ペリエとイッタラと

2010-04-20 | 日記
思い出したように、冷蔵庫の中の緑の壜のペリエ一個。緑のこっぷに注ぐと泡が立った。
そして34年も前に友人が書いた、忘れられた詩集が一冊。
武士俣隆一詩集 『 WORK - 1 』 ( 1976年刊 ) 。その中の 「 鳥 」 。

    見えない「白」の迷路を縫って
    羽毛にやはらかな傷を濡らす

学生時代、僕は彼からシュルレアリスム絵画や文学を教わった。が、僕は小林秀雄や富永太郎やボードレールに夢中だった。彼は西脇順三郎や瀧口修造の話をしたが、僕は渡辺一夫のフランス中世文学を読んでいたのだった。
もう一つ、「 思索 」 という詩を紹介します。

    流れる水の起伏の曲線が
    漂うエーテルの胸にやわらかな刺繍を織っている
    海岸のさざ波の安らかな呼吸の体系が
    脳髄の岸壁をたたいている  
  
水と空気とが横糸と縦糸になり、緊密な織物をなしている。僕らの脳髄には、いつも新しいウェーブが押し寄せているのが分かるだろう、自身の呼吸が安らかでさえあれば。

西脇順三郎 ( 1894-1982 ) はその著書 『 超現実主義詩論 』 で 「 人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味 ( 不思議な快感 ) をもって意識さす一つの方法である。俗にこれを芸術といふ。」 といった。
従って、現実という通俗を新鮮なものにするには、このポエジーがなくてはならないのである。ポエジーは生きるための一つのエナジーである。

「 鳥 」 の詩は、この白い表紙の 『 JOSEPH CORNELL 』 と一対をなしているようだ。表紙は白い羽毛であり、黒い印字は心の傷のようでもある、“ JOSEPH CORNELL Intimate Worlds Enclosed by Mutuo Takahashi ”( 川村記念美術館 2010年4月刊 )。