骨董屋にて

2020-01-05 | 日記

              

朝のうちに青空も覗いた今日は、雪景色が綺麗だった。お正月の来客が帰ったあと、まだ昼前だったが少しお腹がすいてきたので、町にランチに出かけた。一件目のイタリアンレストランが貸し切りで入れなかったので、時たま行くカフェに入った。食事が終わって、そう言えば今通ってきたところに骨董屋さんがあったのを思い出して、時間もあったからそこに行って見ることにした。稀に行く骨董屋さんで、以前、錆びた小さなトランペットを買ったことがあったところである。ここのご主人は御年、83歳になられるそうで、もうあと2,3年がいいとこです。と言う。お宝なものは奥に仕舞ってあるそうで、時期が来たらTVの「鑑定団」に持っているものを評価してもらおうと思っている、と言う。そんなことを伺いながら、または聞き流しながら、僕の目はあちこち物色している。奥まった通路脇に本棚があって、古そうな本がいくつかあったが、どうもいい本はなさそうであった。でも、ご挨拶にと抜き出してみると、こんな本があったのである。京都にあった甲鳥書林から出版された堀辰雄著『晩夏』(第5刷 昭和18年刊 初版は昭和16年) である。残念ながら箱はなかったが、これはプレミアムのつく本だと思った。古書屋さんとは違って、こういうものは骨董屋で買うもので、他にも若干買い物があったから、結局、この本とあと2冊あったが、ロハにして頂いたのはちょっと嬉しく思ったことである。
お正月休み最後の日曜日のランチタイムは、多少の散財をすることで、独りよがり的精神的リッチ感を獲得することができるのである。そうすることで、普通のどうってことのない一日が新鮮に、または刺激的になるのだった。
ところで、以前、筑摩書房から堀辰雄 (1904-1953) の全集が出た時は、どうしてもこれを揃えたくて、まだアルバイトしながらの貧乏学生だった頃でお金がなかったが、出る度になんとか買った思い出が思い出されて、今も青春の胸が痛むのである。

「更科日記」は私の少年の日からの愛読書であつた。(中略) 「あづまぢの道のはてよりも、なほ奥つかたに生い出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを … 」と更級日記は書き出されてゐる。この日記の作者は、少女の頃から、自分がそのやうな片田舎に生い育つた、なんの見よいところもない、平凡な女であることを反省しつつ、素直に人生にはひらうとする。ただ彼女は既に物語を読むことの愉しさだけは身にしみて覚えてゐて、京へ上るやうになつてからも、冊子の類を殆ど手放さうとはしない。就中、源氏物語を一揃へ手に入れることの出来たときなどは、几帳のうちに打臥したきり、昼は日もすがら、夜は目の覚めたるかぎり火を近くともして、それをばかり読んで暮らしてゐるやうな熱心さであつた。さういふ夢みがちな彼女にとつて、自分の前に漸く展かれだした人生はいかに味気ないものに見えたことであらう。が、その人生が一様に灰色に見えて来れば来るほど、彼女はいよいよ物語に没頭し、そしてだんだん自分の身辺の小さな変化をもいくぶん物語めかしてでなければ見ないやうになる。私はいつもこの日記のそのあたりを読むとき、その点に一つの重心を置きながら読むことにしている。(以下略)

この文は、この本の中の「姨捨記」の一部である。『更級日記』を訥々に手さぐりに読んでゆくうちに、或る日、突然にひとりの「古い日本の女の姿」が出現した、というのである。そして、堀辰雄は次のように書くのである。

その鮮やかな心像は私に、他のいかなるものにも増して、日本の女の誰でもが殆ど宿命的にもつてゐる夢の純粋さ、その夢を夢と知つてしかもなほ夢みつつ、最初から詮(あきら)めの姿態をとつて人生を受け容れようとする、その生き方の素直さといふものを教えてくれたのである。

 


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