ウヰスキーのある風景

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ありふれた妨害電波

2017-02-20 | 雑記
歳の割りに、若く見られるということがたまにある。

といっても、今年35歳。赤ん坊に見える、とかいう訳ではない。「20代だと思った」といわれることがあったりする。

反対に、ぴったり30過ぎと言い当てる人もいるわけで、驚いたり、結局驚いたりしている。

先月も、そんなノリの話があった。馴染みのお店で飲んでたら、後から入ってきたそのお店の常連の女性。店員と話をしていたりする。

軽く酔ってきたので、何かの拍子に話しかけて、少々しゃべっていたら、やっぱり突っ込んでくる。「どうして着物なんですか?」と。その後の流れは、よくあるもので、その中で「とても落ち着いて見えるけど、20代だと思いました」となった。どうやら、着物が妨害電波でも発していて、他人の認識をおかしくしているのだろう。すごい着物だ。

妨害電波(仮)の力は凄まじく、その女性は「ファンになりました!今度色紙もって来るんで、サインください!」と言い出した。

すると店長が、店に飾ってあった七福神スタンプラリーの色紙を取り上げ、「この裏なんかどうですか?」などと言い出すしまつ。

ファンです、なんていわれると、実に不安になる・・・というダジャレは、ずっと昔にやったものであるが、その理由を思い出したりしたものである。
別にその話をやるわけではない。

つまりは、ありふれた話だということである。妨害電波(仮)でジャミングされた女性が、一般人にサインをねだる、というのはありふれているのかは知らんが、こちらにとっては、ファンだのサインだのを除けば、ありきたりである。まあ、その女性にとってはそんなことを口走ってしまいたくなるような出来事だったのだろう、とは思うが、人の事はわからない。

と、ここまで書いたのを読み返したが、「こりゃ一体なんなんだ?」と、笑ってしまった。自分に起こったことなのに、なんだか漫画か何かを見ている気分である。

それはともかく。ありきたりな話をしようと思う。といっても、他人の話であるが。

ある女性がいた。今も存命だとは思うが、知らない。

幼少のころは、余り親に大事にされた覚えがなかったと述べていた。細かいことは忘れたが、虐待に近い状態だったようなことを言っていたと思う。

つまりは、愛情に飢えた女性だったというわけだ。その空白を埋めるために、色々やっていたとも自身を顧みて述べる中に、例えば食べることだったり、服を作ることだったりがあったという。

そんな彼女は、歳長じて、紹介された男性と結婚し、二児を儲ける。とはいえ、旦那に対して愛情はなかったいう。

子供は、長女、長男の順に生まれた。この長男を溺愛することが、かつて色々やっていたという、空白を埋める行動の一つになったそうだ。

彼女には、特に子供が生まれてから顕著になった問題があったそうだ。それは、体型がとても豊満になってきたことである。

豊満、などというの冗談で書いただけだが、要するに醜く太ってきた、というわけだ。

ダイエットしよう、ということで、これまた色々やり始めた。運動したり、ダイエット本を読み漁ったそうだ。

そして、食べ物がいけない、当たり前だと思っていた食べ物は、実は色々とおかしくされていた、という話に行き当たる。

そういう話を翻訳したりしている人物に、思い切ってメールした。以来、交流が深まり、よくメールし合っていたという。

そんな日が続いたある日、その様子に腹を立てた旦那が、「お前とは離婚だ!」と怒鳴って、離婚になった、という風に語っていた。

彼女から離婚の話を切り出したわけではなかったのだが、向こうから来たという。

そして、彼女は独り身になり、そのメール相手の殿方の元へと旅立ったとさ。めでたしめでたし。



離婚に至るまで、彼女は、その旦那に、勉強した食べ物のことや、食肉の作られ方の凄惨さだとかを、事あるごとに旦那に理解して欲しいと伝えてきたのだが、まるで取り合わなかったと言っていた。

