『カルバドスの唇』はグラフィック・デザイナーとしても人気を博した画家・東郷青児 (1897-1978) の随筆集である。昭和11年10月20日に、かの昭森社から発行された本である。掲載した絵は本書の扉にある。若干カラーが掛かっているようだが、どうだろう。こういう線描を “ モダン ” とでも言うのだろうと思う。実にデフォルメされた裸婦であるが、そのおしゃれさと言ったらこれは申し分ない程で、艶めかしさの中に繊細があって、その繊細さの中にもコケットリーな現代性が、そうですね … オシャレなのである。僕は、改めて東郷青児のデザイン・センスにゾッコンになっているのである。そしてこの本であるが、やはり文章も人を引き付ける独特の文体が “ モダン・エロティック・オシャレ “ である。以下、その文章の欠片である。意味がつかめないかも知れないが紹介してみることにする。
「 何かめしあがる?
「 ぢゆねぱふあん
「 お菓子は?
「 のん、めるし
「 ぢや、なに?
「 おちちよ、カルバドスいれた ……
さうだ。あなたは數分後、又は數十分後、あなたに求めるだらうところの彼のくちづけを更にエフエクテイブならしめるために、アスターの燒賣 (しうまい) と、梅月のお汁粉を敢て斜眼視すべきだ。カルバドスはあなたの唇に七月の夜のさわやかさをもたらす。
そして彼は囁くだらう。
「 あなたの唇はシンガポールの味がする 」
あなた方はまづ戀愛を把握する事によつて現實の方向を知り、現實の方向を知る事によつてふたたび戀愛の眞價に味到するのだ。
やがて一山十銭の馬鈴薯があなたの戀愛に闖入して来る時が來たら、現實の中にふくまれた戀愛感覺の「ペルセント量」を定量法の方程式で算出し、煙出しの横にかかつた三日月にこつそりと唇を求めるのだ。 ( 切りがないので、以下略 )
どうだろう、もう80年以上も前の文章なので、分かりにくい単語やなんかもあるにはあるのだが、しかしニュアンスが伝わってきて、これもまた文体である。文体はその人そのものであると言う。アスターとは「銀座アスター」という中華料理のレストランで、僕も東京にいた頃は割に食べに行っていた、ということを思い出す。
「 あなたのためいきは夕暮れのヴィオロンね 」なんてささやく女性はいるだろうか …… 。 カルバドスはフランスのリンゴのお酒。
今度、お見せしましょう。