蝉の声の音量が少し前より落ちてきた気がする。
まだまだ暑いが季節は変わろうとしているのだろう。
先日も書いた『パン屋のパンセ』杉崎恒夫 には蝉の歌が多くある。
拾い出してみた。
それのすべてが盛りを謳歌している蝉ではなく、命を落とした蝉の歌である。
庭や道端にも蝉のなきがらを見るようになった。
その姿を観察すると以下の歌のとおりだなと思って、観察力と詩的な表現に感心する。
蝉たちは天への回帰うたっても地におちて死ぬ100パーセント
蟻たちに曳かれゆきつつ昏睡の蝉の複眼みらかれいる
かの猫に食われた蝉の薄い羽ナプキンのように置かれてあった
けいけんな信徒かもしれない落ち蝉は六本の足を胸にたたんで
八月の末のあわれは蝉立ちの空へかえっていったテノール
ひとかけらの空抱きしめて死んでいる蝉は六本の足をそろえて
わが胸ぶつかりざまにJeとないた蝉は誰かのたましいかしら
生きている蝉の数より落ちている蝉の数のが多い不思議