知的アリストクラート・齋藤磯雄

2011-10-07 | 日記

                           

ヴィリエ・ド・リラダン全集全五巻の訳者にして、ボオドレエル全詩集 「 悪の華・巴里の憂鬱 」 の訳者でもある齋藤磯雄 ( 1912-1985 ) は精神的貴族主義者であった。その昔、彼のリラダンを愛するあまり僕はニセ学として、明治大学文学部仏文科の先生の講義に潜り込んだことがあった。 ( 帰り、明治の学食のカレーライスは美味かったナ、講義はもう忘れてしまったけど… )

学生時代は、先生の本は結構稀覯本で高くて買えなかった。社会人になったら齋藤磯雄の本は全て手に入れようと思った。読めばわかるが、彼の訳文は格調高い正字正仮名である。文体は人である。リラダンやボードレールが現代に蘇ったようであった。特に齋藤リラダンにはハマッテしまっていた。イヤハヤ。これは 『 限定版ボオドレエル全詩集 』 ( 昭和54年 東京創元社刊 230部限定版第157番 署名入り ) の外箱と箱。ボードレールのポートレートは本の扉写真である。

                        ブックデザイン 日下弘

齋藤磯雄は、恩師である漢詩人・阿藤伯海 ( あとうはくみ 1894-1965 ) を大変尊敬していた。エッセイ 「 先師追懐 」 に書いている。 「 普遍的な教養の士。閑暇ありて制作を愛し、雅 ( みやび ) ということ以外には職を有せぬ優越者。力の用いどころなきヘラクレス。輝けば輝けるのだが、輝くことを欲しない潜める火。自我の完成を志す知的アリストクラート 」 。齋藤磯雄もまた先師に劣らず、尊敬すべき高雅にして高潔な文学者であった。世俗にまみえ憂鬱な日々を引きずる時、彼のダンディズムは時に僕の慰めであった。こういう本がいつでも傍にあることは、一つの幸福である。

 


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