昔は、この時期になると忠臣蔵の映画やドラマが上映されることが多かった。何と言っても日本人の心の片隅には、「忠義」とか「義憤」の気持ちが生き続けていたからだろうか。
最近は、時代劇などの専門チャンネルなどで、わずかながら忠臣蔵を放映している程度である。
本日、WOWOWでも朝から放映していた・・・・・「赤穂城断絶」、25日には、テレビ朝日で最新作の「ドラマスペシャル 忠臣蔵」が放送されるとのこと。
正に300年前の元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士47人が本所松坂町の吉良邸に討ち入った。
脈絡と受け継がれてきた日本人の心、武士道精神も先の大戦で無条件降伏しアメリカナイズされた民主主義に浸ってしまった現代人には理解しがたいもの、遠い過去のものとなりつつあるのか・・・・・はからずも赤穂市では、14日「赤穂義士祭」が行われ、忠義に生きた日本人を思い起こさせてくれている。
今週末には、役所広司主演の「最後の忠臣蔵」が上映されるとのこと。討ち入り後、生き残った二人の義士(一人は直前に逃亡、一人は討ち入り後に)、その二人に托されていた密命とは・・・・・・。
(出典:「最後の忠臣蔵」公式HP)
ところで、この「忠臣蔵」にはモデルとなる事件が、討ち入りの30年前にあったと昨日の新聞に載っていた・・・・知らなかった
それは「浄瑠璃坂の仇討ち」と呼ばれる事件、発端は宇都宮藩の家老家、奥平隼人と奥平内蔵介の諍(いさか)いだった・・・・切腹した内蔵介の嫡男・源八が親の仇と奥平隼人をつけ狙い、隼人の郎党が約4年後、火事場装束に身を包み隼人の潜む屋敷に討ち入ったらしい。
赤穂浪士たちは、この事件を模範にしていたふしがあると書かれてあった。
元禄時代は、帯刀しているものの抜き合うことがほとんどなかったらしい。
しかし、この時代の赤穂浪士の討ち入りは、喧嘩両成敗であるはずなのに片手落ちの御公儀のやり方を正す意味での主君の仇討ちであり、江戸庶民や多くの武士の溜飲を下げる画期的なもので、武士の誉れとして時を越えて現代まで語り継がれてきた。
浄瑠璃坂の仇討ちは、江戸の三大仇討ちの一つと評判になっていたらしいが、現代では知る人は少ない・・・・・確かに。
因みに日本三大仇討ちとは、① 蘇我物語「曾我兄弟の仇討ち」 ② 荒木又右衛門「鍵屋ノ辻」 ③ 赤穂浪士「吉良邸討ち入り」 である。
忠臣蔵・赤穂浪士の吉良邸への討ち入りは、子供のころから胸のすく物語で日本人の心の故郷とも言えるものである・・・・・古い人間でしょうか。
今の政治家にこの気概がないことが無念・・・・ただの権力亡者ばかりだね。(夫)
[追 記]
忠臣蔵として有名な赤穂浪士の吉良邸討ち入りでは46人が主君に殉じ切腹するが、二人の男が生き残った。討ち入り前日に逃亡した瀬尾孫左衛門(役所広司)と、討ち入りを後世に伝えるため逃がされた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。正反対の運命を背負う二人が16年ぶりに再会。瀬尾はなぜ討ち入りから逃げたのか、寺坂は元同志が抱えてきた秘密を知る。
(出典:「最後の忠臣蔵」公式HP 抜粋)
最近は、時代劇などの専門チャンネルなどで、わずかながら忠臣蔵を放映している程度である。
本日、WOWOWでも朝から放映していた・・・・・「赤穂城断絶」、25日には、テレビ朝日で最新作の「ドラマスペシャル 忠臣蔵」が放送されるとのこと。
正に300年前の元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士47人が本所松坂町の吉良邸に討ち入った。
脈絡と受け継がれてきた日本人の心、武士道精神も先の大戦で無条件降伏しアメリカナイズされた民主主義に浸ってしまった現代人には理解しがたいもの、遠い過去のものとなりつつあるのか・・・・・はからずも赤穂市では、14日「赤穂義士祭」が行われ、忠義に生きた日本人を思い起こさせてくれている。
今週末には、役所広司主演の「最後の忠臣蔵」が上映されるとのこと。討ち入り後、生き残った二人の義士(一人は直前に逃亡、一人は討ち入り後に)、その二人に托されていた密命とは・・・・・・。
(出典:「最後の忠臣蔵」公式HP)
ところで、この「忠臣蔵」にはモデルとなる事件が、討ち入りの30年前にあったと昨日の新聞に載っていた・・・・知らなかった
それは「浄瑠璃坂の仇討ち」と呼ばれる事件、発端は宇都宮藩の家老家、奥平隼人と奥平内蔵介の諍(いさか)いだった・・・・切腹した内蔵介の嫡男・源八が親の仇と奥平隼人をつけ狙い、隼人の郎党が約4年後、火事場装束に身を包み隼人の潜む屋敷に討ち入ったらしい。
赤穂浪士たちは、この事件を模範にしていたふしがあると書かれてあった。
元禄時代は、帯刀しているものの抜き合うことがほとんどなかったらしい。
しかし、この時代の赤穂浪士の討ち入りは、喧嘩両成敗であるはずなのに片手落ちの御公儀のやり方を正す意味での主君の仇討ちであり、江戸庶民や多くの武士の溜飲を下げる画期的なもので、武士の誉れとして時を越えて現代まで語り継がれてきた。
浄瑠璃坂の仇討ちは、江戸の三大仇討ちの一つと評判になっていたらしいが、現代では知る人は少ない・・・・・確かに。
因みに日本三大仇討ちとは、① 蘇我物語「曾我兄弟の仇討ち」 ② 荒木又右衛門「鍵屋ノ辻」 ③ 赤穂浪士「吉良邸討ち入り」 である。
忠臣蔵・赤穂浪士の吉良邸への討ち入りは、子供のころから胸のすく物語で日本人の心の故郷とも言えるものである・・・・・古い人間でしょうか。
今の政治家にこの気概がないことが無念・・・・ただの権力亡者ばかりだね。(夫)
[追 記]
忠臣蔵として有名な赤穂浪士の吉良邸討ち入りでは46人が主君に殉じ切腹するが、二人の男が生き残った。討ち入り前日に逃亡した瀬尾孫左衛門(役所広司)と、討ち入りを後世に伝えるため逃がされた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。正反対の運命を背負う二人が16年ぶりに再会。瀬尾はなぜ討ち入りから逃げたのか、寺坂は元同志が抱えてきた秘密を知る。
(出典:「最後の忠臣蔵」公式HP 抜粋)