さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

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今日は我ながら

2016年06月28日 23時55分51秒 | たわごと
よく働いたー。←自画自賛

朝早く起きて、母と母の友達を
とある場所まで送迎。(往復1時間)
帰宅してすぐに、母の代理でお葬式へ。
再度帰宅後、買い物と晩御飯作り。
夕方からバイトで、帰宅は夜の11時半。
今日はコンタクトを17時間も入れてしまいました。
眼に良くないですね。
私のお目目、お疲れさん。

本日、出席した葬儀は、
父の弟のお嫁さん(私からすると義理の叔母)のお母さん、でした。
戦争でご主人を亡くされて、
その家の弟さんと再婚されたという方でした。
戦中・戦後にはこういうパターンは珍しくなかったそうですね。
従って、叔母には異父兄弟がいるわけですが
一番最初のお子さんは実家にはいづらかったらしくて、
早くに家を出てしまい、その後に生まれたお子さんが跡を取ったそうな。

うちの母も3歳半まで父を知らずに育ったので
どうしても父に馴染めなかったそうですし、
母の友人には、戦争で父を亡くした方が少なくありません。
戦争の後遺症は世代を経て今もなお、
色んな形で残っている気がします。

      

さて。
姉から聞いた、可哀想なDr.の日常話を一つご紹介。
仮にA医師といたしましょう。

その日、A医師はオペが三件連続で入っていました。
どれもが彼でないと出来ないオペだったので
3件連続で入るしかなかったのだそう。
終わったのが夜の9時。
ふうーーーと息を付く暇もなく。
なんとそのまま当直に突入。
更に、救急で受けた一件目がCPA(心肺停止)。

患者さんが亡くなられた場合には
諸々の書類やお見送りがあるのだそうです・・・。

そんなこんなで。
当直に突入してから座る暇もないまま、朝を迎え。
六時半に病棟に上がってこられて、術後患者さんの診察をし
フラフラしながら帰っていかれたそうな。

A医師は四十代後半。
もう、無理が効く年齢ではありません。
先生が過労でCPAになってしまうよって話で。

内科医であれば、外来から当直に突入したとしても
外来中に座っていることが出来ます。
しかしながら、外科医の場合、手術中は立ったまま。
体力勝負でホント、大変。
こんな状態で患者に愛想を振ってはいられませんね。

外科医があっさりバッサリなのは致し方ない、
と改めて思ったA医師の日常でした。