桜花未開

2010-04-22 | 日記
長岡の桜は、未だ満開に至ってはいない。春なのに寒い曇り日が続き、春なのに太陽光線が少ないのです。春なのに女性の衣装は厚く、春なのに春眠は暁とともに目覚めたのだった。
これは悠久山公園の池のほとりの桜ですが、寒そうでした。公園は、長岡市の桜の名所になっていて、さらに隣接の蒼柴 ( あおし ) 神社へと、桜は続いています。
以前、この神社の森で毎年、金春流薪能が催されていました。森の闇の中に金色とスカーレットの装束が浮かび上がり、幻想の世界へと誘われたことです。今は昔のこと。

桜もまた現実を凌駕し、しばしシュルレアリスム的世界をもたらします。これも春の喜びです。


白い表紙の本

2010-04-21 | 日記
きのう紹介した白い表紙の本です、リボンを付けた “ CORNELL ” 。

“ JOSEPH CORNELL Intimate Worlds Enclosed by Mutuo Takahashi ”( 川村記念美術館 2010年4月刊 )。

日本語タイトルは、高橋睦郎著 『 箱宇宙を讃えて 』 。本書はフランス綴じで、ページを切る本は久し振りで、いい感触です。先日、東京から届きました。感謝。



ペリエとイッタラと

2010-04-20 | 日記
思い出したように、冷蔵庫の中の緑の壜のペリエ一個。緑のこっぷに注ぐと泡が立った。
そして34年も前に友人が書いた、忘れられた詩集が一冊。
武士俣隆一詩集 『 WORK - 1 』 ( 1976年刊 ) 。その中の 「 鳥 」 。

    見えない「白」の迷路を縫って
    羽毛にやはらかな傷を濡らす

学生時代、僕は彼からシュルレアリスム絵画や文学を教わった。が、僕は小林秀雄や富永太郎やボードレールに夢中だった。彼は西脇順三郎や瀧口修造の話をしたが、僕は渡辺一夫のフランス中世文学を読んでいたのだった。
もう一つ、「 思索 」 という詩を紹介します。

    流れる水の起伏の曲線が
    漂うエーテルの胸にやわらかな刺繍を織っている
    海岸のさざ波の安らかな呼吸の体系が
    脳髄の岸壁をたたいている  
  
水と空気とが横糸と縦糸になり、緊密な織物をなしている。僕らの脳髄には、いつも新しいウェーブが押し寄せているのが分かるだろう、自身の呼吸が安らかでさえあれば。

西脇順三郎 ( 1894-1982 ) はその著書 『 超現実主義詩論 』 で 「 人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味 ( 不思議な快感 ) をもって意識さす一つの方法である。俗にこれを芸術といふ。」 といった。
従って、現実という通俗を新鮮なものにするには、このポエジーがなくてはならないのである。ポエジーは生きるための一つのエナジーである。

「 鳥 」 の詩は、この白い表紙の 『 JOSEPH CORNELL 』 と一対をなしているようだ。表紙は白い羽毛であり、黒い印字は心の傷のようでもある、“ JOSEPH CORNELL Intimate Worlds Enclosed by Mutuo Takahashi ”( 川村記念美術館 2010年4月刊 )。


異国の画家

2010-04-17 | 日記
アンティエ・グメルスさんというドイツ人画家の個展が柏崎市の「游文舎」というところで開催されています。画家のお名前は存じ上げていましたが、彼女の絵を実際に見るのは初めてです。1962年、旧西ドイツのレーゲンスブルグ生まれ。この街は1000年も前に建てられた家並みが未だに残っていて、世界遺産登録もされているということです。また実際にもこれらの家で生活もされているそうです。ぜひ訪れて見たいものです。
来日されて既に20年以上、新潟市在住。

グメルスさんは毎日絵を描かれているそうで、次から次へとイメージがわいてくるということです。幸福な画家の一人と言ってもいい。
この本は、巌谷國士著 『 メルヘン・透視・錬金術 アンティエ・グメルスの旅 』 2009年河出書房新社刊。


ある日の風景

2010-04-16 | 日記
2月の雪景色。空と平野のコントラストがマーク・ロスコの抽象絵画のようです。ロスコはアメリカの抽象表現主義の画家で、けっこう以前に千葉県佐倉市の川村記念美術館で大きなロスコ展がありましたが、その時に展示されてた晩年の暗い色面を思い出しました。地平線の無限性と、この地平線によって区切られた上下の色面の拡散感。なにか地球外の天体に立っているような不思議な感覚。地平線近くの空が薄っすらと紫色がかっていますが、これは夕暮れの色。

一日の終わりは、一つのノスタルジーをもたらします。未だ生まれざる以前の原風景を懐かしむように。