それぞれに名を刻まれて並びをり瀬戸の小島の遊女の墓は
随分前に広島県竹原から船で行き大崎下島へ行きましが、御手洗地区に江戸時代の町並みや昭和のレトロな建物も残っていて印象深い旅でした。
穏やかな海、時間が止まったような町、
中でも一番心に残ったのは町の墓地に遊女の墓が残っていて町の人たちがずっと供養していることでした。
ここは江戸時代潮待ち風待ちの港として栄え遊女は100人位いたといいます。
島なので逃亡の心配があまりないことからほかの場所の遊女よりは外へ出るなど自由であったそうです。
遊女が町の重要な産業?であり比較的大事にされていたそうです。
町の人が今でも遊女の墓を守っているのもその気持ちが受け継がれているのだろう。
遊女の墓は一つ一つ名前が刻まれている。
無縁仏として一つの墓に名前もわからず葬られたことが多い中でせめてちゃんと供養したことがうかがえる。
今は小高い場所に整備して移動したと聞いています。
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