今田辺聖子の『千すじの黒髪』を読んでいる。
80ページくらい、まだ鉄幹とは会っていないころ。
小説を書いた田辺聖子の情熱のせいだろうか、段々小説の中の与謝野晶子が私自身であって、小説の中に私が生きているような錯覚を覚えて来る。
外目には内気に見えて実はあふれるばかりの情熱を秘めていて、それが短歌によってほとばしりでると言うところに共通のものを感じるからだろうか。
また晶子の育った堺市の様子も子供の頃私もそこで育ったのでありありと思い浮かべることができるからかも。
晶子は堺にある羊羹で有名な駿河屋の娘である。
駿河屋はもともとは京都伏見で初代和歌山藩主になる徳川頼宣にお菓子を収めていたが、頼宣が和歌山城主になるに伴って和歌山に移った。
いくつもの分家ができた。
堺の駿河屋もその一つで晶子の祖父は本家の駿河屋に働いているとき『夜の梅』を考案した。
羊羹にちらほらと小豆の粒が入っている、それは夜の闇に浮かぶ梅のようと言う風雅な命名である。
今では虎屋の夜の梅の方が全国的には有名なようだ。
虎屋に残っている文書には300年前のお菓子の名前として夜の梅があるという。
しかし名前が記載されているだけで形作り方は書いていない。
この虎屋の夜の梅が現在あるもののようなものなら、虎屋が夜の梅の元祖となるのだが。
今夜の梅と言う羊羹を出しているのは総本家駿河屋・大阪駿河屋・虎屋など・・・お互い夜の梅の元祖とは争っていず共存している。
私は関西人なので夜の梅と言えば虎屋ではなくやっぱり駿河屋だ!
子供のころ上等なお菓子を買えるような家ではなかったが、お中元などで頂いた時の駿河屋の羊羹は大きな楽しみだった。
そして私は普通の羊羹より夜の梅が好きだった。
味は普通の羊羹と変わらないがやっぱりイメージが風雅。
俄然久しぶりに夜の梅が食べたくなった!
堺の駿河屋はもうなくなっている。
今あるのは総本家駿河屋・大阪駿河屋・・他にもあるのだろうが。
総本家は和歌山中心で大阪駿河屋の本店は北浜から南に行ったところにある。
暖かくなったら買いに行って来よう。
デパートに出店しているかも、調べてみよう。
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