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妄想日記

2017-02-15 | 雑記
今日はそうでもなかったのだが、先日、ブログを書こうと編集画面を開くと・・・。なんだかテレビを点けたような嫌な感覚が起こった(その感覚がわからない人には伝わらない例えだが)。それなので、前回の記事は、メモ帳に書き込んでそれを貼り付けるという形をとった。今、こうやって書き始めていると、少々気分が悪くなってきた。

ここにコメントを好んでする人はほぼいないので、コメントについての記事といったらもう特定の書き込み相手しかいないのだが、それでもやる。

しばらく前から度々引用していたMAGICAカバラというブログ。これで検索したら出てくるので、リンクは貼らない。

有名シナリオライターは実際はアレンジャー程度の存在だったという話を、あれやこれやと書いていて、実際に、例えば宮崎駿の発言だったり、最近見たのでは、庵野秀明の発言を取り上げていた。

そういう話を書いていたら、噛み付いてきたわけだ。噛み付くならわしに噛み付くんじゃなくて、その脚本家だとかに噛み付くほうがいいかもしれんのだが。

そのブログの管理者もシナリオライターだそうな。具体的な作品名などはあげていないので、実のところはわからんが、くだらない嘘をついても仕方ないので、疑う理由もない。
それで、件のコメントはなんと噛み付いてきたのかというと、「その程度でシナリオライターを自称するなんぞ、たかがしれた奴だ」などと。見返したくないので、コピペではないことをお断りしておく。

わしは別に、そのブログの人と面識があるわけでもないし、擁護しようとかそういうつもりはないのだが、そやつが罵倒するのがまずおかしい。
なぜならば、有名脚本家に限って、自分自身の才能はたいしたことがなかった(宮崎)だの、あの話は体験でしかなく、話を何もないところから作れると思うのは傲慢だ(庵野)と語っているのを無視している。

有名脚本家の自嘲、といえなくもないかしらんが、コメントの台詞は、有名脚本家に向けていわなくてはなるまい。
「その程度でシナリオライターとはおこがましい」だったかな?

ここでさらに問題がある。こんな妙ちきりんなブログにコメントをしにきていた、というのが問題だ、とかいう話ではなく。
読んでたであろうに、人の話を理解していないか、端から理解するつもりがなかったとしかいえない。
それほどたいした話はしてはなかったが、それはともかく。わしは散々、「我々が当たり前だと思っていることは嘘偽りだ」という話をしていた。あのおっさんの元で、後半はたわけた自慢話が目立つラヂヲをやっていた時からずっとだ。行きつ戻りつだったが。

そのコメントはつまり、こう考えているとなる。
「才能のあるシナリオライターというのは、何もないところから素晴らしい作品を作り上げているのだ」と。

誰でもなんとなくそう思うだろう。わしだって思っていた。だが、これもまた、思い込みでしかなかったと。

その思い込みを疑え、覆せ、と言っているのに、思い込みを金科玉条にしてモノをいう。モノを言っているつもりで何も言っていない。

そして、それに纏わるコメントで「世界と社会のバランスがどうこう」などと言ってきたのに対し、こう返した。

「世界と社会のバランスを取るというのが、既成概念の強化のつもりなら、このブログのコメント欄で議論をする意味はない。自身でその自説を流布すべし」と。

以来、数ヶ月は過ぎたか。未だにコメントはない。そのつもりでないなら書けばよかろうが、そういう風に取る以外ない。
「今は上手く書ききれないが、そのつもりではない」と一言コメントぐらい出切るであろうが、そうもしない。PCが壊れた、とかいうならしらんが、埋め込まれた常識を大前提にして話をしているのを自身で理解していないのだから、こう言われれば多少は理解するだろうと思う。


さて、本当につまらない話はここで終る。

次は少々つまらない話である。



先月から、作文の訓練として、小説のような何かを書いていると述べた。

後悔するので公開しないとも言ってある。それはともかく。

いわゆるライトノベル的なノリの、漫画を小説にしたような内容ではある。具体的にどの作品かと問われると、書いた本人もわからないと答えるであろうが、どこかで見たようなシチュエーションがてんこ盛りという有様である。

それを、無い頭を捻って一字一句悩みながら書いている・・・のではなかった。
こういうと、頭がおかしくなったと言われるだろうが、体験したことを思い出したり、忘れている部分を補ったりして、あったことを日記に丸々書き込んでいるんじゃないか?というような、変な感覚なのである。正直、ブログを書くほうがしんどいレベルである。
だから、あれは小説じゃなくて「妄想日記」なんだろうと、思い至った。

そこで、上記の庵野監督の発言に戻る。「あれ」はエヴァンゲリオンのことだそうだが、自分の経験を元にしたもので~という発言だったそうな。

『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦は、自身をモチーフにしたキャラ(漫画家)に、「自分が体験したことを作品に盛り込むと面白くなる」といった趣旨の発言をさせている。あのシーンは強烈だった。クモをグチグチさして、体液をなめるとかいう。

人間の記憶というのは、脳が五感を通して覚えた情報である。ならば?

そう。妄想や夢というのもまさしく、記憶なのである。そして、夢の中などでは、見たこともない光景や存在を目の当たりにすることもある。

映画『マトリックス』で、主人公のネオがマトリックスの支配について知らされ、戦いを挑むのだが、その際に何をしていたかというと、イメージトレーニングである。脳に夢を見せているマトリックスのやり方を利用して、超人的な動きや能力を仕込んでいた。そして、マトリックスの中にまた入りなおして、言ってしまえば強敵と渡り合う夢を見に行っているわけだ。

アスリートなんかもそうである。試合前に、自身の最高のプレイを現実のものとしてイメージする、ということを行っている。


いわゆる常識は、誰かが、何かが作って見せている夢である。

あなたが見るべき夢の中では、あなたは主役なのである。

夢を、夢の中で眠らせたままでは、目覚めることもままならないであろう。



などと、意味不明な供述をし・・・。




つまりは、有名な脚本家やらがあの様な発言をするという理由が、なんとなく感じ取れたような気がする、という話である。

では、よき終末を。