「積読」の美学

2017-06-11 | 日記

      

      

「積読」は「つんどく」と読む。本を買っても読まないで、ただ家に “ 積んで置くだけ ” 。買って来ても読まないのである。ということを「読む」にかこつけて「積読」と言うのである。従って、僕のツン読書は相当な多読であると思う。 “ 稀代の読書家 ” である、と言わなければならない。誇っていいのか、そうでないのか。ま、家の中はこの写真のように、こんなになっていることは僕としてはうまく説明できないが、母に言わせると「あたしゃ、死ぬようだ」と言う表現になる。しかし僕としてはとても居心地がいいのが一つの “ 難点 ” で、どんどん積読用の本がその高さを更新しているのである。母を騙しながらの積読である。

ところで、この積読は僕には一つの美学であるのだ。美学という言い訳をすれば、一つには本は最高のインテリアであること。デザインされた表紙のいい本はその表紙を見せて飾って置けば、絵画同様であることだ。そして気が向けばいつでも読むことができる。側に置いて置けばいつでも開くことができる。中身はもちろん一流の先生が書かれたものだから、一流が日々の生活に寄り添ってあることは、僕の背景を作ってくれるのである。読んでも読まなくても、ここに一流が居るのである。もし積読を犯して読んだとすれば、それこそ “ 出会い ” である。男と女の運命の出会いのように、人生の新しい運命が開かれるかも知れない、と言う期待。変わり映えのしない生活に、期待が有ると無いとでは、人生への面白さが違うのだ!  母よ、だから積読はやめられない。

 


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