢に縛られない自由な状態で生きられて、別に環境汚染も何もない状態の世界になったとしたら?
『マトリックス』よろしく、見たい夢を見るだけで全てが完結してしまう状態ならば?

「森で自然に沿って地球とともに生きることこそ至上!」という口ぶりは、何も意味を持たないことになるのである。己が好きでやる分には問題ないのは言うまでもなく。

森?地球?それ自体幻ではないのか?自然というなら、物質至上主義の目で見ているだけの森や地球にはなく、我々が見たいと望むこと、見たい夢にしかないのでは?となる。

そんな漫画や映画の話なんぞ来るわけがない、という時点で、もはや変な夢のとりこであることを自覚しない。

こんなことを書くわし自身がそんな確信を強くもっているとは言いがたいのだが、とはいえ、人の形のみの凝り固まった理性というものに縛られている、わしも含めた我々には(いつも書く「我々」には元々わしも含めているが敢えて)、そもそも、想像もつかない話なのだから。
だから、想像が出切るまで、夢を見るしかないのだと思う。寝てる時に見る夢、というだけの意味ではないことをご承知願う。


では、よき終末を。