だが、メールの殿方は素晴らしい!そして相手方もこちらのことを理解してくれている!と。そして、相思相愛状態になったという。

いかに元旦那がバカか、いかにその殿方が素晴らしいか、を延々述べていたものである。

その殿方も、彼の言葉を借りて言うならば、「食い改めて」、デブデブだった身体を細くするという魔法使いだった。(この場合の魔法は単なるジョークである)

そのことで意気投合し、一緒になったというのだが、とんでもない話を、後年聞かされたものである。

件の殿方の交流関係があったある女性。共通の知り合いというわけだが、その女性へのメールに、にわかには信じられないような発言があったとのこと。

「その人を太らせるのが楽しい」と、楽しそうに書いていたそうだ。

「今まで色々やってきたのはプラスするだけで、意味がなかった。無駄をそぎ落としてよくなったのだ」という風に語っていたが、心の空白を埋め合わせる手作業だけは忘れられなかったようである。

二番目に生まれた長男を溺愛していた、と書いたが、それがその殿方になったというわけであろう。

いかに自分が苦労してきたか、回り道してきたか、バカな結婚をしたものだ、そして、今はこの人がいて幸せだ、という風に語る。

そして、そのきっかけになった理屈というものを理解した自分は素晴らしい、世の中のバカとは違うのだ、と言っていた。だから、元旦那をボロクソにけなしていたわけだ。

嗚呼!なんとありふれた話であろうか。


これでは、テレビに映る芸能人とやらが、「子供のころのいじめや病気を克服して今に至った」とかいうしょうもない話を美談のように語っているのと何が違おうというのか。
そして、そんな発言をする奴に限って、精神障害と思われても仕方のないようなことを裏でしていたりする。そんな芸能人が前にいた気がするな。


人に貶されてきたから、人を貶す立場になろうと努力してきた、と言われても仕方のない話である。

旦那を貶すために、紹介されただけの相手と結婚したようなものである。太って痩せたのも、また人を貶すため。


過去の経緯があったから、今の自分がいる、と誇らしげに語るのは構わないのだが、ねじくれているのを誇っているだけなのである。

その殿方と女性は、自給自足の生活をするとして、農地を買い取り、件の殿方は始める直前に語っていた。

「Y子さんは、自分たちの生活を見せびらかしたいと思うだけになった」と。所謂啓蒙活動は意味がないと悟ったから、という文脈だったか。

物質文明でのた打ち回る衆愚に対し、いかに自然に囲まれた生活は豊かで素晴らしいか、自慢したいというわけである。

だから、人を貶すために、そういう生活を始めたといっても過言ではないのである。元旦那しかり、ダイエットしかり、である。

その彼女自身の発言を取り上げる。

「人間社会から離れます」

本人の自覚のほどはさておき、いかに他人を貶すかに腐心しつづけたその心根は、人間そのものである。

かような心根は、人間から微塵も離れていないことを如実に物語っている。「人間やめます」とも言っていた。

己だと思い込んでいる、その意識を疑うことなければ、「わたしは今を生きている」などと言っても、元旦那を貶している時となんら変わらない。「他人を貶す今を生きている」のである。
過去から微塵も離れられておらず、それすなわち、己がバカにしている人間の姿そのものである。
己の理性が粗雑に組み上げた、記憶に対する条件反射を辞めるべし。人間を辞めるというのなら、まずはそこからである。


現代社会に対して、自然文明の優越を説くその姿勢は、ただ、現代社会における見せ掛けの飾りを取り替えたに過ぎない。

確固たる土台だと思い込んでいた、己の自負(良いも悪いも)は、今にも崩れ去りそうな足がかり程度でしかないのである。

そんな足がかりを繕うことに腐心するのが人間である。見せ掛けだけかえて愉悦を覚える、上記の如き人間である。


余りにも、余りにもありふれた、人間の話である。


では、よき終末を。