貴渡神社(機神様)大祭

2014-09-14 | 日記

    

    

雨降りが予想されたが、特に午後からはいい天気になって、少し暑いくらいの秋晴れになった。貴渡神社は僕の部屋から見えるくらいのところにあって、朝から太鼓や笛の音が聞える。ポスターでは 「 秋季大祭 」 であるが、見ているのはお祭りの労をとっている方々ばかりのようで、住民のほとんどはあまり関心がないようだから、閑散である。 ( 写真の参道の正面は巣守神社で、貴渡神社はこの手前にある )

僕なんかがまだ年少の頃は、この参道の両側にはたくさんの露店が連なって、それはそれは賑わったものだった。今日のこの日の賑わいは、写真の通りである。過ぎてしまった夏を惜しむ一匹か二匹かの蝉の鳴く、季節を外れた声が淋しい。しかしこういう神社というものは有難いもので、創建された当時のままの姿とロケーションのままに存在している。こういう存在はただわれわれの背景にあるだけでも、過去と現在が連綿と繋がっているのを実感させるのである。その実感は日々感じなくても、自然のように空気のように在るから、閑散であっても感謝と祈りの “ 大祭 ” なのである。年間、大祭は春と秋の二回あり、ごらんのように誰もいない参道は、誰もいなくても参道なのである。

人はいつかまたこの参道の石畳の上で手を合わせるのだろう、誰かがまた誰かの手を引いて行くのだろう。時間は瞬間でもあり永遠でもある。その時間の中で、人は生まれて、また朽ちて行く。